第5話 ラン藻



▼20XX年9月5日 アメリカ海洋大気庁、海洋漁業局


NOAAアメリカ海洋大気庁は、今、大混乱に陥っていた。


原因は、数日前に西海岸ロサンゼルスで発生した魚の大量死。ロサンゼルス空港を中心に、サンタモニカビーチからマンハッタンビーチまで、約10キロほどの海岸線が、断続的だが魚の死骸で埋め尽くされたからだ。その数は推定で数億匹。


「原因は?例の毒物かしら?」


庁内を海洋漁業局に向かって歩きながら、白衣を着たスタンフォード大学教授で漁業局の顧問も務めるオリビア女史は、同行しているスーツ姿の男性の局員に尋ねた。


「はい。遺伝子検査の結果、先月から東海岸の各地で集団死をもたらしている新種のアルカロイドと同じであることが分かりました。骨格はアンモニア性窒素、プソイドアルカロイドです」


「そう……やっかいなことになりそうね……」


「ええ」


オリビアの顔が曇るのも無理はない。アミノ酸の基本骨格を持たないプソイドアルカロイドを藻類が生成したのだ。プソイドアルカロイドに代表されるのは、トリカプトが有名だが、毒性は他の真正アルカロイドや不完全アルカロイドと比べても高く、実際、その殺傷力は今回の状況を見ても明らかだろう。


オリビアが、考えながら海洋漁業局内に入ると、次々と局員からの挨拶を受ける。顧問とはいえ非常勤の彼女がここに来るのは一か月ぶりとなる。そのまま奥の会議室へと案内されると、部屋には、一人の男性が大きな楕円形のテーブルの向こう側に座っていた。


「プロフェッサー・オリビアをお連れしました」


「ご苦労」


男性が案内してきた局員に声をかけると、局員は目礼して部屋を出ていった。大柄で壮年の男性は立ち上がると、テーブルの向こう側からオリビアに大きくがっしりとした手を差し伸べる。


「What's up?、リビア。ん……?元気がないな」


オリビアを愛称で呼ぶ男性は、同郷の海洋漁業局局長のロバートだ。フランクな付き合いは、もう20年以上になるだろう。


「Hi、ボブ。この年になると、徹夜が続くと腰に来るのよ」


差し出された手を握りながら、もう片方の手で肩にかかるぐらいのセミロングの金髪をかき分けたオリビアが、同じく愛称で返す。


「ハハハ、それは私も同じだな。もう二日ほど、この部屋が寝室だ」


ロバートの視線の先、会議室の窓の下に折りたたまれた寝具があるのを見たオリビアは苦笑した。


「早速だが、座ってくれ」


「ありがとう――それで、局の見解は?」


オリビアは座るとすぐに本題に入った。


「状況は良くない。いや、非常に良くない、といった方が良いだろう」


「東海岸も似たようなものね。ここまで規模は大きくないけれど……一昨日まで、タンパ湾で調査してた結果は、表層魚がほぼ全滅だったわ」


「表層魚が全滅?それはメキシコ湾、全体も同じか?」


「いいえ。魚の死骸は沿岸部のみね。せいぜい1キロもないわ。死因はいずれもアルカロイドの中毒死。念のため、湾の中央部で死んでいる魚の検体もいくつかとってみたけれど、中毒死ではなかったわ」


「そうか……」


表層魚とは、おおよそ水深200メートル以内に生息する魚を指す。イワシやアジ、サバなど身近な魚が多い。


「海軍にお願いしてアルビンを回してもらったけれど、中深海水層魚や底生魚には今のところ影響が見られなかったから、やはり植物プランクトンを集中的に調べるべきだと思うわ」


アルビンとは、アメリカ海軍が保有する有人潜水調査艇だ。3名での長時間潜水が可能で、オリビアはここ2週間、メキシコ湾内だけではなく、魚介類の大量死の報告があったマサチューセッツ湾、ロングアイランド湾などの東海岸からカナダのセントローレンス湾まで足を伸ばしていた。


そして、魚の死因は、いずれも同じ新種のアルカロイドによる中毒死だった。本来、下等植物、それも植物プランクトンが、不完全アルカロイドならまだしも、アミノ酸を基本骨格に持たないプソイドアルカロイドを生成したとは、なかなか考えづらい。これが本当なら――実際に検出されているわけだから本当なのは確かだが――新たな研究課題として取り組む価値が十分にあるほどのことが起きている。


もっとも、今は「研究」どころではないのだが……


ドクター研究者の見解として、どこまで広がると思う、今回の騒ぎは?」


「そうね。少なくとも海流の関係があるから当面は東海岸の問題だと思っていた。こんな短時間で西海岸まで広がるとは考えていなかったわ。表層魚のみに影響があることを考えると、太陽光が関係していると思うのだけれど……このまま拡大した最悪の場合を想定すれば、沿岸部の漁業は危機的、いえ壊滅的な被害を受ける恐れがあるわね。それも短期で」


「やはり、君の見解も同じになるか……」


「ええ。報告を上げるのはこれからだけれど、東海岸側で今回のアルカロイドを生成している藻類は多種にわたることがわかったわ」


「同じ新種のアルカロイドを、違う種類の藻類が同じように突然生成しだした、というのか?」


ロバートの目が大きく見開かれる。


「そうよ、ボブ。それに……これはまだ秘匿しておいて欲しいのだけれど――タンパ湾では、ラン藻から同じ新種のアルカロイドの生成が確認されたわ」


「ラン藻だって!?それは本当なのか?」


オリビアの言葉にロバートは立ち上がり、思わず大きな声を出した。


ロバートが驚愕するのも無理はない。


ラン藻――日本では「アオコ」が有名だが――は、世界中、どこにでも見かけることができる藻類だ。それこそ陸上環境にも広く生息している。ラン藻が生成する毒素は、ペプチドとアルカロイドに分かれ、アルカロイドは主に神経毒でやっかいとされている。


「残念だけど……解析が間違っていない限り本当よ」


「Oh!……ジーザス!」


ロバートはドシンと音を立てて椅子に腰を落とし、天井を見上げた顔を片手で覆う。


「シアノトキシン――アルカロイドだからアナトキシンか……」


「ええ。まだDNA解析が完全に終わっていないけれど……おそらく、生成されているのは、アナトキシン-aの変異体と推測されているわ」


ラン藻は歴史的には「植物」に分類されてきたが、その構造は系統的に真正細菌に属する原核生物だ。外界のDNAを取り込んだり、ウイルスによるDNA注入により遺伝子水平伝播が頻繁に起こっている、と言われている。


ロバートが驚愕した理由、それは、ラン藻が普遍的な藻類と言えるからだ。さらに変異もしやすいの性質も持っているので、今後、生成する毒素が強力になっていく恐れもある。ラン藻は、世界中の海を調べれば、見つからないところを探す方が難しい。つまり、今回の「問題」が世界中に拡散する、それも問題を大きくしながら広がっていく可能性が示唆されているのだ。


ロバートが顔を上げてオリビアを見た。


「すまないが、すぐにチームを組んでくれ」


「すでに声はかけたわ。今日の夜には始められるから」


オリビアが小さくほほ笑む。ロバートは、今回の対策チームを、藻類の専門家であるオリビアが中心となってすでに立ち上げ準備に入ってくれたことに感謝しながら、スマホを手に取った。


場合によっては、NSC(アメリカ合衆国国家安全保障会議)への提言を行う必要がある。アメリカ海洋大気庁の長官だけなく、上位組織にあたる商務省にも声をかけておいた方が良いだろう。


長官へのホットラインをプッシュしながら、ロバートは同じようにどこかに連絡を始めたオリビアと軽くアイコンタクトを取った。一緒に大きな仕事に取り組むのは久しぶりだな、と思いながら……



▼20XX年9月5日 地球深部マントル研究所


岡田信一郎は、デスクトップパソコンのモニターを見ていた。そこには地球を一部切り取った画像と、その内部を緩やかに動くマントルの様子が映されている。


人々がマントル、と聞くとマグマをイメージすることが多い。そして、地球の内部でマントルが動いていること、また火山などから噴出するマグマが地表を流れていく映像から、地球の内部を柔らかく感じる人もいるが、実際のマントルは固体だ。圧力が低くなることで流動化したものがマグマとなる。


マグマは、その姿を観測できるが、実は「生きた」マントルが実際に観測されたことはない。過去に、地殻がめくれることで現れた「かんらん岩」を地表に見ることがあるが、それはマントルの「化石」のようなものだろう。


マントルは地球を覆う地殻の下にある。地殻の厚さはだいたい5~50キロの厚みがあると考えられているが、これまで人類がマントルに手が届いたことはない。


現在、もっとも手が伸びているのが、海洋研究開発機構JAMSTEC地球深部探査センターCDEXの地球深部探査船「ちきゅう」だ。科学掘削として世界最深記録を持つ。もっとも、水深6,897.5メートルの海底から854.8メートルを掘削しただけで、その長さは合計で海面からの高さが約7,750メートルに過ぎず、マントルはまだ遥か彼方はるかかなたにある。


それでも、地殻の厚さは陸上からは約50キロあるのに対して、海底からは約5~6キロであることが分かっているから、すでに海底から約1キロ近く掘り進んだ「ちきゅう」は、現在のところ、マントルまでもっとも近い位置にあるのは確かだろう。


また、実際に目にできていない、というだけで、地震波の計測などにより、地球内部の姿はある程度、解明はされている。


岡田が勤める「地球深部マントル研究所」は、四国の大学内にある「地球深部ダイナミクス研究センター」の協力を得て、巨大地震に対して大陸のプレートを動かすマントルが与える影響について研究を行っている機関だ。国土交通省の外郭団体にあたる。


「うーん、特に異常はないな……」


岡田は、同じ地震の研究を行っている地震雲予知研究所の桑原香織の依頼を受けて、最近一年間のマントルの動きについて調べていた。香織の話では、地磁気の活動に変動がみられていることから、地磁気を発生させていると考えられる外核の活動状況が知りたいとのことだった。


マントルのさらに深部には、地球の核が存在していて、「外核(液体部分)」と「内核(固体部分)」に分かれている。マントルは固体だが、外核は巨大な圧力と高温状態によって主成分である鉄が溶融状態にあると考えられている。この溶融した外核が、時速10メートル程度で流動することで発電機ダイナモのような役割を果たし、電気が発生、その電気が磁場を形成している、とするのが今の地球物理学の考え方だ。


ちなみに、他の惑星よりも地球の磁場は強いが(水星の100倍、火星の500倍)、その違いは、核を構成する物質の違いと考えられている。


核に圧力をかけている固体であるマントルは、熱対流によりゆっくりと移動していて、これが大陸が乗るプレートを動かしている、とするのがマントル熱対流説だ。1990年以降は、マントル内の大規模な対流運動プルームによるプルームテクトニクスが地球物理学の新しい学説となっている。


いろいろな学説があるにしても、地球の地磁気が地球内部の活動により発生していることだけは確かなことだ。したがって地磁気の活動に影響を与えているとするなら、地球内部の動きが最も怪しい、と言えるだろう。


だが……


直近、一年間の地球内部の活動は、さまざまな観測データ上からは特に大きな変化や異常はみられない。しかし、香織から送られてきた地磁気のデータを見れば、明らかな動きがみられる。それも減少への動きが活発化している。


地磁気が減少しているのなら、発電機である外核の動きが鈍くなっていたりしてもおかしくないのだが、マントルにも外核にも観測データ上の数値の変化はない。


では、なぜ地磁気が減少しているのだろうか?……


原因と結果は、等しい関係にある。原因があれば、それに対する結果が生じる。逆も然りしかりで、結果が生じているということは、原因も必ずあるはずだ。


原因と考えられる外核の活動に変化がないなら、地磁気の減少という結果から、違う原因を探ってみるか……


面倒な作業にはなる。場合によっては分野違いの要因も探す必要があるだろう。しかし、こういった普段は行わない作業が、巡り巡って新たな発見につながることは、得てしてあるものだ。そして岡田は、こういった手探りの研究は「大好物」だった。


アプローチ方法を変えるためには、なぜ香織が今回の依頼を行ってきたのかを聞いてみる必要があるだろう。岡田は、香織にアポイントを取ることを決め、メーラーを立ち上げると、メールを打ち始めた。


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