第11話 敵



▼20XX年10月29日 シチュエーションルーム(アメリカ合衆国国家安全保障会議)


ザ・ウエストウイング西翼


アメリカで「ウエストウイング」という名称の建造物は数多くあるが、「ザ・ウエストウイング」と言えば、誰しもがホワイトハウスの西棟を思い浮かべるはずだ。


西棟内には、オーバルオフィス大統領執務室、閣議室、大統領補佐官や上級顧問などの上級スタッフのオフィスが入り、そして地下には国家安全保障会議が開かれるシチュエーションルームが設けられている。


すでに夕方の遅い時間だったが、そのシチュエーションルームには、今、多くの要人が集められて、会議が行われていた。


大統領、副大統領、国務長官、国防長官のメインメンバーの他に、三軍それぞれの長官、FBI長官、NASA長官、海洋大気庁長官、商務長官がテーブルを囲み、その後ろでは、首席補佐官と外部オブザーバーの数名が座っている。


出席メンバーの顔色は誰しもが悪い。


「国内の状況ですが――」


ペーパーを手にしたFBI長官、ロビンソンの声は低い。


「食糧の配給開始後10日となりましたが、現在までに全ての州で暴動が発生、うち半数に州軍の派兵が行われました。暴動による死者は3万名、負傷者は10万名、破壊された店舗は5万棟を越えています。暴動は現在も拡大を続けており、正確な数字は調査中となります」


「収束の見込みは?」


大統領のエバンスが尋ねると、ロビンソンは首を横に振った。


「今回の事態の究明がされない限り、今すぐは無理かと……」


それは当然だろう。現在起きている危機は、普通の危機とは違う。


「要約は先ほど聞いたが……現状について詳しく説明してもらえるか?」


「分かりましたわ、大統領」


エバンス大統領の言葉に、ジャクソン商務長官が答えた。商務省は、海洋大気庁を管掌している。


「現在、新種アルカロイドの生成を行っていないことが確認されているのは北極海と南極海の植物プランクトンのみです。その他の地域では、量の過多はありますが、世界中の海で生成が確認されました。赤道付近では約50%が生成を行っており、北緯、南緯共に20度から70度の範囲内は、ほぼ100%の植物プランクトンが新種アルカロイドのみを生成している状況です。そしてこれによって、北極海と南極海以外は、漁獲の99%が消滅いたしました」


「確か、アルカロイドを生成している植物プランクトン――藻類だったか――は、水深200メートルの浅いところだけだったと、以前、報告を受けたが……?」


ホール副大統領の問いに、ジャクソン商務長官は、肩まで伸びたウェーブがかかった赤毛を横に振った。


「副大統領、確かに太陽光が届かない深海では光合成を行う植物プランクトンが存在しなくなります。でも、表層部で光合成を行ったプランクトンが死ぬと、その死骸はそのまま沈降します。一部は微生物が沈降の途中で分解してくれますが、ほとんどはの植物プランクトンの死骸は、最終的に海底まで届きます。海底まで届いてしまえば、それを食べたり吸収した生物は――」


「ということは、今、海の生物は多くが死に絶えた状況にある、とでも言うのか?」


ジャクソン商務長官の言葉を遮ったさえぎったホール副大統領の顔色が青くなる。


「深海部における調査はまだ十分ではありませんけれど……魚類以外、甲殻類や貝類も、この新種アルカロイドを摂取すると死亡しますので、多大な影響は避けられない状況かと思われます」


大統領が手を挙げる。


「ちょっといいだろうか?」


「なんでしょうか?大統領」


「海の生物の大半が死滅したと仮定した場合、人類は生存していくことが可能なのか?」


ジャクソン商務長官が後ろを向いてオブザーバーとして参加しているスタッフの一人に視線で確認する。オリビア女史だ。


「そのことについてですが……現在の状況を踏まえた上で、詳しくは、プロフェッサーオリビアが説明します」


そして、オリビア女史が立ち上がった。


リーランドスタンフォード大学のオリビアです。よろしくお願いします、大統領」


「Hello、ミズ・オリビア。よろしく」


「オリビアで結構です」


さほど緊張する様子もなく、大統領に軽くはにかむオリビアは、年齢よりも若く見えた。


「では早速ですが……私の専攻は藻類――植物プランクトンです。現在は、地上の植物への影響も大きくなっていますが、藻類も陸上植物も、アルカロイドを生成する過程、光合成の仕組みには大きな差はありません。したがって、魚介類ではなく藻類の状況を中心にご説明します」


そして、あらかじめ用意していたクラウド型のプレゼンツールを立ち上げると、奥の大型モニターにスライドが映し出された。


「これまで報告された内容については省かせていただきます。また、これからお話しする内容には、確度は高いのですが推測データも含まれていますので、ご了承ください。それでまず、藻類が新種のアルカロイドの生成を始めた理由ですが……おそらく地磁気が関係していると推測しています」


「地磁気?」


ホール副大統領が不思議そうな顔をする。


「地磁気とは、方位磁石が北を向くアレのことかね?」


「ええ。おおむね間違っていません。正しく説明するなら、地磁気とは地球が持つ固有の磁場を指します。それで――この情報は日本のリサーチャー研究者から得たのですが――昨年から北米、そして北緯30度から60度の範囲をベルトで覆うように、地磁気の減少が始まりました」


モニターには、地球がゆっくりと回転する中、磁気が減少した範囲の色が変わって表示された。


「新種のアルカロイドの生成が始まった場所を、確認されている順に表示していくと……」


次々と青いピンが地球の上に刺さっていく。それらのほとんどが地磁気が減少して色が変わった範囲の中にあった。


『『おおおお……』』


出席者がどよめく。


「オリビア、一つ質問して良いか?」


大統領の言葉にオリビアは頷いた。


「はい。なんでしょうか?」


「仮に、地磁気が今回の植物プランクトンが新種アルカロイドを生成させることに関係していたとして、なぜ地磁気が減少することで影響が出たんだ?普通なら、地磁気が増加して影響が出るのではないのか?」


大統領の疑問はもっともと言えただろう。減少することで影響が現れる事象ももちろんあるが、地磁気の変動は日常的に起こっている。過去にも、同程度の減少は起きたことがあるはずだ。これまでにないことが起こるのは、従来にない変動、つまり大きな増加の場合が普通だろう。


「その原因は不明です。地磁気を遮断したラボ実験室で藻類に強さを変えながら地磁気を当てたのですが、ゼロの場合と標準値の倍の強さの場合で差異はありませんでした。ただ、北極圏に近いアラスカで行った実験では、地磁気をどれだけ当てても、あるいはどれだけ減らしても新種のアルカロイド生成は見られませんでした」


「……それが意味するところは?」


「申し訳ありません、大統領。現時点ではわかりません。確認できている状況から、地磁気が今回の現象に対して何らかの関連性を持っていることは確かだと考えているのですが……特に地磁気に一切変化がない、北極と南極付近では、藻類の活動はこれまで通りですので。ただ、地磁気のどの部分と関りを持っているのかが不明です」


オリビアの方で行った藻類への磁気照射の実験結果は、香織の方に送って見解を求めたが、彼女も即答はできなかった。


もともと地球の地磁気は、赤道付近が小さく、極点付近が大きい。その差は約3倍だ。磁気が減少したことで植物がアルカロイドの生成を始めたと仮定するなら、磁気がもともと強い極点でそれが見られない、というのは特におかしい話ではない。


香織の見解としては、見かけ上のデータだけ見ると、地磁気が弱くなると植物のアルカロイド生成が始まる傾向はある、ただし人工的な磁場形成では、地磁気の強弱で差異が生じない、以上のことから関係しているのは地磁気だけではなく、地磁気+αが関係しているのでは、ということだった。もちろん、その「+α」の部分は謎だ。


「海中、特に水深200メートルまでの支配者は、厳密にいえば植物プランクトン、と言っても過言ではありません。食物連鎖を支配しているだけではなく、多くの魚介類が行う呼吸活動――えらを通る海水から酸素を取り入れますから、呼吸の際にも海水の中に含まれる植物プランクトンの影響は避けることができないためです」


「食べなくても、呼吸するだけで、アルカロイドを含んだ植物プランクトンが体内に入ってきてしまう、ということか……」


大統領の言葉に、オリビアは頷いた。


「そうです。したがって、植物プランクトンが『毒物』となった場合、その植物プランクトンが存在する海域に限れば、「食」と「呼吸」の両面から、表層部の魚介類は一部を除き全滅しますし、時間経過によって深海部も同じ状況になっていくと考えています」


「もう一つ尋ねたい」


「はい、どうぞ。大統領」


「魚介類が、壊滅的な影響を受けつつあることは分かった。ところで植物プランクトン自体はどうなんだ?アルカロイドは自らに牙を向けることはないのか?」


「結論から言えば、牙は向けません。植物プランクトン自体の数は、新種のアルカロイドを作り出したラン藻で埋め尽くされた海域でも、平時と変わらぬ状況が続いています。ただ……」


「ただ?」


オリビアが、言い淀んだことに大統領が首を傾げた。


「藻類だけで見れば、その繁殖を考えると、有機化合物をアルカロイドの生成しか行っていない現状では、必要な因子が足りてるとは言えません。もちろんアルカロイドは有機化合物ですので、植物に不要というわけではありませんけれど……したがって、新種のアルカロイドしか生成していない状況下では、必要な有機化合物が足りずに藻類自体は減少するはずなのです。でも、現状は藻類の数は減少していない。つまり、私たちにとって毒物である有機化合物アルカロイドは、藻類にとってはそうではない、ということだけは確かだと思います」


その時、副大統領が手を挙げた。


「ふと思ったのだが、何らかの手段で藻類の繁殖を抑えて、魚介類を復活させる、ということはできないのかね?」


「できません。仮にできたとしても、藻類がいなくなれば、食物連鎖以外の面で見ても、生物の存続は不可能になります」


「そ、そうなのか……?」


即答するオリビアの言葉に、副大統領は戸惑った。


「地球上の酸素の供給元は植物です。そして、海中の植物プランクトンが供給しているのは70%と考えられています。藻類が消えれば、酸素も消えます」


「代わりに地上の植物を育てるのは?」


FBI長官ロビンソンが聞いてくる。


「植物プランクトンの生域は水深200メートルまでという広い範囲です。それに対して、地表の植物は背が高い木々でもせいぜい数十メートルでしょう。何より、海は陸地の2.5倍の面積ですから……量的な面で地上の植物が植物プランクトンの代わりを務めるためには、今の緑地の何倍もの面積が必要になります。それに藻類と比べて地上の植物は、大型の植物になればなるほど生育に時間がかかります。ですから、実効性は乏しいかと……」


ロビンソン長官は、うーんとうなった。


「それに、すでに陸上の植物自体も、藻類と同じ問題を抱えていますから」


オリビアは、パソコンを操作した。


「現時点は高緯度地域を除き、陸上植物も口にすることが難しくなっています。これが陸上の植物、野菜を食べたことで人的な被害が確認された地域です」


モニターには、回転する地球に、無数の青ピンが立った。そのピンは、南極大陸以外の全ての大陸に刺さっていた。ロシアや北欧は少なかったのだが……


「ご覧いただいて分かるように、被害が多いのは先ほどと同じように、南北30度から60度です。ロシア、北欧でも、緯度が低い地域は30度を越えて報告が見られます」


「植物から得られる必要な栄養素は、薬やサプリメントで代用は難しいのかね?」


再び副大統領が尋ねる。


「薬やサプリメントの原料は、多くが植物が出発原料になっていますので、難しいかと……もちろん、微生物から作られるものもあります。ただ、今の地球の人口を支える無機質の栄養素ビタミン、ミネラルを、植物以外を加工して得ることは無理です」


「植物から、人類が生きていくために必要な栄養素を切り離すことはできない、ということか……」


大統領のつぶやきに、オリビアは頷いた。


「はい。さらに問題は、無機栄養素だけではありません。有機栄養素も、基本は炭素を含みます。これを作れるのは、やはり植物の光合成が中心になります。微生物による発酵など、他の方法がないわけではありませんが、70億の人口を支え続けていくことは無理でしょう。ですから、人類を生存させるための食物連鎖を、植物という生物を切り離した上で形成させることは不可能ということになります」


オリビアの「不可能」という言葉に、会議室にいるメンバーが沈黙する。


「それで、大統領が最初に尋ねられた『海の生物が死滅しても人類は生存できるのか?』という質問ですが……藻類が――いえ、植物が今のペースで生物に有害なアルカロイドの生成を続ける限り、人類の生存は不可能です。魚介類の滅亡が人類を滅亡させるのではありません。『植物の反乱』が、魚介類、人類、動物、ありとあらゆる生命体を滅亡させることになります。生物が植物を必要とする理由が、一つが酸素の共有、もう一つが他の生物に必要な有機化合物の生成だからです」


「話を聞いていると、植物がまるで意識を持った生き物のように思えるのだが……」


副大統領が難しい顔をして尋ねると、ローガンNASA長官が手を上げた。


「一応、報告いたします。先日、検討を命じられた地球外生命体の侵略の可能性ですが、UFO調査部署と協議した結果、非常に低いかと。理由は、直近5年間、太陽系外からの隕石で地上に落下したものは確認されていないこと、また新種アルカロイドを生成している藻類、植物の遺伝子を解析しましたが、地球上のものしか見つからなかったからです」


UFO調査部は、国防総省に設けられた未確認飛行物体を調査する部署だ。


アメリカでは、未確認飛行物体の報告は頻繁にある。2004年以降、「未確認飛行現象」は144件報告されたが、その中で説明がつくものはわずか1件しかなかった。残りの143件について、公式見解として、地球外のものと明言できない、としたものの、同時に、地球外のものだという可能性を排除しなかった。


今回の出来事が、過去に経験がない深刻なものであることから、エイリアン地球外生命体の侵略によるものと考えると頷ける部分は多い。その内容が、人類を攻撃しているように見えるからだ。だが、それはアンノウン不明なことが多いからであって、不明=地球外生命体と結論付けるのは性急と言えた。政府としてUFOの存在を肯定しているアメリカでも、さすがに受け入れづらい。


少しの間、考えていた大統領が顔を上げた。


「……オリビア、最後に二つ尋ねたい。一つ目だが……先ほど反乱と表現していたが—―植物の反乱を鎮圧するために必要なものは何だと思う?」


「鎮圧の過程は私には答えられませんが、鎮圧できた姿を想像すれば、その理由なら説明できます。それは、植物がアルカロイドを生成しなくなり元の状態に戻ったから、という理由になるはずです」


もちろん、この答えに意味がないことはオリビアは承知している。雨を確実に降らさないためには、雲をなくせば良いと分かっていても、雲をなくす方法が見つからない、というのと同じことだからだ。


だが、大統領はオリビアが言いたいことは分かった。無理であろうとなかろうと、解決の道筋だけは「アルカロイドを生成しなくなる」という一本道を見つけるしかない。


「では、最後の質問だ。その反乱に人類が敗北するまでの残された時間はどれくらいだと思う?」


オリビアは、まっすぐに大統領を見た。明確な答えは導き出せない。だが、藻類が絶滅した場合の地球上の生物への影響に関するモデルはすでに作られており、学会でも発表されている。そこに突発的に氷河期に突入した際の食糧危機に対する既存のモデルを加えて、先日、シミュレーションは行ってみた。


大統領から視線を外すことなく、オリビアは答えた。


「被害予測は私の専門ではありませんが……藻類の影響をシミュレーションした結果からは、どんなに長くても一年後かと……もし食糧を争った紛争が広がれば、来春には敗北宣言を出さざるを得ないかもしれません」


「……分かった。ありがとう…………国防長官!」


少しの間、考えていた大統領が、イーサン国防長官に強めの声をかけた。


「はい、なんでしょうか?」


緊張感のある大統領の声に、国防長官が姿勢を正す。


「デフコンを宣言する」


陸海空の各軍の長官の体が、ピクッと動く。


「レベルは?」


国防長官の問いに、大統領は迷いなく返答した。


「2だ。デフコン2だ」


「デフコン2、サー!」


国防長官、そして三軍の長官は姿勢を正して立ち上がると、大統領の命令を復唱、敬礼する。さらに、三軍の長官は、後ろで控える連絡要員にそれぞれ小声で指示を出し、室内の動きが慌ただしくなった。


過去、1962年にキューバ危機の際、一度だけ宣言されたデフコン2が発令され、現時刻を持って、アメリカは戦争状態に突入した。


エネミーは?」


国防長官の質問に、皆が動きを止め、そして視線が大統領に集まった。


「……そうだな、アンノウン未知の存在――いや、」


周囲を一通り見渡した後、大統領は静かに答えた。


エネミーは――プラント植物だ」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る