第4話 手記



▼(桑原香織の手記)



・20XX年8月20日


今日は午後から父に呼ばれた。内容は、最近起きている、魚の異常死に関連する依頼だった。そういえば、少し前に島田君から聞いたD判定に赤潮で魚が死んだ、というニュースがあったことを思い出した。


父の話は深刻だった。


明日、厚生労働省と農林水産省が共同で記者会見を行うそうだ。内容は、一定の地域において魚介類が一時、出荷停止になるということだった。


生物学は詳しくないが、その一部地域で、植物プランクトンが新種の毒性が強いアルカロイドを生成しているため、魚介類に深刻に影響が出ているとの話だった。場所は、東京から九州まで太平洋側と九州の西部の地域になる。北海道から東北、そして日本海側には今のところ影響はない。


新種のアルカロイドを摂取した魚介類の致死率は非常に高く、またその影響は即時にみられるので、食する人も少なく被害は今のところ軽微だが、一部では麻痺などの症状が現れて、入院例が出始めているらしい。また動物には死亡例も報告されているそうだ。


さらに、同様の報告が、アメリカやカナダでも見られ始めているそうだ。向こうでは、そのアルカロイドで死んだ魚介類を食べた人の死亡例の報告も散見されるという話だった。


そして父からの依頼だが、私が研究している内容で、何か関連していそうなものがないかを調べて欲しい、というものだった。


父が大臣を務める農林水産省でも、管轄する研究機関に指示を出しているそうだが、まだ大きな進展はみられていない。父は、この問題が大きくなりそうな予感がするため、あらゆる手段で調査を行いたいらしい。


特に今回の魚介類の異常死を自然界のアクシデントと見たとき、ふと私の研究対象が直感的に閃いた、と言っていた。


私も昔から直感が優れているといわれているが、こうした霊感のようなものはおそらく父譲りなのだろう。だから、父の直感は笑っていられない。


自然界の異常と言えば、すぐに思い浮かべるのは、最近、私が気にしていた北半球での地磁気の異常だ。明日は、データの洗い出しと突き合わせをしてみよう。




・20XX年8月21日


もしかすると、もしかする。


今日は、ここ一か月の地震予知データと、父から受け取った魚介類の異常死のデータをぶつけてみた。


すると……見事に、地磁気のデータとの相関関係が浮かび上がったのだ!すごい!


地磁気の大きな異常状態が見られた日と魚介類の大量の異常死が見られた日が、プラス1日の範囲内ですべて一致した。熊本県・八代海、神奈川県・片瀬江ノ島海岸、三重県・津松坂湾、兵庫県・林崎松江海岸、4例とも全て例外なくだ。


標本数は少ないけれど、魚介類の異常死と地磁気の関連性は、疑うべきレベルと考えてよいと思う。


植物のアルカロイドの生成については、私にとって完全な分野違いになるが、一つの事象に対してエビデンスが現れる瞬間は気持ちが良いものだ。うちの非常勤の職員に、植物の有機化合物について専攻していたスタッフがいるから、少し話を聞いておこうと思う。



・20XX年8月28日


ここ一週間、本業ではない分野にかなり時間を取られてしまった。


先週、スタッフの白須さんに、植物プランクトンのアルカロイド生成についてディスカッションをお願いしたところ、興味深いことが分かったからだ。


彼女の専攻は、光合成による有機化合物の生成だったが、今回の赤潮の原因となったプランクトンが新種のアルカロイドを生成したこと自体は特に不思議なことではないそうだ。


ただ、基本的に毒性を強く持つアルカロイドの生成は根・茎・葉に分化している高等植物に多く、器官の分化が発達していない藻類や菌類などの下等植物でも見られることはあるそうだが珍しいらしい。だから、今回、発見された新種のアルカロイドのことは驚いていた。


それと、地磁気とアルカロイドの合成との関係性を示す論文は記憶にないそうだ。地磁気と植物の研究で有名なのは、強い磁場を土地にかけておくと植物の根が異常成長を引き起こすことが、実験レベルで証明されていることぐらいしか思いつかないらしい。一応、大学に残っている研究者に尋ねてくれるとは言ってくれた。


ただし、アルカロイドとは有機化合物であり、また植物が有機化合物を合成する働きは光合成により得られていることから、地磁気が光合成の働きに影響を与えることで、新種のアルカロイドの生成が促された、という考え方は荒唐無稽こうとうむけいではないそうだ。


もっとも、彼女が専攻していた光合成による有機化合物の生成とは、「同化」という有機物を合成する生化学反応であり、アルカロイドを生成する「窒素同化」とは、研究対象が異なるので、あくまで参考意見として考えて欲しいとは言われた。ちなみに、彼女が専攻していた「同化」の研究の中でも地磁気と関連する文献は見たことがないそうだ。


専門ではない分野を最初から理解することは難しい。時間もあまりないから、どうしても、端折ってはしょって覚えてしまう。でも、地磁気との関係性が証明できるかもしれない材料もあるから、難しくても苦にはならない。研究者のさがだろう


必要ならアルカロイドの研究を行っている研究室を紹介してくれる、とのことだったので、場合によってはお願いしようと思っている。



・20XX年8月30日


今日は、父と会ってレポートを渡した。仮定が前提となるが、地磁気が植物の窒素有機化合物に何らかの影響を与えていること、その影響の度合いと地磁気の変化の関連性を数値化、さらに、日本での地磁気の観測データを使った魚介類への被害予報についても、簡単なアプリを作成して渡しておいた。


オフレコで話を聞いたが、この新種のアルカロイドの関与が疑われる事例は世界中に広がっているらしい。中国の情報は入ってこないが、台湾やインドネシア、フィリピンといったアジアの各国で報告が上がっている。中東からヨーロッパにかけて、南半球からは、今のところ報告はない。そして、報告が見られないところは、地磁気の異常が確認されていない地域だ。


国際リアルタイム地磁気観測ネットワークに加盟していない国もあるので、関与が疑われる地域の地磁気について、気象衛星での観測が可能かを依頼しておいた。最低でも一か月間のデータは入手したいところだ。一応、欧米の協力は得られる見込みだ。


本業である地震との関連も気になるが、地磁気の変化が今後、収束に向かうとは考えづらく、魚介類への影響が拡大していく場合、早い段階で今以上に深刻な状況になるそうだ。


もう一つ私が気になっているのは、地磁気の異常が見られる地域で必ず新種のアルカロイドの関与が疑われる事例が発生しているわけではない、ということだ。


新種のアルカロイドが確認された地域では、地磁気の異常が見られることは確かだが、その逆は成り立っていない。つまり、新種のアルカロイドの生成に関与している要因が地磁気以外にも・・・・・・・あると考えられる。


そういえば、白須さんが気になることを口にしていた。


植物も生物である以上、人が認識できない「意識」を持っている可能性があり、藻類自体が選択的な意図を持ってアルカロイドの生成を行っているのではないか、と言っていたが……


さすがにそれは考えすぎなのでは、と思いたいのだが、私の直感がそう結論付けることを妨げている。


少し調べてみたが、植物に意識があるかどうかは、さまざまな研究報告がなされている。最近では「植物知性生物学」という分野も確立されている。


「意識」の定義をどのように持つかが大きな鍵となるようだが、少なくとも植物が同種を識別、他種を排除しようとする動きを見せることは確かなようだ。


移動が大きく制限されている植物が、身を守るすべは多くない。


毒物となるアルカロイドを生成することで、他生物からの摂取を妨げるという行動を持つことは、種を守る生物としての本能からすれば、ごく自然なことだ。実際、地上の植物の中には、そうやって昆虫の食害から逃れている種もある。


もっとも、植物の「意識がある」という説は、エビデンスのない非科学的な事象が多いことも確かなため、父へのレポートには記さなかったが、個人的な興味が出てきたので、余暇を利用して調べてみようと思う。


植物が新種のアルカロイドを生成したことに、何か選択的な「意図」があるのかを……




▼20XX年9月3日 農林水産省、大臣室


農林水産省は、ちょうど三方を地下鉄の丸の内線、日比谷線、千代田線の霞ヶ関駅に囲まれたところ、合同庁舎第一号館の中にある。3つの霞ヶ関駅いずれもアクセスは良いが、正面玄関に最も近いのが日比谷線霞ヶ関駅A7出口となる。


そして、その3階に位置する大臣室で、桑原大臣と公設秘書の原美晴がソファーで向かい合っていた。原は、桑原大臣の妻の遠縁で公設第二秘書を務めている。


「香織ちゃんのレポート、もう読み終わりましたか?」


原は香織よりも10歳ほど年上だが、実家が近所だったため遠い親戚というよりも、姉妹のような関係だ。


「ああ。なかなか上手くまとまっていたな。一緒に持ってきたアプリも確認したが、面白い」


「私の方でも、しばらくテストしてみます。地磁気のデータは香織ちゃんが送ってくれますし。水産庁にも声掛けしておきましょうか?」


「いや。本格運用できるレベルになるまでは様子をみよう。公私混同になると困るしな」


「分かりました」


桑原大臣は、末っ子の香織を溺愛しているが、公私の一線は引いている。地磁気研究所との契約も紹介はしたが、契約に至ったのは香織が大学院時代に残した研究成果によるところが大きい。実際、香織は地磁気に関しては日本有数の研究者として認知されている。


「観測ネットワークのデータは入手できそうか?」


「大木大臣のところの高橋秘書には連絡してあります。彼からは、一週間ほど時間が欲しいといわれましたが、おそらく大丈夫かと」


「うむ」


香織から依頼されていた国際リアルタイム地磁気観測ネットワークが持つ北半球全体の地磁気データは、桑原大臣と同じ派閥である国土交通省大木大臣のところの公設秘書に、原が直接依頼したようだ。桑原大臣は満足げに頷いた。


「それで、明日の予定ですが――」


そして、原が手元のペーパーをめくりながら、明日のスケジュールの確認を行おうとしたとき、勢いよく大臣室の扉が開かれた。


「大臣!」


大声を上げながら、速足で入室してきたのは公設第一秘書の田島博だ。


「なんだ、騒々しい」


片眉を上げながら桑原大臣が軽く睨むが、意に介さず田島は、テーブルの上に置いてあるテレビのリモコンを手に取り、スイッチを入れる。


「見てください。CNNのニュースです」


田島が選局したのはケーブルテレビで配信されているCNNの日本向けチャンネルで、日本語の同時通訳付きだ。


「なんだ、これは……」


そして、桑原大臣も原も、画面にくぎ付けになった。


そこには――


上空からの俯瞰ふかん映像が流れていた。かなり高空からと思われる映像は、ドローンではなくヘリコプターからだろう。海岸線が映し出されている。そしてテロップには、「速報 西海岸を埋め尽くす大量の魚」との文字がある。


「魚の死骸です。報道では、海岸が推定1億匹以上の魚の死骸で埋め尽くされているそうです」


映像で見る限り、その「白い線」は、はるか遠くまで続く海岸線を、見渡す限りどこまでも――どこまでも連なっていた。


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