08. 同封されていたマヌールからの手紙
葉の上の虫を指で弾くように、暴力をふるうということは簡単で、でも、葉の上で休んでいたのに急に重傷を負わされる虫の気持ちなんて、だれも分かりはしない。
この前、あなたの部屋に行ったとき、机の引き出しが少しあいていました。悪いとは思ったのだけれど、開けてしまいました。知らない女から届いた手紙の束を見つけて、アッシュのことが信じられなくなり、文通を止めるように強く言いました。はじめて喧嘩をしましたね。
あのときは怒ってばっかりで、もしかしたら、とんでもなく酷いことを言ったかもしれない。どれだけ信頼しあう関係であったとしても、言ってはならないことがあるし、ぐっとこらえて相手を尊重しなければならないこともある、ということは、分かっているのに、どうしようもなくつらかった。
だって、わたしから好きになったあなたが、わたしを好きになってくれたのだから。
アッシュには分からないかもしれないけれど、わたしにとって、このことは、とても特別な意味を持っているの。だから、ほかの人を好きになってほしくない。その想いでいっぱいで、やみくもに、いろんなことを言って、どんなあなたの言葉にも耳をかさなかった。
あなたはあの哲学者のことを、好きになっている。彼女も、あなたのことが好き。わたしは、あなたにとって、二番目のような位置に退けられそうになっている。だから、彼女をあなたの視界から除かなければならない……そう思った。
でも、日を経るごとに、視界から消えたはずの彼女への愛情がより強く募っていき、あなたはわたしを捨ててしまう……みたいな想像をするようになってしまった。
だって、好きになってしまったひとを、嫌いになることなんて、簡単にはできないから。忘れ去ることなんて難しい。わたしにできたのは、ほかの誰かを好きにならせないこと。わたしだけを視界に入れさせることだった。
アッシュだって、反対の立場になってみれば、この苦しみが分かると思う。でも、あなたは、残酷なことに、わたしをこの立場にしてしまった。
遠い昔の記憶ほど、それも、良い想い出ほど、もう一度体験してみたくなる。人間とはそういうものだと思う。
もし、わたしが、そういう想いを、あなたに与えることができたとしたら?――わたしは、そのとき、あなたを嫉妬させ、わたしを逃したくない存在にさせることができるでしょう。そして、あなたに復讐できることでしょう。
おかしなことを言ってる?――ええ、もうわたしは、おかしいの。
わたしはむかし、国境警備隊にいたの。そんな部隊があるなんて、噂だけの話しだと言う人がいるけれど、ほんとうにあるのよ。どんな存在から、この国を護るかなんて、分からないし、知らされていない。ただ、「カスミの下」を警戒していろとだけ言われた。
この国には「下」がある。
でも、濃い霧のようなもの――「カスミ」と呼ばれるものが膜のように張っていて、なにがあるのかは分からない。
わたしは、いまから「下」へ行こうと思う。もしわたしが恋しくなったら、あなたも「下」に行きたくなることでしょう。視界の外の「過去の人」ほど、恋しくなる人はいないでしょうし。
命がけの冒険をしてみる。あなたを嫉妬させるために。あなたへの復讐のために。
さようならアッシュ。
もしもう一度会えたとしたら、そのとき、あなたの「気持ち」を……ほんとうの「気持ち」を聞かせてちょうだいね。
フレンドリア・マヌールより
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