第17話 磁性体



▼20XX年12月20日 地震雲予知研究所



「…………」


着信したメールを読んでいた香織の顔色が悪い。


「……オリビアさんからのメールだったわ」


「何が書いてあったんだ?顔色が悪いぞ。平気か?」


岡田の言葉に、香織は首を横にふった。


「……大丈夫。ただ、植物が、アルカロイドの代わりに作り出していた有機化合物の正体が分かったことが書かれていたわ」


「正体?」


「それが何か……」


不思議そうな岡田と島田に、ゆっくりと香織は答えた。


「有機化合物の正体は――磁性体だったの。有機磁性体。それもコバルトなどの金属を含んだことで強磁性体になっていたわ」


「有機磁性体?」


岡田は、地核やマントルの専門家だが、磁性体はあまり詳しくないのだろう。


「それともう一つ……この強磁性体は、軟磁性体と硬磁性体、どちらかの性質を持っていたの。割合は、軟磁性体が1以下、硬磁性体が9以上で圧倒的に硬磁性体が多い状況のようだけれど……」


やはり岡田と島田は不思議そうなままだ。


「結論としては、未知の化合物、と言われていた有機化合物が有機磁性体だった、ということですよね?それって、何か深刻になる問題を抱えているんですか?」


島田の横では岡田も状況が分かっていない表情をしている。そして、島田の問いに香織は小さく頷いた。


「ええ……そうね。順番に説明していこうかしら。じゃあ、島田君に尋ねるけれど、磁性体を説明できる?」


「磁性体ですか?そりゃあ……確か、磁気を帯びたもの、でしたっけ?」


地磁気の研究を行っている会社に勤めているだけあって、島田は基本的な知識はもっていた。


「ざっくりすぎるけれど、間違いではないわ」


そして、磁性体にあまり詳しくない岡田のために、香織は説明を始めた。


「磁性体とは、その名の通り、磁性のある物質を指すわ――」


磁界磁場の中で磁気を帯びる磁化させる物質を磁性体というが、大きく分けると3つに分かれる。


一つが、常磁性体。ある物質に外部から磁界をかけると、ごく弱い磁気を帯びる物質のことだ。外部からの磁界がなくなれば磁気は残らない。主な物質としては、アルミニウムや白金、空気など。


二つ目が、反磁性体。常磁性体とは違い、外部から強い磁界を加えた際に、その磁界と反対方向に極めて弱い磁気を帯びる物質だ。常磁性体と同じく外部の磁界がなくなれば磁気も失われる。主な物質としては、水、銅、亜鉛などが該当する。


最後、三つ目が強磁性体だ。外部から磁界を加えることで、強い磁気を帯びる物質のことだ。主な物質は、鉄、コバルト、ニッケルなどがある。基本的に、磁石に引っ付くものが強磁性体となる。


そして、生体を考えてみると、人間の体は磁石に引っ付かないのを見ても分かるように、強磁性体ではない。植物も同じだ。ただし、細胞内に含まれる水やたんぱく質は反磁性の性質を持ち、骨や血液は常磁性の性質を持っているので、磁性がゼロということではないが、ほぼゼロに等しいと考えてよい。


とはいえ、生物で強磁性の性質を持つものもある。マグネタイトFe3O4などを蓄積できる、特殊な原生生物に限られるが……もっとも、そうした強磁性の性質を持つ生物であっても、その磁気の強さは、無機物の強磁性体ほど強くはない。ヒトの脳内にも、マグネタイト類似の結晶が抽出されるようだが、もちろん強い磁気は示さない。もしそんなことがあれば、磁気共鳴画像診断装置MRIを受けることができなくなる。


植物も同様で、例えば、ほうれん草は鉄分を豊富に含むが、だからといって強磁性体というわけではなく、磁石に引っ付くこともない。有機物を特徴づける炭素―炭素結合には自由電子が存在せず、電子のスピン自転運動磁気モーメントによる電荷の移動が発生しないからだ。


そのため、磁性体とは、そのほとんどが無機物を指す。しかし最近は、機能性高分子の研究が進み、低温環境下ならば、人工的に有機磁性体有機磁石を作ることができるようになった。


しかし、実際には常温下において強磁性体の働きを持つ有機磁性体を人工的に作ることはまだできておらず、当然、自然界にも存在しない。


ところが今回、植物が作り出した有機化合物は、この強磁性体だった、というのだ。


オリビアのメールにも、自然界の植物自身が強磁性体の性質を持つことは、ホゼ教授からの報告でなければとても信じられる話ではない、との注釈がついていた。


「――だいたい理解できたが、強磁性体だと何か問題を抱えているのか?」


「そうね。今回の有機化合物が持つ強磁性体のほとんどが、『硬磁性体』の性質を持っていたことが問題なの」


「硬磁性体?」


岡田が首を傾げる。


「強磁性体は――例えば、磁石に鉄を近づけるとくっつくわよね」


「ああ」


「その状態で、釘を近づければ鉄の方にも釘はくっつくわ。でも、鉄を磁石から外すと、鉄の方に釘はくっつかなくなる。これは、鉄が『軟磁性体』だからなの。磁界を遠ざけると磁力を失う性質をもっているから」


一般的に、磁界を遮断するためには、この軟磁性体の素材が使われる。磁界の強さと方向を一本ずつ線の束であらわしたものを磁束じそくというが、強磁性体はこの磁束を吸収する性質を持つ。鉄は、磁界から遠ざければ磁性を失うため、磁界を遮断する方法で使われることが多い。例えば、磁石の保管の際、磁石を鉄で作った箱に入れ、さらにダンボールで梱包することで磁気を外に漏らさなくすることができる。


「それに対して、『硬磁性体』は、いったん強い磁界の中に入れて、磁性を帯びさせれば、その磁界から遠ざけても、磁気を帯びたままになるわ。永久磁石などのことね」


1930年、日本のある治金学者が、鉄にニッケルを加えたニッケル銅の合金にアルミニウムを加えることで永久磁石になることを発見した。さらに、そこにコバルトなどを加えて改良した結果、強磁性合金が発明された。


ちなみに、一度、永久磁石になっても、一定の温度キュリー温度まで上げることで、磁力を失わせることができる。もっともその温度は数百度以上で、かなりの高温だから自然に存在する状態で永久磁石が磁界を失うことは、あまりない。


「まとめると、今、植物のほとんどが、硬磁性体の性質を持つ強磁性体となっているということ。これは分かったわよね」


「ああ」


「はい」


岡田と島田は頷いた。


「そして、硬磁性体は、それそのものが磁界を生むから、植物が地球の地磁気の影響で「永久磁石」と同じ状態になれば、磁界の元――磁気を生み出す元となっているかもしれない、ということ。これも分かるかしら」


「……ということは、まさか、今、磁極からの磁力線が少なくなっているのに、赤道を中心として地磁気が増えているのは、植物が永久磁石化していることが原因だというのか?地球の核の動きとは関係なく?」


「ええ。理論だけで考えれば、その可能性があるわ。ただ、いくら植物が強磁性の性質を持ったとしても、一つ一つの植物から出る磁力は無機質のものと比較すると格段に少ないわ。もちろん、量だけで見れば膨大な量があるから、実際の影響がどうなのかは、これから検証していくことになるのだけれど……それより、オリビアさんが気にしていたのは軟磁性体の方よ」


「え?それは……」


「オリビアさんは、藻類――植物プランクトンの専門家なのだけれど、世界の海は海流で循環されているから、なぜ極点付近の海の藻類が、アルカロイドの生成を行わないのかが疑問だったらしいの」


「それは……海水温が低いとか?」


「そうね。もちろん、その辺りはいろいろと研究したそうよ。それで結論としては、もともとラン藻とか藻類は低い水温でも生育は可能だし、今は温暖化の影響で北極海も氷で覆われている期間が短くなっているから、光合成をしない理由がない、つまり他の地域と同様に新種アルカロイドの生成を行わない理由がないはず、ということだったわ」


冬の北極海は白い氷不透明なに覆われている。その氷は光の反射性に優れているので、氷の下の海中は真っ暗な世界だ。氷が割れたわずかな隙間から漏れてくる光を利用して光合成は行われているが、多くの植物プランクトンは休眠状態になる。


「それに、北極海には東グリーンランド海流が流れ込んでいるから、藻類も移動しているわ。だから、北大西洋で確認されたアルカロイドを生成していた藻類が北極海まで流れてきても不思議じゃないの」


オリビアは、世界の海がつながっているのに、北極海で採取される藻類が、なぜ新種アルカロイドを生成しないのかを考えていたようだ。


「実際、他の海で新種アルカロイドの生成を行っている藻類を北極海に持ってくると、その生成を止めるのだけれど、それを元の場所に戻すと再び、アルカロイドの生成が始まったわ。それは、最初から北極海にいる藻類を他の地域に持って行っても同じ結果だったの。これは、南極も同じ状況だったことが確認されているわ」


藻類が、アルカロイドの生成を行う原因は、藻類そのものもよりも「場所」の影響が問題であることが分かる。


「そして、今回、有機磁性体の生成に切り替わったことが分かってから北極海の藻類を調べると、同じように有機磁性体、それも硬磁性体ではなく、軟磁性体の方の生成を始めていることが分かったの」


当初香織は、その理由として植物が地磁気の影響を受けているからとも考えたが、それでは説明がつかないことが多い。逆に、植物が地磁気に影響を与えている、とした方が、データ上はすっきりする。


「オリビアさんは、今回、植物たちは地磁気とかの影響を受けて――受動的な反応の結果、アルカロイドや有機磁性体を作り出しているのではなく、能動的な行動の結果が現れているのではないかと考えているみたい」


このオリビアの考え方は、香織の直感も、それが正しいと告げていた。


「だから、北極海の藻類たちも、何らかの『意図』を持って軟磁性体を作っているんじゃないかって、疑っていたわ」


「その意図って……?」


「もしかすると、だけれど、極点付近の磁場が弱まっているのは外核の影響に加えて、この軟磁性体となった藻類も関係しているんじゃないかしら?」


「藻類が、磁界に影響を……?」


「そう。さっき説明したように、軟磁性体は磁界を遮断する目的でも使われているから……」


「そうか!磁界の遮断――つまり、N極からS極への磁力線の流れを阻害している、ってことか!」


「ええ。もともと、地球の磁界は、それほど強くはないから、磁力線が少なくなってさらに弱まった状態なら、そこに影響を与えるのは可能なんじゃないかしら?」


地磁気の強さは、磁束密度(単位:テスラ)で現されるが、10億分の1となる「ナノ」の単位が使われるぐらいの強さしか持っていない。身近なもので比較すると、肩こりなどによく使われるマグネットで地磁気の数千倍の強さがある。数十トンの車体を持ち上げるリニアモーターカーの磁力は、地磁気の10万倍だ。


そして、強くない磁力ならば、その強さに見合った力があれば干渉することは可能だ。


「それが本当なら……えらいことになるぞ」


ようやく、島田もことの重大さに気が付いたようだ。顔色が青くなる。


「……今、海、陸を問わずに、植物のほとんどが、その体の中に強磁性体の働きを持つ――地球の磁場に干渉できる有機磁性体を持っているわ」


香織の言葉に、島田がポツリと呟いた。


「つまり地球は――地球は、今、磁場に干渉する植物たちで覆われた状況にある……ということか」


「そう。もし本当に植物が地磁気に干渉を続けたら……」


「続けたら……?」


香織は岡田を見つめた。


「地磁気への干渉がどのような結果につながるのかは、分からない。分からないけれど……少なくとも、地球磁気圏とヴァン・アレン帯に良い影響があるとは考えづらいわ。最悪のケースだと……地球磁気圏が失われるかもしれない」


もちろん、地球全体が隙間なく植物に覆われているわけではない。だが、海上と陸上の緑の部分を足した範囲は地球のほとんどを占める。干渉の影響範囲は地球全体と考えた方が良く、その影響する内容は、あまり考えたくない。


地球磁気圏の形が変われば、地球を守るバリア機能が低下するかもしれないし、ヴァン・アレン帯が影響を受ければ、有害な宇宙放射線が地表に届くようになるかもしれない。


何より……


「も、もし磁気圏がなくなったら……」


「そうね。大きな太陽風がくるたびに、地球上からは多くのものが吹き飛ばされて失われる。生命も海も、もしかすると空気も。最終的に地上には、土以外、何もなくなるかもしれないわ」


青い地球が、月と同じような状態になる――島田と岡田は同じイメージを脳裏に浮かべていた。暗闇の宇宙に浮かぶ、灰色の星のイメージを……




▼20XX年12月22日 シチュエーションルーム(アメリカ合衆国国家安全保障会議)



夕方に急遽、招集された会議は、出席者の多くが何が議題なのかを分からずにいた。事前に配布されるはずの、簡単なレジュメも用意されていない。


LBWW作戦は成功したと聞いている。これまで新種のアルカロイドを生成していた植物の99%が、その生成をすでに止めている。遠洋では、小魚の姿も確認でき始めた地点もある。長期予測では、来年の夏ころには、食糧事情は大きく改善できる見込みだったはずだ。


少なくとも、状況が悪化した話は漏れ伝わってはこない。それなのに突然の招集だ。多くの出席者が、不安を抱えて会議に臨んでいた。


最後に大統領が席につくと、冒頭、大統領の発言から会議が始まった。


「今日、これから話す内容は、国家安全保障情報の秘密指定に該当する。今回は後での異議申し立ては受付けない。いや受付ける時間がない、という方が正しいか……異議があるものは、会議が始まる前に退室を認める。もちろん、職務規定に基づく一切の処罰はないから安心してくれ」


大統領の言葉に、出席者のほとんどが驚きの表情で大統領を見つめた。過去の会議で、同様の秘密指定の話が冒頭からあり、なおかつ処罰なしで退席を認めるといった経験は、誰もないからだ。通常、秘密指定の有無に関係なく、国家安全保障会議の内容を、許可なく外で発言することはできない。服務規程違反以前の問題だろう。それに……国家の要職につくメンバーの義務は重い。退席など論外だ。


「受付ける時間がない」との大統領の発言から緊急性が高いこと、さらにbad news悪い知らせであることは予想できた。そして、誰も席を立つものはいなかった。


皆が着席したままであることを確認した大統領は、会議を始めた。


「では、会議を始める。オリビア女史」


今日は、オブザーバーとして後ろの席からの参加ではなく、最初からオリビアはテーブルの席に着いている。


「では、私から説明させていただきます。質問は、随時、発言してください」


出席者の多くが頷く。


「先日、植物がアルカロイドの代わりに作り始めた未知の化合物の正体が、有機磁性体であることが分かったことをホゼ教授から報告を受けました」


そして、オリビアは今回の未知の化合物が、軟磁性体、硬磁性体のいずれかの性質を持つ強磁性体であること、さらに、そのほとんどが硬磁性体であることを説明した。


「この情報を、前から今回の件で意見交換してきた日本の研究者に送りました。彼女は地磁気の専門家で、地磁気と藻類の新種アルカロイドの生成との相関関係について早い段階で指摘していました。その彼女から、驚くべき仮説が戻ってきたのです」


「その仮説とは、何だったのかね?」


事前のレクチャーは大統領のみに行われていた。そのため、話を聞いていない副大統領がオリビアに尋ねる。その様子を、大統領は腕を組んで静かに見ていた。


「現在、植物が作り出している有機磁性体は硬磁性体の性質を持つ強磁性体です。この状態が続くならば、間もなく地球の磁気圏は大きく姿を変えることになります」


「地球の磁気圏が姿を変えると、何か影響があるのかね?」


「磁気圏は、太陽から放出されているプラズマや、有害な宇宙放射線から地球上を守るバリアの働きがあります。万一、バリアの役割が果たせなくなるような形に変われば地球上の全ての生命の危機を迎えます。人類だけではなく、バクテリアも――そして植物も」


出席者の半数は驚きの表情でオリビアを見つめた。残りは磁気圏の役割を認識していたのだろう。


「ちょっと待って欲しい!ようやくアルカロイドの問題が解決しつつある時に、まさか今、人類は再び存亡の危機に瀕している、というのかね!?その情報は確かなのか?」


驚きのあまり、副大統領は立ち上がっていた。


「彼女――ドクター・カオリから送られてきた情報は、こちらでも地磁気の専門家に検証を依頼しましたが、現在の地磁気観測ネットワークから得られるデータと我が国で独自に観測しているデータは、それを裏付けました。私は、その仮説を確度が高い警告と受け止めています」


オリビアは、ロバート海洋漁業局局長と相談、今回、香織から送られてきたデータを、アメリカ海洋大気庁のトッププライオリティ最優先課題の指定を取った上で、アメリカ地質調査所USGSナチュラル・ハザード危機的な自然現象のチームに検証を依頼していた。


「ここからは、USGSのナチュラル・ハザード対策チームのチーフ、アンソニーに説明してもらいます。ミスター・アンソニー、お願いします」


そして、オリビアの後ろに控えていたアンソニーが立ち上がった。


「地質調査所のアンソニーです。よろしくお願いします」


軽く一礼してからアンソニーは、手元に持ったタブレットを操作した。


「現在、中緯度帯――南北ともに70度の緯度の範囲ですが――地磁気は上昇を続けています。昨年から地域によって多いところで40%の範囲で下がっていたのですが、今は、全地域が回復、さらに増加を続けています。下がる前の数値から25%増加したポイントもあります」


テーブルの正面に設けられた大画面のモニターに、世界地図と共に、地磁気の数値の遷移がアニメーションで映し出された。


「私のチーム――ナチュラル・ハザード対策チームで、数値が上昇を始めてからのデータを検証したところ、このまま地磁気が上昇を続けた場合……23日零時から60時間以内に、地球磁気圏が深刻なダメージを負う恐れが高いと結論付けました」


「深刻なダメージとは何かね?」


「はい。本来、地球磁気圏は磁極から――N極となる南極からですが――円形上に北極に向かう磁力線で地球全体が覆われています。この磁気圏の中央部が、内側から押し出されるような形で歪む恐れがあります」


モニターに、地球と磁気圏の画像が表示され、赤道付近を中心にその円形状の形が膨らみ歪み始めた。


「本来、有害な宇宙放射線を防ぐヴァン・アレン帯は、地球磁気圏に沿うような形で形成されていますが、地球磁気圏自体の形が歪むことで、ヴァン・アレン帯の形も歪になり宇宙放射線を透過させることが考えられています」


「その宇宙放射線が透過することになると、どうなるのかね?」


副大統領が尋ねる。


「過去に、同様の事例が起きたことはなく、あくまでシミュレーションに基づいた予測ですが……地表は少なくとも180日後には地球上の9割の生命体は死滅する恐れがあります……もちろん人類は全滅です」


「半年……」


誰かが小さく呟いた。


ISS国際宇宙ステーションでは、大気の影響がないことも関係していますが、半年間の滞在で100~200ミリシーベルトの被曝を受けています。今回、ヴァン・アレン帯が機能しなくなることで地表での被曝量は、ISSでのさらに1,000~10,000倍が想定されるため――半年で20シーベルトから200シーベルトの総被曝量となります。これを吸収線量で換算すると25から250グレイとなりますので、生存は不可能かと。高レベルの放射線防護施設にいる人を除けば、最短で30日以内で全数死亡となる恐れがあります」


今回は、一気に高放射線を浴びるわけではない。継続した影響だ。しかし、おおよそ1.5グレイを越えると人は死亡する可能性があるとされている。10グレイでの死亡率は100%だ。アンソニーの説明に、全員が沈黙した。あらかじめ説明を受けていた大統領の顔色も悪い。


「このヴァン・アレン帯の問題とは別にもう一つ。今回、極点付近では、地磁気は減少を続けています。少し前から、北極点を通過する航空機から頻繁に、磁気コンパスの異常が報告されています」


極点を通過するときだけ起きる現象に、パイロットからは何か地球に異常が起きているのではないかという、不安の声が高まっている。


「この状況に硬磁性体となった藻類が関係している疑いがあり、現在、検証を行っています。そして、それとは別に、少し前から地球の外核の動きに変動が出ています」


「地球の外核……?」


「はい。地球の中心部にある核は固体の内核と液状の外核に分かれているのですが、鉄を主成分とする液状の外核が動くことで――いわゆる発電機のように――地球の磁気圏を生み出している、と考えられています。この外核の動きが鈍ることで、N極から放出される磁力線が低下しているのではないかと考えています。実際、その低下については、私のチームでも確認ができています」


「確認したいのだが、この外核の変化による影響は、今回の植物の動きとは、全く別のもの、と考えてよいのか?」


顔の前で、両手を組んで問いかける大統領に、アンソニーは答えた。


「その考え方で間違いありません、大統領」


「話が見えづらいのだが……その外核の動きは、今、何か問題になるのかね?」


「はい。副大統領。この外核の変化については、今回、ドクター・カオリの共同研究者から、ポールシフト極移動の可能性を指摘するレポートの提出を受けました」


「ポールシフト……?北極と南極が逆転する、というあれかね?」


「それは、ポールシフトの中の一つの現象です。磁極――N極とS極の移動や、自転軸の移動など、ポールシフトには、いろいろあります。今回は、磁極の移動について、その日本の共同研究者から指摘がありました」


アンソニーは、ポールシフトのモデル図について、いくつかのアニメショーンを使って説明した。


「その指摘について、私のチームで最新のAIを使った検証を行ったのですが……90%以上の確率で、その可能性に同意する、という結果が出ました。南極と北極が入れ替わる、という大規模なものではありませんが、恐らく、数百キロ程度は、磁極の位置がずれる恐れがあります……そして、その磁極がずれる際には、いったん、N極からの磁力線の放出が中断すると思われます」


出席者の全員が黙ってアンソニーを見つめている。そして副大統領が代表するかのように質問をした。


「もし、もしもポールシフトが起きるとしてだ、それはいつ起きるのかね。それと起きた場合の影響は分かっているのか?」


「タイミングは……地球磁気圏の影響を受けるタイミングとほぼ同じになります。最短で12月25日、最長で12月27日との予想です」


「あと三日?」


先ほどと同じく、誰かの小さな呟きが聞こえる。


「ポールシフトが、起きた場合の影響ですが……N極から磁力線が一時的にでも放出されなくなる、ということは地球磁気圏が一時的に消失することを意味します。どれくらいの期間、その消失した状態が継続するのかは、データが不足しており推測しかできませんが……おそらく年単位、それも百年単位ではないかと考えられています」


数百年、という言葉に反応して、誰かが、ごくりと喉を鳴らした。


「さらに、問題は……数日前から太陽の黒点活動が活発化しているので、2週間程は強い太陽風が地球に到達する見込みです」


オリビアは、香織から送られてきたデータに添えられていた見解の中に書かれていた太陽風のことを思い出していた。


「地磁気消失が継続した状況で、地球が強い太陽風に長時間――48時間以上さらされるようなことがあれば……地表の生命体の99.99%が死滅することになります」


出席者の全員が、最初に大統領が、この会議を秘密指定すると宣言した意味合いを正しく理解した。クリスマス直前になった今の段階で、最悪の場合、新年を迎えることができないことを宣告されているからだ。


とはいえ、今、説明を受けている「未来」は、必ず起きることが確約されているわけではない。過去に経験がない以上、全てはAIを用いた確度が高い(と思われる)推測だ。もしも、その可能性が高い、というだけで、「残り数日で滅亡するかもしれない」という情報を公表すれば、人々が混乱するのは火を見るよりも明らかだ。「最悪の場合」という仮定の状況を、暴動などにより人為的に引き起こすようでは元も子もない。


ただ……


本当に「最悪の場合」を迎えた場合、今の説明では、人類が負う傷は回復不可能なものとなる。そして、その「最悪の場合」に至る道は、複数が「提示」されている。


ヴァン・アレン帯の消失が先か、地球磁気圏の消失が先か……


どちらにしろ、人類は生き残ることができない。


「誰か、教えてくれないか……」


突然の大統領の言葉に、皆が注目した。


「なぜ、人類はそんなに嫌われたのだろうか……」


誰も言葉を発しなかった。そして、大統領が口にしない「Who誰か」が何を指すのかは皆が理解していた。


そして――オリビアは考えていた。


植物が能動的に「行動」していると仮定すると、その目的は何なのだろうか。人類を滅ぼすこと?それとも……


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