第16話 今日はガッツリ経験値稼ぎをしますからね


 高校教師として赴任してから一ヶ月が経過した。

 私――西谷沙織は厳しい教育実習を得て国語科の免許を取得した。

 馬鹿みたいに勉強した。


 でも――


「私、どうして教師やっているのかしら……」


 赴任一ヶ月目にしてそんなことを呟いてしまっている自分がいる。


 この職に就くまでのキッカケはあった。

 友達が教師になろうとしていたから自分も寄生してみただけだ。

 別に教師に対して夢憧れなんてなかった。

 ただ安定している就職先だと思ったから猛勉強しただけなのだ。

 実際は『安定』なんて程遠い職業で毎日残業の日々ではあったけど……


 でもそんな私でもやり通したいことはあった。

 自分のクラスの子達を無事に卒表させること。

 月並みな目標だけど、無理して目標設定でもしないとこの仕事をやり通せる自信はなかった。


 二年A組。

 私のクラス。

 全員『笑顔』で卒業させることが目標――いや、ノルマだ。


 そして一ヶ月間、このクラスを見てきた。

 皆、友人と遊んだり、部活に勤しんだり、学生らしく楽しそうだ。

 ……ただ、一人を除いて。

 私の目標に対する最大の障害と思える生徒が一人居た。


 ――高橋一郎君。


 彼はいつも一人で居た。

 彼が誰かと一緒にいるところを見たことがない。

 どうして高橋君はいつも一人でいるのか、私なりに考えてみた。

 そしてつい最近結論を見出した。


 彼は――


 高橋君は――


 クラスの皆にいじめられているんだ!


 それしか考えられない。


 ここは教師として――担任として――クラス内のいじめを許すわけにはいかない。

 まずは高橋君自身に話を伺うことから始めようと思う。


 ――面白くなってきた、と思ってしまった自分が少し嫌だった。







 放課後。

 授業を終えると僕は真っ直ぐ屋上へ向かう。

 もはやこの流れは生活習慣の一部に成りかけている。

 そして屋上のドアを開けると、やはりというべきか星野月羽さんが先に隅っこのベンチでひっそりと待っていた。

 だから来るの早いって。


「こんにちは。高橋君! 今日はガッツリ経験値稼ぎをしますからね♪」


「うん! 頑張ろう」


 星野さんのやる気に触発され、僕もいい返事で返した。


「今日はすでに経験値稼ぎの内容を考えてきているんですよ」


 如何に星野さんが普段行き当たりばったりなのか、よくわかる発言であった。


「どんなことやるの?」


「はい! それはですね――」


    ――ピンポンパンポン。


 星野さんが本日の経験値稼ぎを発表しようとした時、大音量の校内放送によって邪魔が入った。


『二年A組の高橋一郎くん。二年A組の高橋一郎くん。至急職員室の西谷先生の所までお越しください』


「おや」


「ぁう……」


 初めて校内放送で自分が呼ばれた。

 何だろう。この妙な気恥ずかしさ。


「担任に呼ばれちゃった。星野さん、悪いけど行ってくるね」


「はい。仕方ないですよね」


 星野さんが残念そうな表情をしている。

 たぶん僕も同様な表情をしているだろう。


「いつ戻れるか分からないから今日はもう解散しておこうか」


「……ぅぅううう!」


 獣化した星野さんを残して去るのはしのびないが、こればっかしは仕方ない。

 今日の経験値稼ぎは残念ながらお流れになった。

 ていうかまた総経験値130でストップか。いい加減EXPを稼ぎたいよなぁ。







 職員室。

 あれ? 僕ここに来たの初めてな気がする。

 普段生徒はあまり立ち寄らない場所ではあるが、それでも職員室に行ったことのない生徒なんて僕くらいじゃないか?

 えっと西谷先生は……どこだよ! 無駄に広いよ! 職員室!


「あっ、高橋君。こっちこっち」


 スーツ姿の女性教師が僕の名を呼ぶ。

 西谷沙織先生――国語教師で我が二年A組の担任。

 校内で一番若い先生だ。僕達と五つか六つしか離れていなく、容姿もかなり童顔だ。スーツじゃなくて制服を着ていたら間違いなく生徒と見誤るだろう。

 故に生徒からも教師からも人気があると噂だ。西谷先生を担任に持つ二年A組は他生徒から羨ましがられる存在となっているらしい。机に突っ伏しながらそんな噂話を耳に入れたことがある。


「ちょっとお話があるの。ここではアレなので、隣に場所を移しましょう」


 言いながら隣の部屋――『相談室』に通される。

 相談室? なんでこんなところに通されるんだ?

 僕が怪訝に思っていると、西谷先生が僕にお茶を入れてくれた。


「高橋君。学校は楽しい?」


 僕はこの一言だけで嫌な予感を憶えた。

 自分が『可哀想な子』と思われていることがこの一言で察することができたからだ。

 先生は気付いているのだ。僕がぼっちであることに。


「ええ。まぁ」


 実はこういうのは良くあることだった。

 中学時代にも何回かあった。

 でも何回経験しても慣れなかった。

 だから先生が次に言うことも容易に察することができた。


「お願い。正直に言って」


 ほらきた。

 僕の『ええ。まぁ』という学校が楽しいという肯定の台詞が先生の期待していた言葉ではなかったのだ。

 この場合、先生は僕から『学校なんて楽しくありません』というセリフを聞かない限り納得しないだろう。

 中学時代の僕だったら、面倒だからそう答えて居ただろう。

 でも今は違う。

 ぼっちなのは変わらないが、それでも――


「学校は楽しいです」


 言いきってみせた。

 経験値が130もある僕にはこれくらいの芸当は可能なのだ。


「……え?」


 西谷先生が言いよどむ。

 どうやら先生的には、僕が『学校なんてつまらないです』という言葉を発するはずだったのだろう。


「しょ、正直に言って。高橋君」


「はい。学校超楽しいです」


「…………」


 絶句する西谷先生。

 あっ、これ今がチャンスじゃないか?


「そんなわけで失礼します。先生さようならです」


 西谷先生が絶賛絶句中の間は僕は早々と立ち去ることにした。


「……はっ! ちょ……まっ……」


 先生が我に帰る頃には相談室には西谷先生一人しか居なかった。

 全く、こんな無駄な時間の為に貴重な星野さんとの経験値稼ぎが潰されてしまったのか。

 仕方ない、帰ろう。星野さんにメールでも出そうかな。一応謝っておかないとね。

 てなわけで送信っと。




  ――――――――――

  From 高橋一郎

   2012/05/07 16:59

  Sub 相談室のお茶はほうじ茶だったよ

  ――――――――――


  でも僕は緑茶の方が好きです。

  熱めだったら尚良いです。


  -----END-----


  ―――――――――――




 謝るの忘れてたし。

 ただのオチャメールを送ってしまった。

 『お茶』と『おちゃめ』と『メール』を組み合わせた究極体『オチャメール』。

 ……うん。忘れよう。自分で造語作っておいてなんだけど、くだらないことこの上なかった。



 ~~♪ ~~~♪



 メロディが僕のケータイから鳴り響く。

 返信早いな星野さん。




  ――――――――――

  From 星野月羽

   2012/05/07 17:01

  Sub ぅぅぅううううう!

  ――――――――――


 ぅぅぅぅうううううううううううううう!


  -----END-----


  ―――――――――――




 星野さんが超怒っていることだけが分かるメールだった。







 ど、どうして?

 私のシナリオだと今頃は――


『学校は楽しい?』


『いいえ。つまらないです』


『それはどうして?』


『……先生に言っても仕方ありません』


『そんなことないわよ。私はキミの味方でいることを約束するわ』


『せ、先生……』


『先生を信じて。そして貴方の正直な気持ちを教えて』


『先生――っ!』


 ………………

 …………

 ……


 二行目からシナリオが狂った。

 思い通りにいかず、つい思考が止まってしまった。

 教師なのにこの対応力の無さはどうなのだろう?

 いや、そんなことよりも問題は高橋君の事情だ。

 あの子は自分の本当の気持ちを心の奥底に閉じ込めてしまっているんだっ!

 だから心を開けずにいるのね。


「高橋君の心の氷を解かすには時間が必要そうね」


 きっと虐められている子と打ち解けるには時間掛かるものなんだ。

 いきなりこんな相談を持ちかけたんだもの。そりゃあ警戒するわよね。

 でも――


「絶対に先生が何とかするからね。高橋君っ!」


 高校赴任してから一ヶ月。

 ようやく自分のするべきことを見つけた気がした。


 またも面白くなってきたなんて思ってしまったが、高橋君のことで頭がいっぱいで、今度はそんな自分を咎めることすらしなかった。

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