29. フレアからアッシュへ

 朝から、明日〈カスミ〉の下へと消えて行くあなたへ向けたメッセージを書いていました。しかしどうしても長くなってしまう。あなたのポケットへ収まらないくらいに分厚くなる。ですので、その分厚いメッセージのなかの1枚だけ、あなたに渡します。残りの16枚はあなたに手向たむけられる花びらとして舞うことでしょう。


     *     *     *


 …………ということですから、わたしはあなたを憎んでいます。憎んでいるから、いつしか実験台にでも使ってやろうとすぐさま思いつきました。そのため、あなたの提案を受け入れて書きたくもない小説を書き始めたんですが……月並なことを言うけれど、少しは楽しかった。あなたは小説家かなにかになろうとしていたと言っていたから、それなりのものを期待したのだけれど、駄作とは言わないまでも傑作ではなかった。がっかりしたけど、行間からあなたの人間性は感じられた。


 あなたを実験台にするにはどうしたらいいか。あなたには恋人がいると言っていたから、それを利用するしかないと思った。わたしはあなたへ送った原稿用紙のうち1枚に、あなたの恋人に見られてはこまる一文を書きました。チョコレートケーキを買ってきてほしいというものです。知っていると思うけれど、あのチョコレートケーキを売っている店は、あなたたちの想い出の喫茶店のなかにあるでしょう。それは彼女にとって効果的だと思った。まさか、彼女が消えてしまうとは思っていなかったけど。


 さて、もうひとつ謝らないといけないことがあって、それは彼女が〈カスミ〉の下にいないということです。なぜって、ここまでくるには、から。


 この国の周縁部はルゾム族のテリトリーであるというのは、周知のことだと思っていたのだけれど、国民という名を与えられてしまうと忘れてしまうものね。わたしのようながいなければ、ここまで来られない。


 いまだから言えるけれど、わたしの仮説の正しさは、わたし自身の存在によって、ある程度は補強されているのよ。


 それにしても、あなたはなんで、わたしが善人であると思っていたのでしょう。バカなんでしょうか。さんざんわたしに迷惑をかける官憲に、わたしがほだされるわけがないでしょう。


 まあ、〈カスミ〉の下にべつの国があるかもしれないという仮説は正しいでしょうし、民族の移動を可能とする手段があるのも確かでしょうね。でも、落下速度のことを考えれば、あなたは粉々になってしまうんじゃないかしら。そんなことにも思いも及ばない。それが恋というもの。ばからしい。あなた(たち)を罵倒する言葉なんて、いくらでも思いつきます。書いても、書いても、とまりません。


 わたしの思わせぶりな態度に、乗っかってしまうおバカさん。昨日の夜のことなんて、傑作でした。わたしを抱きしめたりなんかして、れっきとした浮気者でしょう。彼女さんも、あんたなんかに騙されて、かわいそうでしかたがない。いまは、どこにいるか知らないけど、下にはいないんじゃないかしら。


 もし生きていたら、あなたは、恋人がいるところへ、復讐の相手がいるところへ、つまりこの国へ、戻ってきたくなるでしょうね。もし、生きていたら。そのとき、わたしの仮説は証明されるともいえるので、せいぜい、がんばってくださいませ。…………

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