13. マヌールへの手紙(1)

 ぼくはさっき、きみがいやしないかと、ネブラスの窓際の席を見やったらからで……寂しさを抱いたまま家へ帰ると、ブルノから手紙をもらって、さして仲のよくない同僚から手渡されたものだから警戒し、捨ててしまおうかと思ったのだけど、なかにある便箋が重くかさなり合っているのを感じたとき、すぐに、これはきっと、きみからの手紙だと思いました。


 きみは、自分の考えを伝えるために、たくさんの言葉を使うから、ぼくはときおり心配になってしまいます。ぼくと一緒にいると、一生分の言葉を使い切ってしまうんじゃないかと。きみが話しているとき、ぼくは相槌あいづちを打つくらいです。しかしそれは、なにかひとつのものを、作り上げているという感覚がありました。そしてそれがなんなのかということを、きみからの手紙で一瞬にして分かりました。


 疲れた身体を奮い立たすために、なにか栄養剤のようなものを飲もうかと思っていたのですが、きみからもらったティーカップに紅茶をいれて、その湯気を月夜に透かしてみせながら、この手紙を書いているところです。


 ご丁寧に実家の住所が封入されていたので、そちら宛てにこの手紙を送ります。ブルノの手を介さずこの手紙を渡せるというのは、安心です。彼の好奇心を意識するあまり、気どったことを書いてしまい、ほんとうの気持ちを取り繕ってしまうのならば、後悔をしてしまうので。


 ぼくは、任務内容がころころ変わってしまうから、きみと出会えたことは偶然だし、きみと離ればなれになってしまったのも必然です。


 この前、ぼくの同僚が、ぼくたちの関係についてやたらしつこく聞いてきて、なんでそんなことを知っているのかと言い返すと、ネブラスを通りかかったとき見かけたことがあるのだと言うのです。


 ぼくはもう、きみと一緒にいられない身の上だったので、自信をもってなにも答えられず、友人という便利な代名詞を使ったのですが、その代名詞のエナメルをげばすぐそこに、胸が苦しくなるような感情があることに気付いて、激しい動悸どうきが襲ってきました。


 その同僚は、きみのことをよく知っていて……つまりきみは、ぼくの知らないところで、有名人なのだということです。それによれば、きみはたいそう恨みを買うようなひとらしく、ぼくもまたそれに嫉妬せざるをえなかったというのが、本音です。


 きみの美しさに気付くというのは、風がこよみひるがえして時を変えてしまうようにさりげないものでした。しかしほかの人からすれば、机の上の花瓶を床に落とすくらい、否応なしに気付くもののようです。


 あらゆる恋の予兆は、自分の感情を、自分だけが所有するものだと勘違いしてしまうところから始まる……というのは、きみのお父さんの小説のなかで、きみの似写しのような、清らかな湖のそばにある城のお姫様を、慕っている王子が、白馬の上でひとりつぶやいた言葉ですが。


 ぼくが、きみの髪の毛を「モンブラン」にたとえたとのことですが、実は、あまり覚えていません。一度筆を止めて、うんうんと考えてみたのですが、やはり思いだせません。きっと、さらりと言ったことなのだと思います。一輪挿しの花瓶のなかに、こっそり小さな華をいれておくようなさりげなさなのでしょう。


 でも、いまもありありと思いだすことのできるきみの面影おもかげには、やはりあの美しい栗色の髪が、甘く香り立っています。そして、寂しくなりました。きみのあの栗色の髪を、ぼくより魅力的に喩えてみせて、きみのこころを奪ってしまうだれかが、現れてしまうのではないかと思うと。


 あの紅茶のしみのできた本は、ぼくの本棚にまだ飾ってあります。もう読むものではなく、飾るものになったのです。この世で、たった一冊の本になりましたから。


 この本を見ると、きみが、いまこのとき、ぼくと同じ地平に立ち、息を吸いものを想っているのだと、実感をするのです。この本は、美しく朽ちていく時計のようなもので、きみは、その時計をおいて、明日へと向かっていく、太陽のようなものなのです。


 ぼくは、きみの前では、打てば震える打楽器のようにふるまっていたかもしれないですが、ほんとうは、これくらい饒舌じょうぜつに文章を書いてしまうような、決して自我が弱くない人です。それだけは、知っておいてください。もし、幻滅してしまったなら、ここでこの手紙を読むのを止めてください。


 もしこれから先の文章を読んでくれるようでしたら、最後まで、読み切ってください。きみに愛してもらえるように、ぼくのきみへの想いを、書いていますから。

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