11. マヌールからの手紙(3)

 わたしは、あなたが政府関連の仕事に携わっているのだろうと、うすうす感じていたのですが、あなたは「そうだよ」とすぐに言いました。それは、わたしもまた官憲であるということ――あまりにも数の多い官憲のひとりであるということを、あなたも感づいていたからでしょうね。


 しかし、所属している部隊が違いますから、いままで会ったことがないのは当然です。わたしは、本庁で事務的な仕事をしていますから。人員が多すぎて、仕事なんてたいした量がないので、ほとんど暇をしているわけですが。でも、休日にしかいないあなたはきっと、現場にでている官憲なのでしょう。だから、いままで顔を見たことがなくても、不思議ではありません。


 あなたは、あの日から――半月前から任務が変わり、夕方からの出勤なのが、朝から夕方までという長時間の勤務となったようですね。あなたを、休日の午後に見ることがなくなりました。わたしは、平日にも何度か喫茶店に行くことにしています。しかし、そこであなたを見かけることは、一度もありません。ということは、かなりの日時を任務に割いているのだと思います。


 わたしにも経験があります。一部の官憲は、ある期間、長期にわたり過酷な任務に就くことになっています。半年ほど、わたしも遠方へと派遣されていました。休日は、あってないようなものでした。


 しかし、一度そうした任務を終えると、もう二度と長期間拘束されるような過酷な任務はしなくてすみます。これは習わしとしてそうなので、あなたも例外ではないでしょう。いまは、辛抱のときだと思います。


 わたしは二度と、あの喫茶店に行かないようにしました。いままで、あなたとふたりでいた時間がなくなったから、というのは、一番大きな理由なのですが、やはり、周りの眼を気にしてしまうのです。あの女はフラれたに違いない、という邪推や憐みや嘲弄ちょうろうの視線が、わたしを苦しめたのです。


 わたしはただ、あなたと休暇の時間が合わなくなっただけなのに……しかし、そんなことをだれも知りようもありませんから。


 わたしは、あなたにフラれたというように思われることが、屈辱的におもえてしまうのです。というと、自分に過大な自信があるかのように勘違いされてしまうかもしれません。わたしは、わたしたちの関係性の一面しか知らないひとたちが、偏見の眼でわたしたちをまなざし、見当外れの評価をくだすことが、耐えられないのです。


 わたしはそれから、平日休日問わず、自分の家にこもるようになりました。むかし話したか分かりませんが、わたしには母がいません。父とふたり暮らしです。


 父は「政府お抱えの小説家」という汚名を着せられており、ほとんど毎日のように、ヘンなひとたちが訪ねてきますし、悪口や戯画をかいた原稿用紙が届きます。投函されているものは、そのまま捨ててしまえばいいのですが、訪問者にいたっては、こちらが出て来るまで帰らないので困ります。


 父は、出なくてもいいというのですが、強いノックの音が朝から晩まで聞こえてくるのは、耐えがたいほどの苦痛ですし、怒号や罵声は、わたしのこころをひどく傷つけます。


 あの人たちを突き動かす衝動は、いったいなんなのか。わたしは一度、分厚い封筒に入れられた原稿用紙を読んでみました。「権力の犬にささぐ」という最初の一文を見たとき、こころが折れそうになりました。それでも、本文に眼を通してみました。


 しかしすぐに止めました。飽きたのです。この人たちは、他人に読ませるような文章が書けないのだと思いました。定義が曖昧な単語がたくさんでてきます。論理展開もめちゃくちゃです。伝わってくるのは、怒りの感情だけでした。


 わたしは破って捨ててしまいました。読み手のこころを揺さぶることのできない文章を書くひとたちに、社会を変えることなんてできないでしょう。


 わたしの父の小説を、しっかりと読んでほしいと思うときがあります。父の小説は、政府のプロパガンダを垂れ流していると言われますが、どういう風に読めばそう解釈できるのか分かりません。


 そもそも、わたしの家に政府の役人なんて来たことがありません。ただ、抵抗をしていないという理由から、「権力の犬」なんて言われてしまっているんです。そうした偏見を持ったまま、父の小説を読むから、陰謀論みたいなこじつけをしてしまうのでしょう。わたしから見た父は、弾圧の対象にならないように気をつけつつ、社会を変革できるような言葉を探して、文章を紡いでいるひとです。


 ――というような苦悩が、わたしにはあったのですが、あなたはそれを、たった一言で救ってくれましたね。それもまた、わたしがあなたを、とんでもなく好きになってしまった理由のひとつです。


 あなたを好きになることのない人生を考えると、そんなものは、生きていないに等しいものだと思います。わたしは、あなたのことが好きです。あなたは、わたしのことを、どう思っていますでしょうか。


 できることなら、今度は、主語を「わたし」に変えて、とびっきりの感情をこめて、あの一言を、わたしにください。


 だれがなんと言おうと、わたしのことが好きだ――と。

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