第6話 境界線



▼20XX年9月8日 地震雲予知研究所



「そうか。魚の異常死と地磁気の関連性、ね……それと新種のアルカロイドか……」


香織が、今回の経緯を説明すると、岡田は思案気に頷いた。


「ええ。何か異常なことが起きているのは私も確かだと思うの……でも、プレート関連の数値に変化が見られないのはよかったわ。どうしても地震への影響が気になっていたから……」


地磁気の異常とプレートへの影響に、数値上は直接の関係がないことが確認できたことで、地震の研究が本来の業務となる香織はホッとしていた。


「ありがとう、信一郎。いろいろ調べてくれて、助かったわ。地磁気以外の数値も、おかしいところはないから、今のところ地震は心配しなくてよさそうね」


香織の地震雲予知研究所と、岡田の地球深部マントル研究所は、同じ都内に事務所を構えていた。岡田がアポイントを入れてから3日後に、二人は香織の事務所でディスカッションを行っていた。


二人の前にはコンビニのドリップコーヒーが置かれている。香織の事務所が入っているビルの一階にあるコンビニのコーヒーだ。ちょっとしたコーヒーショップと同等以上のコーヒーがワンコインちょっとで飲めるので、香織は重宝していた。


「それでね――植物プランクトンがなぜ、新種のアルカロイドを合成し始めたのかは、専門外だから分からないけれど、そこに地磁気の異常が関係していることは確かだと思うの」


「確かにエビデンス上は、そうかもしれないな。でも、地磁気の数値に変化があったかもしれないけれど、外核の動きには大きな変化はみられていない。マントルもそうだ……それが、一つの問題になるな」


「ええ、そうね。地磁気を作っている地球の動きに変化がないなら、他の要因をあたる必要があるわ。太陽の活動とかいろいろ考えられるし。でも、今のところ黒点の活動とか大きな変化は、最近一年は見られていないのよね」


香織は、机に肘をついて、コーヒーが入ったエンボス紙カップを右手で揺らしながら少し口を尖らせた。


「そういえば、魚の異常死の方は、今後の見込みは何かわかっているのか?」


同じ分野のゼミに所属していた関係で、岡田は香織とは大学は違えど学生時代からの知り合いだ。それも下の名前で呼び合うほどの付き合いがあった。もっとも、何度か機会チャンスはあったと思うのだがお互いが踏み出せず、友人関係以上に進展することはなかったのだが……口を尖らせた表情に、変わらないな、と思いつつ岡田は香織に尋ねた。


「そうね。最善の予測はこのまま収束すること。最悪の予測は、植物プランクトンが新しい毒物を作り続けて、それが拡散していったなら、海産物が食べられなくなる恐れもあるみたいよ」


「おいおい、本当に?」


何気ない問いに重い答えが返ってきたことに岡田は驚いた。


「ええ。今の地磁気異常が拡大していって、なおかつ、地磁気の異常が植物プランクトンに影響を与えていた場合だけれど……」


「ということは……地磁気の異常は広がっているのか?」


「実は、今月に入って範囲が広がっているわ。いつもなら国際リアルタイム地磁気観測ネットワークのデータの入手にはタイムラグが生じるのだけれど、父が政府に働きかけてくれたから、一週間前からリアルタイムデータが入ってきているの。この前の、ロサンゼルスのニュース、あなたも見たでしょ?」


「ああ」


「アメリカは――というより、太平洋を中心に北緯30度から60度の範囲内の磁気が大きく減少したわ。同じ緯度にある北アフリカから南欧州にかけての大西洋側の地磁気も、今月に入ってから減少し始めているの……それと、今まで変化がなかった南半球も南緯30度から60度の範囲で30%ほどだけど、急激に減少し始めている」


思ったよりも事態の推移が深刻であることに岡田の表情が固くなる。


「……魚の異常死も報告されているのか?」


「ええ。今週はオーストラリア湾とか地中海で報告が上がったわ。死んだ数が万単位で多くないからまだ大きなニュースにはなっていないけれど……死因も調査中みたいね。まだアルカロイドが原因とは特定されていないけれど、おそらく同じ結果になりそう」


「そうだろうな。地磁気が減少し始めた地域で、違う理由で同じような大量死が見られ始めた、というのはさすがに無理があるだろう」


「私も、そうは思っているのだけれど……でも、なぜ地磁気が変化し始めたのかしら?」


岡田は、ここ数か月のマントルと外核の動きについてもう一度、記憶を探ってみた。だが、観測されている数値が変化した記憶はない。もっとも、常設観測ではないから、例えば観測していない時間帯、夜だけ変化している、となると分からないのだが……


しかし……考えてみれば、地磁気が減少したとすると、その原因は発生させる地球の内部だけとは限らない。地磁気とは磁場だから、何かの干渉を受けることで増減する。例えば、磁石を鉄板で覆えば、鉄板の外の磁場は弱くなる。


「地磁気を発生させる方に変化がないなら、地磁気に干渉する何かの変化、ということか……」


香織は岡田の言葉に頷いた。


「それは私も考えたわ。でも、手元だけならまだしも、一つの地域全体の磁場に影響を与えるとなると人工物では不可能よ」


「それもそうか……」


確かに、地球自体が一つの「磁場発生装置」の役割を果たしているわけだが、その地球が作り出している磁場に干渉するとなると、同等規模の「何か」が必要になるだろう。その干渉を引き起こせるとすると答えは「自然界」の中にしかない。


短期であれば、それこそ高高度核爆発による電磁放射線の影響、いわゆる「電磁パルス攻撃」といった方法もあるだろうが、その影響は一瞬だ。月単位、年単位で磁場に影響を与え続けることはできない。


「それに……仮に地磁気の減少した理由が解明できたとしても、そもそも、地磁気のどんな影響によって植物が毒物を生成したのかが分からないと……」


香織は小さくため息をついた。香織の専門は地磁気だが、あくまで地震との関連性の部分だ。生物が対象ではない。


「そうだな。問題は多いな」


「そうなの。でも、私の直感は、このまま見過ごしてはいけない、って言っているのよね」


香織の言葉に岡田は苦笑した。


「香織の直感か……それは無視しない方がよさそうだ」


岡田は、学生時代のエピソードを思い浮かべていた。父親譲りと言っていた霊感は、体験済みだ。飲み会の帰り、いつもとは違う道を通った方が良い気がするという香織についていき、行倒れの人を助けたこともあって、それこそ人命に関わったこともある。似たようなことは何度もあった。もっとも、本人は「偶然よ」といつも笑い飛ばしていたが……


「まあ、植物のアルカロイドの生成は――生物学が化学が分からないが――完全に門外漢になるけれど、伝手はあるから、一度、本格的に調べてみるか……」


「ごめんね……でも、ありがとう」


かすかに微笑む香織の表情に、岡田は横を向きながら「ああ、任せとけ」とそっけなく返しながら、懐かしさとは別に込み上げてくる感情に戸惑いを覚えつつ、わずかな心地よさも感じていた。



▼20XX年9月12日 農林水産省、大臣室


プー、プー


内線がなる音に、桑原大臣は首筋の後ろにふと冷えを感じた。嫌な予感がする……


「はい」


ディスプレイに表示されていたのは、公設第二秘書、原の内線番号だった。


『大臣、水産庁からの緊急の報告です』


「何があった?」


原の上ずった声に、嫌な予感が当たったことを嘆きながら、それでも落ち着いた声を心がけながら桑原大臣は尋ねた。


『今日の午前中、少なくとも5つの県から、一斉に、魚を食べた人が複数亡くなったとの報告が入ったそうです』


「何!」


『担当者からは、例の中毒死が原因かと……』


「厚労省から、何か情報は入っているか?」


『いいえ。現時点では』


「すぐに、水産庁の担当者に来るように伝えてくれ。それと、厚労省――いや、まだこの時間だと報告は上がってこないか――該当地域の自治体の保健所に確認を取ってくれ。あと病院関係もだ」


『分かりました。すぐに取り掛かります』


内線を切った桑原大臣は、ふと思いつき、パソコンから一つのアプリを起動させた。香織が持ってきた地磁気の観測データを使った魚介類への被害予報のアプリだ。


起動したアプリは自動的にサーバーにアクセス、最新の地磁気データを取得し始める。クルクルとアイコンが回り、やがてアプリがグラフをモニターに表示させた。日本を大きく正方形4ブロックに分けて、各ブロックごとに折れ線で表示されている。縦が地磁気の強さ、横が日付だ。一週間分が表示されている。


「これは……」


そのグラフは、4本すべての折れ線が、昨日の時点で急激に右肩下がりとなっていた。日本全体の地磁気が昨日から半減している。


もし、この地磁気の減少が先ほどの報告に関連しているとするならば……おそらく、その影響は一地域のものではないはずだ。全国に広がっても不思議ではない。


部屋にいた施設秘書官が、報告に訪れた水産庁の担当者を案内するのを見ながら、片手を上げてソファに座らせるよう指示すると、桑原大臣はスマホを取り出した。他にも何かデータを拾っていないか、一度、香織に話を聞くべきだろう。


一昨年が鳥インフル、そして昨年は豚熱CSFに振り回された。鳥、豚と来て、今年は魚か……


暗澹あんたんたる思いにとらわれながら、桑原大臣はスマホの呼び出し音を聞いていた。



◆◇◆◇



その日――日本全国で、海産物を食べたことによる中毒死の被害者は20の都道府県にわたり、50名を超えた。入院患者は400名以上で、うち100名が重症、いずれも呼吸困難の症状で、新種のアルカロイドによる神経毒が原因であることが分かった。


政府は夕方に、全ての海産物の取り扱いを一時停止した。


予兆は確かにあった。だが、その予兆が示していた事態の推移は誰も予測できなかった。さらに、その事態の深刻さにも……


不幸なことに、大勢の人々は、その事態が一過性であると考えていた。そこには何の根拠もなかったのだが、専門家と謳う識者の意見がそれを後押していていた。


これは、過去に起きた出来事の延長線に過ぎず、過去のデータを考査することで解決策は見つかる――と。


そして、その見解に誰もが納得していた。


日常と非日常の境界線が、実は曖昧あいまいであったことを人々が知るのは、間もなくのことだった――


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