第10話 考察



▼(桑原香織の手記)



・20XX年9月23日


日本中のほとんどの食卓から野菜が消えて3日が経った。


5日前に、全国各地で起きたアルカロイドの中毒死が人々に衝撃を与えたのは確かだった。魚介類が出荷停止になってから、まだ10日も経たないうちに今度は野菜だ。さらに、被害にあった人の数が、半端なく多かった。


5日間での累計の死者数は4,000人を超えた。入院中の患者は万単位になる。


それでも、野菜の灰汁だから煮込んで食べれば大丈夫と動画で生配信していた人が、配信中に倒れてからは、犠牲者の数は随分減ったのだが……


野菜の場合、魚介類よりも気軽に手に入る。それこそ近所の河原で生えている雑草も、種類にはよるがその気になれば多くが食用にできること、さらに実際、食べても平気な野菜も多かったので、被害を完全に抑えることができない状態になっていた。


原因は分かっている。


光合成で作られた新種のアルカロイド植物毒が原因だ。裏返せば、光合成を行わない植物なら食べられる、と言えたのだが……スーパーの野菜の棚を思い浮かべると、キノコ、もやしぐらいだろうか?……なかなか、思いつかない。


それにしても、これで魚に続いて、野菜にまで植物毒の被害が広がったことになるが、間違いなく食糧危機がやってくることになるだろう。


父から聞いた話だが、10日後ぐらいをめどに食料が配給制になるそうだ。令和の日本で起きる出来事と考えると悪い冗談のように思えるが、スーパーに行けばそれに文句を言う人はいないだろう。


食料品を扱うほとんどのスーパー、コンビニの棚は空になっている。まだ在庫を抱えているところはあるはずだけれど、政府の要請を受けたようだ。店頭には並ばなくなっている。


昨年の米、すでに加工済みの食品は、安全性が担保されていた。でも、生鮮食料品は、肉、魚、野菜、卵も全てが「危険」を抱えていた。


そして、今回の食糧危機が国民の間に浸透するのは早かった。良かったのか、悪かったのかは別にして……


見かけ上の大きな原因はスーパーの棚であり、そして実質上の大きな原因は、生鮮食料品のほとんどがいったん、供給停止となったことだ。


植物のアルカロイド生成は、確かに海中だけではなく、陸上にも浸透をし始めた。でも、全ての植物が一斉にアルカロイドを生成し始めたわけではない。それに陸上の植物は、藻類とは違い、根と茎、そして葉の明確な区別がある。新種のアルカロイドが確認されたのは植物ごとに異なり、根、茎、葉の全てに確認されたケースもあれば、葉だけのケースもあった。


だから、植物毒が確認されない部位なら食することが可能だったし、ほとんどの植物がまだ食べることができたのだけれど……隣り合って生えている植物でアルカロイドが確認される部位が違うなど、一律でなかったこと、そして、植物毒を生成する植物の種類が日を追うごとに急増していったことが最悪だった。


全ての植物、そしてその植物を食べた魚や動物は、全検査しなければ食用として供することができなくなっていた。


昔にあった輸入牛肉の狂牛病全数検査とは規模を比べることができない量、それもアルカロイド自体は多くの植物が微量生成している関係から全て遺伝子検査が必要だったこともあって、光合成を行う野菜と果実、そして植物を飼料とする動物――もちろん魚介類もその中に加わっている――、それらが全て市場から「一時的に」消えることになった。


政府の広報では、あくまで一時的な処置ということを強調していたが、当然だけれど、その期間は明言されていない――というか、できなかった。一日でも半年でも、解除できた段階で「一時的」という言葉が通用するという、お役所言葉。でも、それを非難することはできない。


供給を再開するための最低条件は、生鮮食料品の安全性が担保された段階なのだけれど、その担保が現時点では不可能だったから。


だから人々の安心を呼び覚まし、そしてパニックを抑えるために「配給制」が必要なことは理解できる。食糧危機は、もう手が届くところまで近づいているのだから……


何より、食糧事情の逼迫ひっぱくが避けられないことは、Webが浸透した時代、国民の中でも気づいている人は多いのではないのだろうか?もちろん、現在、急ピッチで各研究機関が必死になって究明を行っていることは知らされていないし、私もすべてを知る立場にはない。


でも、国民が知りうる情報だけで精査してみても、明るい材料など何一つない。


日本の食料は輸入で多くを支えているが、それがほぼ失われる。商社は食料の獲得に動いているけれど、現在、私たちを襲っている状況は、世界の多くの国が同じ状況下にあるか、まだ深刻化していない国々にとっても時間の問題に過ぎない。すでに、アメリカは各国政府に対して今回の事態を通告している。商社の求めに応じるのは、あと僅かな期間だろうというのが政府の見方だ。


それでも、配給が始まって食料が受け取れる、という安心感が、国民の間に広がってくれれば、数か月の時間的な余裕はできるはずだ。その間に、なんとしてでも、今回の現象を究明して、解決への策を練らなければならない。



・20XX年9月25日


植物は、なぜ人類に反乱したのか――


いや……おそらくこれは正しい表現ではないのだろう。だが、起きている出来事は、どう見ても、植物が人類に牙を剥いているとしか思えない。


昨日、父が持つルートの紹介を受けて、NOAAアメリカ海洋大気局のオリビア女史とWeb会議を行った。オリビア女史は藻類の専門家だ。


彼女とのディスカッションでコンセンサスを得られたクエスチョンと、見解をまとめておこう。


まず、クエスチョンは2つだ。


一つ目。なぜ、植物が新種のアルカロイドの生成を始めたのか?


これが一番の問題であり、そして解決の糸口は、この質問の答えに直結しているとオリビア女史は考えている。私も同意見だ。しかし、その答えを導き出すことができない。これまで検証してきた結果から推測できることはあるのだけれど……


二つ目。なぜ、異種の植物が同時に、同じことを始めたのか?


この問題も難しい。植物に意識や感情が存在する、存在しないという両方の研究があるけれど、どちらが正しいのかは専門外の私には論じることができない。ただ、起きている結果から原因を考えるならば、アルカロイドの生成という異常な行動が植物の間に伝播していることから、私たちが考える意識のようなもの、そしてそれを共有できる何かが存在していると思わざるを得ない。


そして見解は三つ。ぞっとする見解ばかりだけれど……


一つ。新種のアルカロイド以外の有機化合物を作り出さない植物が増えれば、ほとんどの生物が絶滅する。


二つ。仮に植物が、新種のアルカロイド以外の有機化合物を再度作り出すようになったとしても、アルカロイドの合成が終わらない限り、食糧危機が去ることはない。結局のところ、人類は絶滅の危機に直面する。


三つ。もしも、植物がアルカロイドの合成をしなくなったとしても、他の有機化合物の生成を始めてくれない限り、食糧とは違った問題が生じる。それは、酸素だ。有機化合物の合成が光合成の主反応になるけれど、その主反応がなくなれば、副反応と言える酸素も作り出されなくなる――もっとも光エネルギーを変換する作業を辞めれば植物自身も生き残れないわけだけれど――そうなると酸素を必要とする多細胞生命全てが危機に陥ることになる。もちろん人間も除外されることはない。


私たちの世界は、植物が作り出す有機化合物と酸素によって維持されている。有機化合物が欠ければ食物連鎖は崩れ去るし、酸素が欠けれは呼吸ができなくなる。どちらが欠けても多くの動植物が地上から、海中から姿を消すことになる。生き残れるのは一部の単細胞生物などに限られるだろう。


とにかく、事態を解決するための糸口が欲しい。オリビア女史には、今回の魚の異常死と一致点が多い南北共に30~60度の地磁気が低下しているデータを渡したが随分と感謝された。彼女は、海流や水温、そして藻類の急激な増加がないかを調査していたようだ。


一週間後に、次のミーティングを行うことを約束したのだけれど、果たして間に合うのだろうか……私の直感が告げている。時間がないと。そして残された時間は年単位ではない。半年あれば幸運に感謝しなければならないレベルぐらいまで逼迫ひっぱくしている。



・20XX年9月29日


今日は、久しぶりに信一郎が訪ねてきた。この前、NOAAのオリビア女史とディスカッションした際に受け取った、異常を引き起こしている藻類の位置と経過時間のデータ、そして私が持っている地磁気の動きに関するデータを渡して、地球の内部の動きとリンクする部分がないかを調べてくれるそうだ。助かる。


彼の話では、まず地球内部には、現状、全くと言ってよいほど動きはないそうだ。いたって平常運行。それだけに彼がどうしても気にしていたのは、地磁気の動きだ。


地磁気を作り出している、地球という発電機の動作に変化がない以上、なぜ地磁気に変化があるのが分からない、と彼は言っていた。


オリビア女史の話を加味すれば、今回の出来事は、地磁気が減少したことからスタートしているのは間違いないと思う。でも、地磁気を作り出す「発電機」に変化はない。では、なぜ地磁気が減少したのか……彼は、一つの仮説として、「ポールシフト地磁気逆転」の前兆が現れているのではないか、ということを疑っていた。


ポールシフトには、謎が多い。なぜ、ポールシフトが起きるのか?、どうやって起きるのか?、起きた場合、どういった影響が現れるのか?……


これまでの研究で分かっている――と思われていること。エビデンスがない科学に「絶対」はないから――ことは、


・20万年から30万年に一度、ポールシフトが起きている形跡が見つかっていること


・最後のポールシフトからすでに80万年ほどが経過していて、いつ起きてもおかしくはないこと


・ここ数十年で5%ほど地磁気全体が減少していて、ポールシフトの時期は近いと思われていること


などだ。今回、特に最初のきっかけと言える北米における地磁気の減少幅は40%と非常に大きい。また、北緯、南緯ともに、30度から60度の範囲内の磁場が10%ほど減少したままだ。


では、今回の地磁気の減少がポールシフトの兆候かというと……私は、直結しているとは思えない。なぜなら、両方の磁極付近の磁場に特に動きがないからだ。一定の緯度の範囲内だけ、地球を巻くベルトのように異常を示している。


ポールシフトそのものが研究途上のため、同じ地磁気でも私は積極的に関わってこなかった。ただ、いくつか最新の文献もネットで拾ってみたが、私が得ている知識以上に新しい何かが証明されてはいない。


ポールシフトが起きる状況、というのを考えれば、外核の対流の向きが逆転する、などその磁場を形成している地球自体に何らかの動きがないと、磁極の移動も起きようがないと思うのだけれど……もちろん、未知の現象がポールシフトを引き起こす、という可能性を否定しない。でも、そこに至るまでの間に、決定的な何かが起こりそうな嫌な予感がするのだけれど……



▼20XX年9月30日 五菊商社



「……そうですか。残念です」


買付担当バイヤーを務める山下は、力なく受話器を置いた。電話の相手は、中国の商社が東京に置いた日本法人。毎年行っているトウモロコシの買付交渉だったが、本日突然、本年度分と来年以降の取引契約を、交渉中のものを含めて全て破棄するとの通告を行ってきたのだ。その数は合計で27本。来年9月期の契約もある。


そして破棄された中には、すでに売買契約が完了、あとは引き渡しを待つだけとなった分も含まれていた。一方的な通告だったが、違約金も契約通りに支払う、と言ってきているので、商慣習上の不満はあれども、商取引上は何ら問題はない。


しかし――


「課長、どうしましょうか?」


山下は、向かい合うデスクに座っている課長の堀に話しかけた。トウモロコシが国内に入ってこない――もちろん、堀はそれが何を意味するのか理解している。


世界三大穀物とは、小麦、米、トウモロコシを指す。年間生産量は、小麦が7.7億トン、米が5億トン、そして、トウモロコシの年間生産量は11億トンだ。


国内に目を向けると、トウモロコシの年間生産量は25万トンに対して、輸入量が1,500万トン。輸入が滞るとどこおることは、国内消費の壊滅を意味することになる。また、国内消費の8割は飼料用なので、畜産への過大な影響が生じることになることも示唆していた。


昨日は、アメリカの商社からも売買契約の破棄が通告されたばかりだった。


今後の契約がまとまらない――これならば、まだ話は分かる。だが、すでに契約後、手付金や中には売買代金の支払いが終わった契約までもが、多大な違約金を支払って解除されている。


「どうするか、と言ってもな……動いてくれるところはあるのか?」


「もともと、うちの契約先は8割が中国とアメリカ絡みですからね。ロシアルートは難しいので……」


「現物先物はどうだ?」


「現状では、もっと無理です。国内市場の先物は、売建が入りませんので」


これだけ一方的な展開は、おそらく過去に一度も発生したことがないだろう。供給と需要が半々だったはずの市場が、突然、数日で供給0で需要が100、という状況に陥ったのだ。それもその対象はトウモロコシ一品目だけではない。肉や魚、野菜、穀物といったほぼすべての食品が対象となっていた。


「船の状況は?」


「ダメです。入港前の9割の船は引き返しています」


堀は頭を抱えた。


食糧の輸送は、基本的に船舶となる。だが日本の場合、人件費や税金が安くなる「便宜置籍船」が8割を占める。便宜置籍船とは、オーナーは日本だが、船籍は外国、というパターンの船のことだ。船籍を持つ主な国は、パナマ39%、リベリア17%、バハマ10%、マーシャル諸島8%、シンガポール8%となっている。


したがって、日本の商社が手配した船でも船籍が外国であれば、法律的には船籍のある国の法律に従うことになる。税金や人件費が安くなる代わりに、法的な根拠を他国に委ねたままの運用が強いられるのだ。日本は、この便宜置籍船の割合がギリシアに次いで世界2位となるほど多い。


今回は、食糧を積んだ船のほとんどが、入港前に引き返していた。それも船籍を持つ国に。もちろん本来は重大な違反だが、船内で異物が発見されたため、それぞれの国の法律に乗っ取った処置、と言われてしまっては、強硬な手段はとれない。せいぜい、今後、引き渡しの交渉を行うしか手段がない。


もちろん、各国が「無茶な」対処を行うのには理由がある。アメリカだ。


全ての食品の輸出を中止したこと、そしてその理由として、陸、海問わずに植物が突然、人体にも深刻な影響を与える新種のアルカロイドの生成を始めたこと、その原因が不明であること、収束の見込みが立っていないことを、主要な各国の政府に通告したためだ。


当然これは、政府間での通告だ。マスコミ報道ではない。


一部の情報はリークされていたが、各国共に国内の大規模な騒乱を避けるため、一般への公表は行っていない。五菊商社は国内トップの商社のため、かなり正確な情報をつかんでいたのだが……


「倉庫での在庫はどれくらいある?」


「それは、政府に抑えられている分を含めてですか?」


「いや。余剰分だ」


「待ってください……」


そして、山下はパソコンを操作した。五菊商社はトウモロコシの取扱高は国内トップで約60%のシェアを占める。


「昨日時点の在庫80万トン中、余剰分は50トンです」


「……50トンか」


政府に抑えられている分ですら80万トン。国内消費を考えれば10日ほどだ。余剰分の50トンなどないに等しい数量だ。誤差の範囲と言ってもよい。


だが、五菊商社は財閥系商社で関連グループも多い。グループ内と関連会社まで含めれば社員とその家族だけで100万人近くを抱えている。少しでも余剰分を確保しておくことは必要だろう。


「とにかく、わずかな量でも確保できるところを探せ」


「はい……」


だが……二人の顔色は悪い。命令する堀も、それを受諾する山下も、それが無理なことは十二分に承知していた。



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