06. フレアの二つの仮説

 あの日のフレアの講義は、科学技術と哲学の歴史をたどりながら、科学者や哲学者の言い分を検証していくなかで、この国と一部の高名な哲学者たちとの癒着を指摘するというものだっただけに、中止させないわけにはいかなかった。


 シャルロッテは「中止! 中止!」と大声で叫びながら壇上に上がり、フレアを後ろ手に締め上げるとそのまま講義室から連れ去った。


「官憲! 帰れ!」「自由を奪うな!」「消え失せろ!」という学生の怒号を、ファイオルは、天井へと銃を連射することで黙らせた。


 フレアの哲学で重視されるのは、ほとんど無批判に使われている「国」と「世界」という言葉の本来的な意味だ。それは、ぼくが説明するより、フレアの講義の記録を読んでもらう方が手っ取り早いと思う。もう一度、その一部を写してみることにしようか。ちなみに「 」でくくったところは、強調されて発音されていた部分だ。


     *     *     *


 …………前回の授業では、複製技術に対する哲学者たちの応答を見てきましたが、そこで伝えたかったのは、複製という行為は拡散と表裏一体であるという考えを多くの哲学者が認めているにも関わらず、複製技術のもつ可能性をあまりにも重視していないことです。


 実際、複製技術の使用を認められているのは、国有化された機関の中のごく一部に限られており、それは、「この世界の歴史の反省」に基づいていると政府は説明しています。


「複製技術は閉じられた空間を作ってしまう」ということを、様々な手法を使って論じてきた哲学者たちは、「もし複製技術が多くの個人が使用可能になったら?」という問いを立てようとしない。避けているように見える。


 つまり、複製技術を政府が独占的に使用していることを批判しない。批判しないからこそ、複製技術の可能性を考えることができない。


 果たしてそれが、意図的なのかどうかは、後ろにいる官憲の皆様方がよくご存じかと思いますが。


 ところで、「この世界の歴史の反省」という政府の説明において、「世界」というものは、一体なにを指し示しているのでしょうか。それは、政府の独裁的な……講義中ですから、物音を立てないでくださいませんか。ええ、わかりました。言葉遣いには気をつけますから、銃を下ろしてください。


 話を戻しますと、政府が「この世界」という表現を使うとき、わたしは違和感しか覚えないのです。わたしたちは、民族というものを否定され、国民というものへと変貌させられたわけですが、民族、国民、国、世界、という用語には、本来的に意味の違いがあると考えることは、自然なことでしょう。


 民族という呼称は、もう使われない言葉として、代わりに、国民という名称を与えられたわけですが、なぜか、国と世界に関しては、そうではありません。


 国と世界は、ほとんど同じ意味で使われています。それはなぜでしょうか。


 もしかしたら、このふたつの言葉の使用法を突きつめて考えれば、わたしたちは新しい発見を得られるのではないでしょうか。言葉の意味を考えるだけで、かの未解決問題を解決した天文学者に比類するような功績を残せるかもしれないのです。


 国と世界、どちらが先にできた言葉なのか。かりに「国」が先にできた言葉だとしたら、「国」がいくつかの条件を揃えた状態を「世界」と呼んだと推測してもかまわないわけです。


 そう、例えば、複数の国がある状態を「世界」と呼ぶなら――(講義中断)


     *     *     *


 フレアは、ぼくたちが無意識に使ってきた「国」と「世界」という言葉の使用法を徹底的に考えた末に、以下の仮説を立てた。


1 「世界」というのは、複数の「国」の集積を指す言葉であるが、なんらかの不都合があるために、他の「国」の存在を徹底的に隠蔽いんぺいしている。そして、このふたつの言葉をあえて「同義語」として残すことで、深く考えないレベルの意味(挨拶の言葉みたいに)のものにしようとしている。


2 「民族」の存在を否定し、あるのは「国民」だけだと歴史を修正した理由も、以上のことに関係している。そしておそらく、ルゾム族は、他の「国」からこの「国」へ移住した人々の末裔まつえいである。


 フレアの父・ブニエーエルは、天文学的観測によって、この「国」の上には「国」がない、ということを証明した。しかし、この「国」の下については曖昧なままだ。


 後に分かることだがブニエーエルは、この「国」の下に関する研究を依頼されていた。しかしその研究を進めていくうちに、ある驚きのを発見し、口籠くちごもることを余儀なくされた。


 ところで、フレアが拘束されるたびに、ブニエーエルは役所にやってきて、娘の身柄を引き取っていく。当時のぼくは、なんでフレアを銃殺刑にしないのかと疑問に思っていたのだが、このことも、ブニエーエルの研究に密接に結びついていたのだった。


 ところで、この時ぼくは、マヌールという女性と付き合っていた。


 あの甘い香りのする花弁に包まれたような日々のことを語るには、あまりに時間が残されていない。


 もう少し時が経てば、夜が明けそうだ。このところ朝の寒さは著しい。ぼくは三通の手紙をここに持っている。そのうち一通は彼女の「遺書」であり、あとの二つは、彼女の父からのものと、ぼくがどうしても捨てられなかった、彼女からの大切な手紙だ。


 しかし今日、焚火たきびやしとして燃やすつもりでいる。このノートにも、その内容を書くつもりはない。

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