第39話 ゾウさんが言っていました

 一年とちょっと前、僕は市内の南中学校に通っていた。

 今や懐かしき中学時代。

 思い出したくもない中学時代。


 中1の時、僕はソロだった。

 中2の時、僕は一人だった。

 中3の時、10日間だけ僕はぼっちじゃない日々があった。


 その10日間、正直に言えば僕は幸せだった。

 だけど、後に考えるとその10日間は最悪の日々だった。


 『深井玲於奈ふかいれおな


 10日間だけ僕と一緒に居てくれた女の子。

 僕が初めて好きになった女の子。

 そして僕の初めてで唯一の恋人だった。







 玲於奈さんは全校生徒の憧れだった。

 僕も密かに憧れていた。

 そして幸運にも彼女とは同じクラスメートだった。


 だけど片や学校のアイドル的人気女子、片や友達皆無の根暗ぼっち。

 スペックの差など僕が一番痛感している。だからこそ僕は憧れを捨て、寝たふりをしながら彼女の姿をたまにチラチラ覗き見るだけに留めていた。

 だけど、女の子というのはそういった視線に敏感な生き物だということを僕はまだ知らなかった。


「高橋君。ちょっと来てくれる?」


 アイドルが誰かを呼んでいる。

 『高橋』という人を呼んでいる。

 それが自分の名字だと気が付くのに10秒掛かってしまった。


「……ふぇ!?」


 突然の出来事に僕は喉奥から吸い上げるような声を出してしまった。


「すぐに済むからちょっとこっちに来て欲しいな」


「…………」


 もはや声が出ない僕。

 僕は玲於奈さんに言われるがまま、彼女の後姿を追いかけていった。

 僕はこの時周りが見えていなかった。

 だからこの時、クラスメートのほぼ全員ニヤケ顔していたことに気が付かなかった。







「寝たふりしながら人のことをチラチラ眺めるのが貴方の趣味なの?」


「……!?」


 気付かれていた!

 絶対に他人に悟られてはいけないことを気付かれてしまっていた!


「なんとか言って」


「……え……あ……ご、ごめ……」


 言葉が上手く出ない。いつものことだけど。

 だけど謝らないと。ここで黙ってしまうのだけはいけない。


「あー、いいの、いいのよ。謝らなくて。別にそのことを咎めるつもりで呼んだわけじゃないから」


 僕が言葉を紡ぐ前に玲於奈さんが先にフォローしてくれる。

 いや、フォローなのかな? なんだか玲於奈さんの表情から不穏なものを感じられる。

 こういうときの勘はなぜか大体当たってしまう。


「でもね、その代わり、高橋君に一つして欲しいことがあるの」


「は、はぁ……」


「あっ、先に言っておくけど断っちゃ駄目だからね。断ったら私の事を盗み見ていたことをバラすから」


「う……」


 やはり嫌な予感というのは的中してしまう。

 これは『お願い』なんて生易しいものではない。『脅迫』だ。

 弱みを握られてしまった僕の失態。


「それで高橋君にしてほしいことっていうのはね」


「…………」


 もはや声が出ない。

 僕は無言で玲於奈さんの言葉を待つ。

 そして、彼女が次に放つ言葉は、完全に僕にも想定外のものだった。


「とりあえず高橋君。私と付き合うのよ」




    ****




 明日は月羽とデートだ。

 デートと言う名の休日経験値稼ぎだ。

 だけど今日は土曜日。

 とりあえず今日やれることと言ったら詰みゲーの消化しかないな。、


    ~~♪ ~~~♪


 ……と、メールだ。

 どうしたのかな、月羽。明日の件かな?


    ~~♪ ~~~♪


 って、ちょっと待て。

 着信音が長い。

 これ、メールじゃなくて電話だ!


「あ、あわわわわ……」


 まさかの初電話に慌てふためいてしまう。

 月羽、どうして急に、で、ででで電話を? なぜメールじゃないし。

 で、出た方がいいよね。うん出よう。出ない理由がない。

 相手は月羽、相手は月羽、な、なにも怯えることはない。いつも屋上で会話しているのだから、今更電話くらいで怯える僕じゃない!


    ピッ


『も、もひもひ?』


『出るのおそ~~い!』


 いきなり耳鳴りがするくらいの甲高い声が脳に響いてきた。


『つ、月羽。そんな狼みたいな声出せたんだね』


 これはビックリだ。月羽の電話スキルは僕の知らない所で半端ない所まで……


『月ちゃんじゃなくて悪かったね。ついでに狼みたいで悪かったね』


『へっ?』


 月羽、自分のことを『月ちゃん』なんて言う痛い子だったっけ?

 まぁ、月羽は痛い子であることは知っていたけど、こんな不思議ちゃんみたいな痛さじゃないはずだ。

 って、まさか……


『お、小野口さん?』


『うん。正解でーす♪』


『ど、どうして小野口さんが?』


『んー、高橋君にどうしても言いたいことがあってさ。ちょっと今から会える?』


『小野口さん。僕達今電話っていうすごく便利な利器で繋がっていてね、なんと! 直接会わなくても話せるんだよ』


『知ってるよ!? 遠まわしになんか馬鹿にしてる!?』


『ご、ごめんなさい』


『もぅ。とーにーかーくっ! 直接会って渡したいものもあるから今すぐ学校の図書室に集合! おーけー?』


『お、おーけー』


 正直面倒くさいけど、小野口さんに逆らうのはなんか妙に怖い。

 しかも電話越しに少し怒気が伝わるような声色していたし、余計憂鬱だ。

 でも彼女には恩があるし、無下に断ることもできない。


『じゃ、あとでねー』


 それを最後にプツッと電話が切れる。

 な、なんだったんだ? 突然の展開すぎて脳が着いて行かない。

 とにかく学校に行けばいいだけの話か。仕方ない、急いで制服に着替えよう。


 しかし、小野口さんレベルの秀才となれば、僕のケータイ番号なんてすぐに調べられるんだなぁ。やっぱすごいやあの人。







 土曜日でも学校は開いている。普通に部活動しにくる生徒も多いしね。

 だけど図書室まで開いているとは思わなかった。


    ガッ!


「……閉まってるじゃん」


「だけど、この魔法の鍵でなんとすぐさま開けることができるのだ~♪」


    ガチャっ


「さっ、入って」


「…………」


 いつの間に後ろに居た?

 今、普通に気配無かったぞ。

 小野口さんレベルになると、『気配を消すオーラ』もレベルが違うということか。言うならば『ネオ気配を消すオーラ』と言ったところか。

 今ほど小野口さんの総経験値が知りたいと思ったことはなかった。







 ここに来るのは久しぶりだ。

 例のカンニング疑惑事件の時に答案を受けたった時以来か。

 独特な古本の匂いがする。やっぱり落ち着くなあ、図書室の雰囲気って。


「なんか懐かしいね。前にここで二人きりでお話していたのが昔のことみたい」


「そうだね。あの時は本当にお世話になりました」


 ちゃんとお礼を言った覚えがなかったので、この機会にキチンと礼を言う。


「やめてよ高橋君。アレは私が月ちゃんを助けたかったから動いたまでだよ。むしろこちらこそもっと早く月ちゃんを助けてあげられなくてごめんね」


 僕と同じように慌てて頭を下げる小野口さん。

 あの事件において一番重要だったのがこの小野口さんの存在。

 彼女が快く味方になってくれたからカンニング疑惑は晴らされたようなものだった。もし彼女が協力してくれなかったらと思うと、僕と月羽はアレからどうなっていただろうか……

 事件の後も続いて僕や月羽と仲良くしてくれていることもありがたい。


「そうだ。小野口さんと二人きりになれたら聞きたいことがあったんだ」


 ちょっと本題に入る前にどうしても彼女に聞きたいことがあった。

 いつも月羽とセットでいるから中々機会がなかったのだ。


「青士さんのこと?」


 うお。さすが秀才。僕が訪ねる前にすでに察していたらしい。

 僕は無言でこくんと頷く。

 青士さんはカンニング事件にて冤罪を被せた真犯人として停学3日間の処分を受けた。

 停学前日に僕のクラスに乗り込んできていたけど、実はアレから一週間以上も経っているのだ。


「とっくに停学はあけているよね? アレから青士さんの様子はどんな感じ?」


 球技大会の時は青士さんを見なかった。

 ていうか停学後、彼女を一回も見ていない。

 月羽もまるで避けているように青士さんの話題には触れていなかった。

 だからこそ小野口さんに聞くしかなかったのだ。


「青士さんね、学校に来ていないの」


「えっ?」


 僕の想定していた結果とは違う答えが返ってきた。

 あの青士さんが三日間の停学をくらった程度でそこまでダメージを負っていた……のか?

 てっきり『あの時はよくもやったなー』的な復讐を考えているのかと思っていたのに。


「あー、いや、一度だけ学校に来てたっけ。でもその日も知らないうちに早退していたよ」


 うーん。それもそれで不気味な話だ。

 停学をくらった生徒がそれ以来学校に来なくなるのは聞く話だけど、青士さんもそのタイプなのかと考えると首を傾げざるを得なかった。


「田山先生の方はどう?」


「あの先生はいつも通りだよ。まるで何事も無かったかのように担任してる。腹立たしいよね。事なかれ主義で月ちゃんを追い詰めておきながらまるで悪びれた様子も見せないでさ!」


「結局田山先生はお咎めなしだったの?」


「まーぁね。どこかの誰かさんが糾弾でもしていれば学年主任の地位を降ろすことくらいはできたのにねー」


 どこかの誰か?


「どうしてその人は糾弾しなかったの?」


「キミのことだよ! そんなのこっちがききたいよ!」


 大声を張り上げながら顔を近づける小野口さん。

 あれ? そうだったっけか。

 あー、すっかり忘れていたけどそんなこともあったようななかったような。月羽を助けることで頭がいっぱいで他の事はどうでもいい感じになっていたからなぁ。


「んー、まだまだ油断できないね。田山先生も青士さんも月羽のことを恨んでいるかもしれない」


「そうだね。特に青士さんはこのまま終わるとは思えないよ」


「うん。だから、さ。これからも月羽と一緒に居てくれると嬉しいかな」


「もっちろんだよ♪ キミに頼まれなくても私は一日三回の頬ずりをかかしてないんだから」


 この行き過ぎた愛情表現もまぁ小野口さんの優しさなんだろうな、うん。


「でも月ちゃんのことも心配だけど、私は高橋君のことも心配だよ」


 小野口さんが真面目な表情で僕も目を凝視する。

 そこから彼女の心配する気持ちがひしひしと伝わってきた。


「僕は別に平気だよ」


「うん、まぁ、高橋君の強さは知っているけど、でもやっぱり心配。高橋君、私の知らないところで青士さんに怒鳴られていたり、田山先生に嫌がらせされたりしてるんじゃないかって」


 はい。停学前日の青士さんにすでに怒鳴られています。

 しかし知ってはいたけど、やはりいい人だな、小野口さん。

 こんなに僕のことを気にかけてくれるのは月羽を除けば彼女だけだ。西谷先生も僕のこと気にはかけてくれるが、あの人の気に掛け方は別ベクトルに伸びているもんな。


「今のところは本当に大丈夫。それに僕はそこまで自分の力を過信してないよ。何かあったら月羽に相談するし、小野口さんにも力を借りると思う」


「うん。絶対相談してね。私や月ちゃんに心配かけるのは禁止だからね」


「分かったよ」


 なんだか友達同士の会話な感じで少しむず痒い。

 もうぼっちじゃないんだな僕。中学時代に比べると考えられない進歩だ。


「とにかく僕が聞きたいことは以上だよ。てなわけでじゃあね小野口さん。また来週」


    ガシィィィィっ!


「私が呼び出したのに私の用事が全然済んでない!」


「……そういえばそうだった」


 なんかすっかり今日の会話は終了的な流れに持ち込んでしまっていたけど、今日は小野口さんの方が僕を呼んだんだった。


「ねね高橋君。明日月ちゃんとデートなんだよね?」


「うん。さすが小野口さん。知らないことなんてないんだね」


「だから私を何だと思って……って、まぁいいや。実はね、明日高橋君とデートするように持ちかけたの私なんだ」


「そうだったの!?」


「うん。だって誰かが後押ししなきゃ二人デートなんてしないでしょ?」

 うーん、たしかに最近休日経験値稼ぎ――もといデートなんて全然やってない。

 最後に二人で休日に出かけたのって、GWにリアル迷いの森探索したのが最後だった気がする。


「高橋君は変なところで積極性に欠けるし、月ちゃんは女子力が欠けているからどちらからもデートを誘ったりしないって思ったんだ」


 変な所で積極性に欠けるって言われた。変な所ってなんだ?


「だから! 私は月ちゃんに女子力を上げるように嗾けたんだけどね――」


 なるほど。それで昨日経験値稼ぎってわけね。


「昨日、月ちゃんから女子力アップに関しての報告を受けたんだ、チャットで」


 もしかして例のアバタ―チャットかな? ムーンフェザーにも僕以外に話し相手が出来たか。

 小野口さんのハンドルネームが少し気になる。


「高橋君も女子力アップに関してお手伝いしてくれたんだってね」


「うん! 女子力に関しては僕も月羽もマスターしたよ」


 っと、なぜかここで小野口さんがキッと睨むように僕の顔を見てきた。

 なぜか怒っていらっしゃる?


「『貴婦人みたいな話し方』することや『折りたたみ傘を瞬時に閉じ開き』することのどこが女子力なの!?」


「いや、女子力ってそういう力のことでしょ?」


「見当違いにも程があるよ!」


 マジか。僕が二時間かけて取得した折りたたみ傘の早業が女子力とは関係ないというのか!?


「まっ、最後にはデートには誘えたみたいだから良しとするけど……」


「次の経験値かせ――じゃなくて、デートでは二人でずっと貴婦人みたいな口調でいるつもりなんだ」


「やめなさい。絶対やめなさい」


「でも女子力を発揮しないと……」


「月ちゃんはともかくなんで高橋君まで女子力発揮する気満々なの!?」


 いや、話の流れで。


「とーにーかーくー。このままではデートがカオスなものになりそうなので~」


 小野口さんはゴソゴソとカバンを漁り出し、一冊のノートを取り出す。

 それを僕の右手に握らせた。

 ノートの表紙にはこう書いてある。


『デート攻略マニュアルその2【アザラシと共に】』


「どう!?」


「どうって……」


 どうなんだこれ。

 小野口さんが用意してくれたデートマニュアルなのは理解できるが、なんだこのサブタイトル?


「その2って書いてあるけど……」


「あー、その辺は気にしないで」


「はぁ」


 一応中身を確認してみる。


『デートには15分前に集合するのが基本だゾウ』


 ゾウさんのイラストが吹き出し付きでそんなことを喋っていた。

 ……アザラシじゃないのかよ、そこは。


「とりあえず今日中にそれを読破すること! 小野口さんからの宿題です」


「了解です。ボス」


「ボス言わない。プリティ総帥と呼びなさい」


「了解です。プリティ総帥!」


「良くできました高橋二等兵」


 嬉しそうに背中をポンポン叩くプリティ総帥。

 なんというか、この人の訳の分からないノリについていけた自分が少し信じられなかった。







 日曜日。12時45分。デート当日。

 今回も待ち合わせ場所は駅ビルの表口の前だった。

 そしてゾウさんの言う通り、僕は約束の時間の15分前に来てみたのだが……


「こんにちは。一郎君」


 まぁ、そうだよね。

 たった15分前行動じゃ月羽より先に到着するはずないよね。

 これはゾウさんのミスだろうな。月羽の先到着能力を甘く見た結果だ。


「こんにちは、月――」


 月羽の名を呼びかけて止まった。

 その理由は、目の前に居る『美少女』が本当に月羽なのか、一瞬分からなくなったからだ。


「えへへー、月羽さん変装バージョンセカンドです」


「…………」


 月羽の変装は前にも見たことがある。

 あの時の衝撃もすごかったが、今回はそれ以上をいく。

 つい、絶句してしまう程に。


「そ、その、今回は、どうですか?」


 俯きながら恥ずかしげに上目使いで聞いてくる。

 その視線攻撃がすでに反則級なのだがとりあえず正直に答えることにした。


「可愛すぎるくらい似合っているよ」


 そう、似合いすぎている。

 まず髪型。前回はツインテールだったが、今回はサイドポニーだ。もともと髪質は艶やかで綺麗、且長い髪というのはポニースタイルが映える。

 それと三日月型の髪留めで前髪の形も整えていた。

 服装はいつものように控えめな感じだが、所々細かなアクセサリーで見飾っている。派手じゃない所が好印象だった。


「~~!!」


 僕も照れているが、月羽はそれ以上に照れている。

 顔の赤さで言ったらたぶん月羽の方が濃いだろう。


「でもどうして変装?」


「はい。その、小野口さんが……」


 その一言だけで事の顛末が読めた。


「『デート攻略マニュアル?』」


「はい。その1です。しかもよくわからないサブタイトルが付いたノートを渡されまして。まぁ、そこに書いてありました身だしなみの心得をそのまま試してみただけなのですが……」


 小野口さん半端ないな。

 月羽はもともと可愛いとは思っていたけど、僕の考えよりも3倍くらい可愛く仕上げてきやがった。

 ていうか、今からこの子とデートするのか。なんだか緊張してきた。


「そ、それでは行きましょう。一郎君」


 言いながら僕の右手を握ってくる。

 いつも通り少し冷たい手。それも少し震えている。

 月羽も緊張しているのが感じ取れた。


「それもマニュアルに?」


「はい。『先手必勝とにかく手を握れ』って、ゾウさんが言っていました」


 くそっ、僕が受け取ったマニュアルのゾウさんは無能なのに、月羽のマニュアルのゾウさんは有能なようだ。露骨な贔屓が見える。小野口さんぽいといえばぽいけど。


 少し悔しくなった僕は少し強めに月羽の手を握り返してみた。


「~~っ!!」


 月羽の顔が更に赤くなっていた。




―――――――――


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