第2話

《優吾》


 気がつくと、俺は自分の部屋の椅子に腰をかけていた。

 窓を見ると、先ほどまで茜色に染まっていた空はすっかり色を失い、今は暗い夜闇に小さな光が散りばめられていた。


 目の前の机に目をやると、ノートが一冊開かれた状態で置かれていた。ページには『今日の日付』とその下に『日記のような内容』が記載されていた。これは俺の中にいるもう一つの人格によって書かれたものだ。


 勝手に詩音からの飯の誘いを承諾して押し付けたにも関わらず、文句も言わずに役目を果たしてくれる彼には頭が上がらない。

 ノートには丁寧に『ーー新規追加ーー』と補足したところで新しい内容が記載されていた。俺はノートに書かれた内容に目をやる。


「ファミリーレストランで詩音と話してきた。詩音は自分の彼氏について相談をしてきた」


 俺は眉間にシワを寄せた。やはり詩音は最近彼氏とうまくいっていないようだ。俺自身、二年に進学してから3ヶ月の間、一度も学校へは行っていない。代わりにもう一つの人格が行ってくれており、俺は彼が送ってくれたメモを通して重要なことを大まかに記憶していた。記憶していたというよりは思い出していたと言ったほうが近いだろう。俺と別人格は互いに俺の身体を使っているため記憶の共有ができているのだから。


 そのため、俺は別人格が見ていた記憶を想起させることができる。教室で詩音と彼氏がどんな様子だったかを別人格の記憶を通して垣間見ることができるのだ。

 ここ最近の詩音は不貞腐れている様子だった。決して外には出さないようにしているが、長年一緒に付き合っている俺だからこそ分かる違和感が、詩音には見られた。


 表情や仕草、話の応答に微妙な変化があった。それは俺と関係がうまくいっていない時に見せる微妙な変化だ。だから、彼氏とはうまくいっていないと思っていたが、案の定みたいだったな。


「詩音の悩みは『最近、彼氏が自分に対して冷たいこと』『彼氏が別の学校の女子と付き合っている噂があること』の2点だった。俺は下手に口出しするわけにはいかなかったので、詩音がまだ彼氏に対して好意を抱いているのならば、そのままでも良いと言っておいた。噂はあくまでも噂に過ぎないのだから」


 大まかなやりとりは理解できた。流石は別人格。自分の立場を弁えて行動してくれている。彼の厚意に俺は心の中で感謝した。

 内容にはまだ続きがあったため読み進める。


「去り際、彼女の背中はなんだか小さく感じた。外では元気な様子を見せつつも、おそらく相当参っている様子だ。優吾に相談したのは、唯一心を許せる相手だからだろう。一つだけ主人に問いかけたい。このまま詩音を彼氏と一緒にいさせてあげて良いのだろうか」


 最後の文には、そんなことが記載されていた。

 せっかくの厚意を無碍にするように、お節介な文を書き残していた。

 俺だって、詩音を助けてあげたい。だが、詩音が彼氏にまだ好意を抱いている以上、関わるわけにはいかないだろう。詩音が勝手に彼氏を作ったせいで、俺は心を傷つけられたんだ。彼氏関連で俺があいつを助ける義理はない。


 机に置いてあったペン立てからボールペンを取り出すと、別人格に対する回答をノートに書き記した。


《優吾Another》


 気づけば外は青空に包まれ、日の光が窓から差し込んでいた。

 自分の姿を見ると夏服を着ていて、目の前にある机に学校用のバッグとノートが置かれていた。


 いつもなら、朝の用意は俺がする。主人は起床して、朝食を食べた段階で人格を俺に切り替えるのだ。最初は面倒に感じたが、半年も経てば慣れたものだった。しかし、今日は違うらしい。時計の針を見ると家を出る15分前を指していた。


 まだ時間はある。その状態で俺に切り替えたということは何かをしろということだろう。そして、それはおそらく目の前にあるノートの内容を読めということに違いない。

 俺は机のノートを手に取り、昨日俺が書いた内容のアンサーを目にした。


「昨夜はありがとう。いい判断をしてくれた。きっと俺もそうしたと思う。ただ、最後の言葉は余計だ。これは詩音の問題であって、俺には一切関係ない。詩音の話を聞いてあげることは大切だが、今後もお前からは一切何も言うなよ」


 やはり主人は何もする気はないようだ。詩音に彼氏ができて初めて自分の恋心に気づいた主人らしい言葉だ。では、この件に関しては別人格として行動するとしよう。俺は人格切り替えのアプリを開いてサービス概要の一文を見る。


『当サービスは、お客様にとって心地のいい生活を送ってもらうためのものです』


 私の本来の目的はこれだ。主人に心地のいい生活を送ってもらうために、この件は解決しておく必要がある。


 ****


 夕飯時、今度は俺の方から詩音をレストランに呼んだ。

 昨日の借りもあってか詩音はすぐに承諾をしてくれた。彼氏について聞くと、今日は彼氏側に用事があって別行動とのことだった。


「よっす!」


 席でメニューを選んでいると詩音がテーブルへとやってくる。レストランに来て、満員のため待つ必要がないように俺は先にレストランへと赴いていた。


「急に呼び出して悪いな」

「別にいいよ。特に用事はなかったし。それで、用事って何?」

「まあ、まずはご飯でも食べよう。何頼む?」


 俺は持っていたメニュー表を詩音へと差し出した。詩音はいきなり話を振らなかった俺を訝しげに見つつも、メニュー表を受け取って注文メニューを決める。少し経ったところで詩音から決まったとの報告を受けたので、店員を呼んで注文した。


「今日は一日、何をやっていたんだ?」

「特に変わったことはないよ。宿題を終わらせて、SNS見てたり、ゲームしてたりした」

「そうか。彼氏の用事は何だったんだ?」

「今日は友達と遊ぶんだってさ」


 詩音は不貞腐れた様子だ。自分よりも友達を選んだことに少しばかり寂しく憤りのようなものを感じたに違いない。

 短いやりとりをしていると注文した料理がやってくる。俺は受け取るとすぐにいただく。詩音は俺が話す様子を見せないのを見ると、自分の料理を口にした。


 それからは特に何を話すこともなく完食。互いにお腹いっぱい食を堪能した。詩音は満腹のお腹をさする。俺はその様子を見ながら、スマホをいじり始めた。最後に食後のデザートがやってくる。


「それで本題なんだけど」


 詩音がデザートを一口いただいたところで俺は話を切り出した。人は満腹感を抱いている時や美味しいものを食べている時は、判断力が鈍り、情報を受け入れやすくなる。それを狙ったのだ。


「この写真を見て欲しい」


 そう言って、詩音の前にスマホの画面を置く。その瞬間、彼女の持っていたスプーンの動きが止まった。


「なに……これ……」


 詩音はスプーンを置くと俺のスマホを手に取り、画面を凝視する。


「昨日の詩音の話が気になって、実は今日、詩音の彼氏をつけてみたんだ」

「そうだったんだ……やっぱりか……」


 詩音が見ていた写真は彼女の彼氏と別の高校の女子生徒が歩いている写真だった。このレストランに来るまで、俺は彼の行動を尾行し、噂が真実かどうかを確かめた。まさか初日で決まるとは思いもしなかったが、答えは真実だったみたいだ。


 写真を見ている時の詩音の表情は難しいものだった。寂しくありつつも、噂の正否を知って安堵しているような、そんな顔だった。


「あのさ……詩音。少し聞いて欲しいことがあるんだ」


 俺は少し声のトーンを落として詩音に語りかける。詩音は写真から俺の方へと顔を向けた。目尻にはほんの少し涙が浮かんでいた。


「今から俺の正直な気持ちを話そうと思う」


 彼女の目を真剣な様子で見ながら言う。浮気疑惑の真偽は分かった。その上でどうするか。それは主人と詩音が決めることだろう。

 俺は自分の腕につけたデバイスに映るアプリのスイッチを押した。

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