第16話 磁気圏
▼20XX年12月20日 北極圏上空
成田からロンドンに向かうB777は、
温暖化が進んでいる北極海は、海氷域が少なくなったため、10月までは船の航海が可能になっている。もっとも12月になった今、コックピットから見える北極海は一面が流氷に覆われていた。水平線は、淡い青空と流氷の間をオレンジ色の美しい線が境界線を成している。間もなく日の出の時間だ。
「北極海も見納めか……」
「え?
「いや。世間も騒がしくなっているから、そろそろ家族と過ごす時間を増やそうかと思ってね」
「ということは……」
「ああ。来年の春までに退職するつもりだ。ロンドンのあとは、ゆっくり貨物便を
「そうですか……」
長谷川は、機長の木村の言葉を羨ましく思った。海外へのフライトのたびに、家族からは不安の言葉が聞こえてくる。もちろん、今の状況なら、それも仕方がない。リタイアできるなら、自分もそうしたいものだ……
植物の反乱?……フライト先のアメリカで、最初にその話を聞いた時には、何を言っているのかと思ったものだ。魚介類の異常死についてはニュースで知っていたが、それがなぜ植物の話に繋がるのか?しかも「反乱」という言葉が使われていたことが理解できなかった。
それでも……ネットで取り上げられる有象無象の話の中で、真実に近いものを拾い上げることができたのは、政府のアナウンスが大きかったのは確かだろう。それがなければ、どの情報がフェイクニュースなのかを判断することは難しかったに違いない。
いつもなら口を濁すような内容を、世界各国が足並みを揃え訴えたことは、大きな混乱も引き起こしたが、同時に、人々の理性も働かせてることができた。
世界中で、核爆発や散布によって、放射性物質が地表とそして海上に撒かれたが、どうやらその成果があったことは、先日、ニュースで大きく取り上げられていた。若干の抵抗は覚えるが、嘆くよりも喜ぶべきことなのだろう。
上手くいけば来年の夏には、再び生野菜が食べられる日がくるそうだが、果たして本当なのだろうか……
国連からは、世界の各地で立ち昇った
半年前の生活が幻のように思える……
「おい!」
物思いに
「
木村が指さす、操縦席前方に並ぶ計器類の一つが、今、右に左に不規則な動きをしている。それも激しい動きだ。
「フライト前の、
そして、
マグネチックコンパスとは、簡単に言えば方位磁石だ。航空機が進む方向は機械的にコンピュータが監視しているが、機械だけに不測の事態が起きる可能性がある。そうしたときに、予備計器として使われるのがマグネチックコンパスだ。
構造は単純で、コンパス液が満たされたコンパスケースにフロート型のコンパスカードが納められていて、地磁気を検出して方位が得られる。
進行方向を変えた場合や、減速や加速の際に動きがみられるが、安定飛行している状態では動きがないのが普通だ。
二人は、急いで位置把握システムを確認するが、衛星および地上の基地局からの信号も滞りなく正常に受信している。その他のシステムにも問題はない。
マグネチックコンパスは、他の機器をバックアップする要素が強いので、システムが正常に動いているならば、仮に故障したとしても緊急の事態に陥る心配はない。だが、単純な機器だけに、そう故障が起きる機器でもない。
「あれ、機長?……戻りましたよ」
チェックを続けている最中に、長谷川は、いつの間にかマグネチックコンパスの動きが元に戻ったことに気が付いた。
「……正常かどうか確認してくれ」
木村の言葉に長谷川は、他の計器の数値と見比べるが、示す方位に問題はないようだ。
「大丈夫みたいですね」
過去、飛行中にマグネチックコンパスの不良は二度ほど経験したことはあるが、フライト中に自然と戻ったことはない。
釈然としないものを感じながら、木村の指示を受け、長谷川は最寄りの管制塔への報告のため、通信装置を起動させた。
▼20XX年12月20日 地震雲予知研究所
「オリビアさんから、メールがきたわ。植物の新種アルカロイドの生成は、世界中でストップしたみたいよ!」
「やったな」
「本当ですか?」
弾む香織の声に、岡田と香織の研究所の職員である島田は、作業の手を止め、それぞれ喜びの声を上げた。
最初に、魚介類の出荷停止が始まったのは8月の下旬、4か月前のことだった。そこから坂を転げ落ちるかのように、事態は悪化の一途をたどってきた。今では、食糧は完全に配給制だ。それも、需要は変わらぬ量で必要なのに、供給だけが先が見えずに途絶えた今の状態では、人々に暗い影を落とし続けている。
そんな中、「核」を用いた解決法は、毒を以て毒を制す側面に理解は示されたものの、一定の被曝を許容した上での作戦だったため、多くの日本人にとって受け入れがたいものがあった。
それでも……
今回の成果は、多くに人々に希望を与えることになるのは間違いないだろう。今も続く、強硬な反対意見も下火に向かうはずだ。
「問題はまだ山積みだけれど、食糧問題に明るい兆しが見えたのは良いことだわ……ところで、LBWW作戦を実施以降の、作戦場所と地磁気の連動はどう?」
「あと少し待ってください」
島田が再び作業に戻り、パソコンを操作しながら答える。オリビアからLBWW作戦の詳細データが届いたのは昨日だった。もちろん、この作戦は隠れて実施されたわけではない。全てがオープンに行われたのだが、放射性物質に対して過剰な反応を示す人たちが一定数いることから、放射性降下物質をはじめとしたモニタリングデータは、全地域がまとまった上で、先日、ようやく公開されたのだ。
今は、そのLBWW作戦の実施ポイントに地磁気の変動状況を重ねた解析をAIに行わせているところだ。あと少しで結果が出るようだ。
そして、先ほどオリビアから、植物の有機化合物の生成に関するモニタリングのデータが送られてきたのだ。
全世界中のモニタリングポイントの99%で、新種アルカロイドの生成が止まり、代わりに未知の有機化合物――分析結果は、いずれも同じものが――の生成を始めたこと、その新たに生成を始めた有機化合物は今のところ可食に問題はないことなど、オリビアの方で確認できている内容が詳しくレポートされていた。
オリビアから追加で送られてきたデータも、できるだけ早く解析に取り掛かりたい。
「信一郎の方はどう?」
先日よりも、外核のデータの動きが激しくなり、しかもその動きに不穏な部分が見られたため、岡田は香織の事務所で、直接、地磁気のデータとの検証を行っていた。守秘義務が関わるデータもあるが、その守秘レベルは高くない。官庁への申請は事後でも許されるから、今は分析を優先していた。
「外核の密度が上がっているのか、流動の動きが落ち続けている。原因は分からないが、もし外核の密度が上がっているのが確かなら、内核の一部が外核に取り込まれている可能性がある」
「内核が?」
香織は地磁気の研究を行っている関係で、地球の核についての知識はある程度あった。
「ああ。少なくともプレート関係の方は特に動きが見られないから、外からの圧力が変化したとは考えづらい。ならば、内核で何かが起こったことで、外核の密度が上がって、地磁気を減少させているように思うんだ」
そう。今、地球の地磁気は極点において減少を続けている。10日前には10%ほどの減少だったのが、最新の観測データでは減少幅は40%まで広がっている。
磁力線はN極から出て円形を描きながらS極へと向かう。
方位磁石では北をNと表示するため、北極がN極と考える人が多いが、実際には北極がS極で南極がN極だ。
地球は、南極から北極に向けて流れる磁力線により、全方向をドーナツ状に取り巻かれている。この磁力線の流れが地球の
今回、
「でも……赤道付近、というか、これまで地磁気が減少していた南北70度前後までの地域は、地磁気が元に戻りつつあるわよ」
核爆発に関係していると思われる地磁気の変動は、ここ一年以上、減少に向かっていた地域の地磁気の数値を明らかに回復させていた。
もし、外核運動の影響によって地球の地磁気そのものが減少傾向にあるならば、極点から流れ出すドーナツ状の磁力線の流れも「痩せる」はずだ。しかし、今の地磁気の数値は、南北の極点以外は減少傾向にはなく、逆に回復――いや、増加傾向にある。
「外核の密度が上昇して、流れが悪くなれば――発電機の動きが悪くなるわけだから、地磁気は減るはずなんだ。実際、極点での地磁気は減少しているし」
香織は頷いた。
「でも実際には、極点が減少、それ以外は増加、というわけが分からない状況になっている。核爆発による影響は確かに分かるが、エネルギー量からいっても一時的なはずだろう?」
確かにそうだ。一週間前には、香織も核爆発によって地磁気に変動をもたらしても不思議でないと思っていたし、最初の核爆発実験時に該当地域の地磁気が上昇したことは、それが答えだと思っていた。
しかし、岡田が言うように、その影響が見られても、数日も経てば元の状態に戻るはずだ。特に極点から出ている磁力線が減少しているなら、なおさらだ。LBWW作戦は二日間実施されたわけだが、その影響が一週間以上経った今も続いているとは考えづらい。
「じゃあ信一郎は、今の地磁気の動きは、何が関係していると思うの?」
香織の問いに、岡田は少しの間をおいてから慎重に答えた。
「……断言できる証拠はないが、ポールシフトを疑っている」
「え?またポールシフト?……本気で言っているの?」
香織が素っ頓狂な声を上げるが、それも仕方がないだろう。ポールシフトは、今まで実際に観測されたことがない現象だ。その痕跡は見つかっていても、「何が原因で」「どのように起きるのか」「どれくらいの期間で起きるのか」「どういった影響をもたらすのか」それらの疑問には、推測はされていても何一つ答えが見つかっていない。
確かに、前に話した時も岡田はポールシフトのことを口にしていたが、本気でそれを疑っているとは……
「今、これまでの経験則が当てはまらない現象が起きようとしていることは分かるよな?」
「ええ。それは分かるわ」
いつの間にか白熱しはじめた二人の議論を、作業の手を止めた島田もじっと聞いていた。
「コンピュータのシミュレーションでは、ダイナモ理論で地磁気の逆転を再現できるんだが……その場合、地球の核の流れが逆転しなくても地磁気が逆転することが分かっている」
「それは、どういうこと?」
「外核の動きが逆転するから地磁気が逆転するのではない、ということなんだ。分かっているのは、外核の動きに変化があるとポールシフトの可能性がある、ということかな」
香織は、岡田が考えていることが朧気ながら分かってきた。
「ということは、今の地球の核の動きが、シミュレーション上の地磁気逆転と似ている、ということなのね」
「ああ。もちろん、そのシミュレーションは理論上のもので経験則からくみ上げられたものではないけれどな」
横で黙っている島田の顔色が悪い。
「それに、今回の外核の動きがポールシフトとは関係なかったとしても……地磁気を減少させていることは確かだ。もし、このままのペースで極点部分の減少が続いたなら、どうなると思う?」
「そ、それは……」
香織は言葉を詰まらさせ、青くなった。
確かに、地球の磁場を生み出す原動力である地球の「核」の動きがどんどん遅くなれば、南極から発生している磁力線はその動きに合わせて減少を続けることになるだろう。そして、磁力線が減れば同時に磁気圏も小さくなる。
万一、磁気圏がなくなればどうなるのか……考えたくもない。
太陽風とは宇宙に吹くプラズマの嵐だ。常に吹き荒れる嵐ではないが、地球は磁気圏によって、その時折吹く猛烈な嵐から守られている。もし、磁気圏が失われれば、時速180万キロで押し寄せる毎秒100万トンもの質量で放出されるプラズマは、地球の大気を吹き飛ばすともいわれている。さらに、磁気圏で形成されているヴァン・アレン帯も消滅する。そうなれば、宇宙から絶え間なく降り注ぐ放射線が地表まで到達することになる。
いずれにしても、地上の生命体は、ほとんどが生き残れなくないだろう。
「あ、所長。解析結果が出ました!」
その時、二人の会話を聞いていた島田が声を上げた。岡田の話に衝撃を受けていた香織だが、気を取り直して島田に尋ねた。
「そう……それで?どんな結果だった?」
「そうですね……」
パソコンを操作しながら島田が答えた。
「LBWW作戦の実施ポイントと、地磁気が増加したポイントは、ほとんどが重なりますね」
そして、モニターを香織の方に向けた。地球の展開図が、右上のタイムスケールに合わせて、色を変えていく。
「作戦後の時間経過と地磁気の上昇割合を可視化してみました。作戦後、最新のデータまで、作戦があったポイントを中心に地磁気は増え続けていますね」
「……信一郎」
「ああ」
その結果を見ながら、香織は岡田に声をかけた。先ほどの話を裏付けるような結果に、香織の声は小さくなった。
磁極(南極・北極)での地磁気の減少とは関係なく、作戦の影響――つまり核爆発の影響が地磁気を一時的に増加させていたならば、どこかでピークを迎えた後は、減少に向かうはずだ。しかし、地磁気は今も少しずつ増え続けている。
それに……
「前よりも増加しているわ……」
これは、明かにおかしい数値に思える。最新の数値をよく見れば、下がり始める前よりも増えていることが見て取れるからだ。
地球の磁気圏を図式化すると、通常は、南極から北極に向かって円の形で磁力線が向かっていく。正しく言えば、磁力線が出入りしている場所は、南極、北極の極点ではなく、さらに、その地点はゆっくりと移動しているのだが……
リンゴに例えてみると――地球は、リンゴの種がある
今は、南極からの磁力線が減少している状態にあるので、極点部分――それは出ていく
しかし、磁力線が減っているにも関わらず、なぜか地球を覆う「リンゴの実」は元の大きさを保っている状態だ。
もっと言えば、最近の動きは、磁力線が減少していなかったときにリンゴの実は痩せて、磁力線が減少し始めてから元の大きさに戻っている。どう考えてもおかしい。普通は逆だ。
なぜ、地球の磁気圏は、常識で考えづらい動きをしているのだろうか……
チャラン
すると、パソコンからメロディ音が聞こえてきた。メールが着信したようだ。
「ちょっと、待って」
そして香織は、モニターを操作して、着信したメールを開封した……
◆◇◆◇
香織が、メールを開封する少し前――
オリビアは、スタンフォード大学内にある自分の研究室にこもって、世界中のモニタリングポイントから送られてくるデータを集計していた。
状況は悪くはない。いや……好転したといって差し支えないだろう。
植物のほとんどは、新種アルカロイドの生成を止めた。この成果ならば、当初は、状況を確認しながら何度か行われるはずだったLBWW作戦は、いったん終了させることができるはずだ。放射性物質の影響も、最低限に留まる。人類の生態を狂わす可能性は非常に低いだろう。
もっとも――今の状況が恒久的なものとは断言できない以上、引き続き、モニタリングと、植物が新種アルカロイドの生成を始めた原因、そして今、代わりに生成を始めた未知の有機化合物の解析は行っていくべきだ。
だが……少なくとも、これでしばらくの間、小休止はできるだろう。それに人々の希望を繋げることもできた。苦渋の決断の元に開けたパンドラの箱の中に、確かに「希望」は残されていたのだ。
カタカタカタカタ……
昨夜は久しぶりに良く眠れた。これで仕切り直しができる。オリビアは今後の予定を考えながら、パソコンのキーボードを叩いていた。
トゥルルルル……
「電話?誰かしら」
パソコンの横のホルダーに立てかけていたスマホを見ると、そこには「プロフェッサー・ホゼ」の文字が表示されていた。先日の、ホワイトハウスの会議のあとで連絡先を交換していたことを思い出したオリビアは、スマホを手に取った。
「ハロー」
『正体がわかったぞ』
挨拶もなく、いきなり要件を話し出すホゼに、なだめるようにオリビアは話しかけた。
「
『例の化合物の正体が分かったのじゃ!』
興奮気味のホゼの言葉にオリビアは若干の戸惑いを覚えた。ホゼが言っているのは、未知の有機化合物の正体が分かった、ということなのだろう。だが……なぜ、言葉に緊張感が滲み出ているのだろうか……
「それは……」
『磁性体じゃ。あれの正体は有機磁性体だったのじゃ。それも、信じられぬことじゃが――強磁性体になっておるぞ!』
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