【短編】これからもよろしく

結城 刹那

第1話

《優吾》


「これからもよろしく」


 そう言って、詩音(しおん)は微笑みながら手を振ると、自分の帰路を歩いていった。彼女の長い髪は風にさらわれるかのように靡いていた。

 俺は手を振り返しながら、詩音の姿が消えるまで見送った。いや、彼女の姿が消えても俺はしばらくの間、そこに立ち続けた。


 詩音は幼稚園からの幼なじみだった。母親が友達ということもあって、俺はよく詩音の家に預けられた。思春期前の俺たちは異性に関してまだ理解ができていなかったため何の躊躇いもなく一緒に遊んでいた。


 小学校、中学校、高校と進学しても俺たちはいつまで経っても友達としてよく遊んだ。他の女子に関しては異性を意識してしまうのに、なぜか詩音だけには何も思わなかった。幼い頃から遊んでいたせいで慣れていたのだろう。


 気兼ねなく遊べる異性。だが、それも今日で終わりを告げる。

 下校途中、不意に詩音から「彼氏ができた」との報告を受けた。その時は、顔には出さなかったものの心にはとてつもないほどの損傷を負った。


 そこで気がついた。俺は詩音のことが好きだったんだなって。

 よく遊び、いつも一緒にいて気を許しすぎていたからか自分が彼女に恋心を抱いていたなんて思いもしなかった。


 でも、今の自分の傷ついた感情は紛れもなく、失恋によるものだろう。

 失って初めて気づくというが、本当その通りだ。


《優吾Another》

 

 この体を借りて、もうすぐ半年になる。

 それにしても、生物というのは本当に興味深い存在だ。主人の体を借りている時、自分が経験していなくても、主人が経験していれば、記憶を想起させることができる。


 初めて主人の体を借りた時は、俺にとって初めての経験ばかりだった。しかし、体は以前経験したことのあるかのような振る舞いを見せる。歩くことや挨拶をすること、友達と話すことや授業を受けること全て、まるで身体を乗っ取られたかのように自動で処理する。


 身体を乗っ取っているのは、俺だというのにおかしな話だ。


 しかも、それは俺の感情すらも支配する。感謝や褒められると嬉しくなったり、痛みや嫌味を受けると悲しくなったりする。感情を抱いているのに、俺自身は何とも思っていないためメタ認知が働き、変な気持ちにさせられる。


「ねえ、優吾。私これからどうしたらいいかな?」


 そしてそれは、目の前にいる彼女、相葉 詩音(あいば しおん)と一緒にいる時はより顕著だった。彼女は主人と幼なじみの関係であり、強い信頼関係を築いているようだ。


 だが、彼女に主人よりも大事な存在ができてからは、この信頼関係に傷のようなものができはじめていた。俺が主人の身体を借りるようになったのはちょうどその頃だ。

 詩音は関係に傷がついていることを知らない。それは主人の努力のおかげだ。主人は自分の体を俺に託すことによって、彼女との信頼関係を保っている。


 今、主人の体には『私と主人』の二人の人格が刻まれている。人格は腕につけられたデバイスに登録されたアプリを使うことで切り替えることができる。主人は詩音や彼女の彼氏と会う時だけは、俺に人格を変える。


 ただ、高校二年になった際、不運にも主人と詩音、そして彼女の彼氏が一緒のクラスになってしまったため、学校には俺がメインで通うこととなった。

 しかし、それももう直ぐ終わりを告げることになるのかもしれない。


 今日の夕飯時、詩音に「一緒にご飯に行かない?」と誘われたらしい。推定なのは、彼女からのメッセージを受け取ったのは主人だからだ。主人は詩音からの誘いを承諾すると俺へと人格を変えた。面倒な主人だと思ったが、彼の体を借りている以上、言うことを聞くしかない。


 ファミリーレストランで食事をしている最中、彼女は彼氏について相談してきた。どうやらここ最近、彼氏が自分に冷たくなっているとのこと。加えて噂ではあるものの彼氏は別の学校の女子とも付き合っている可能性があること。その二つについて聞かされた後、俺に意見を求めてきた。


 正直、彼女のことを考えても、主人のことを考えても、「別れろ」と言うのがいいのかもしれない。しかし、それは俺が介入していいところではない。俺はあくまで詩音に寄り添う形で動かなければいけない。


「詩音はどう思っているの?」

「私は……まだ自分の恋心が冷めたわけじゃないから、できればこのまま関係を続けていきたいと思ってる。でも、他に女がいるのならこのままってわけにはいかないとも思ってる」

「つまりは浮気をしているか否かで決めようって感じかな?」

「……うん。そうなる……ね……」


 となると、話は案外簡単に解決しそうな気がするな。あとは主人次第ではあるところだ。一番難しいのが自分自身の説得というのは何と滑稽なことだろう。人間というのは本当に難しい生き物だな。


「俺としては、詩音の恋がまだ冷めていないのならこのまま関係を続けていいと思う。別の女子と付き合っているというのもまだ断定できていないのならば、気にする必要はない。下手に気にすると彼の行動全てを疑うことになるから」

「優吾……そうだよね。まだ決まったわけじゃない。もうちょっと彼を信じてみようと思う。色々と愚痴や相談を聞いてくれてありがとうね」

「いいってことよ。せっかくの異性の親友なんだから互いに気を配らずにいようぜ!」

「おう! 頼りになるね、優吾!」


 俺と詩音はそう言って、互いに拳をぶつけた。いつも主人と詩音はこのようにしているらしい。何だか異性の友情というよりは男の友情に近いものがある。詩音の性格はそっち寄りみたいだな。


 兎にも角にも、俺としてのやるべきことは明確となった。

 あとは今日の出来事をノートに書いて、主人からの返事を待つ事としよう。

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