1億円の消失と相続

第3話 消えた1億円と現れた美女


「はっ? 1億円がなくなった?」


 朝、古祐こすけが出勤すると同時に、小田桐おだぎりのそんなえるような大声に出迎えられる。


 古祐こすけはカバンを机に置きつつ、まゆをひそめながら近づくことで小田桐おだぎりに状況を問う。


「ちょっと待て、状況を、調べてる……はっ、えっ、マジで? ほんとに金本かねもとのやろうの個人口座に1億円振り込まれてる……おい寺井てらいィ! この振り込みの手続きしたのおまえだろ、どうなってんだ!」


 短髪で恰幅かっぷくがよく、声の太い小田桐おだぎりにどなられ、入社してまだそれほど経っていない寺井はおびえながら飛んできた。

 シャツの脇や背がすでに大きくぬれている。


「え、いえ、え、は、きのう、残業、してるときに社長から、『振り込み手続きお願い。ほかの役員にはもう話通してあるから。振り込みの承認もおれがするからさ』って言われたんで、え、いや、それで、はい……」


 とハンカチで大量に流れる汗をぬぐいながらこたえた。


 小田桐おだぎりはもういちど強く息を吸いこんだが、やらされただけの人間を怒るのはスジが違うと考えたのか、怒りをそとへ追い出すようにふーっとほそく長く息を吐いた。

 髪をあらあらしくかきむしる。


「そうか……あいつ、社長ならまあやりそうだ。大声出して……わるかった」


「金額合ってるのか、何度も、確認は、したんですけどぉ……」


 半泣きの寺井てらいの背にポンポンと手をあて「すまん」とくりかえす小田桐おだぎり


 古祐こすけはそうした話を耳に入れつつ、なにも言わずに社長の金本かねもとのデスクへと向かう。


 はたしてうすっぺらい紙が1枚置いてあった。



<ダイキとコスケへ 金増やしてもどってくるから期待してろよ!!!>



 ダイキというのは、小田桐おだぎりの下の名まえだ。

 もともとは大学の同期である小田桐おだぎり金本かねもとが設立した会社であり、あとから誘われた古祐こすけも含めて3名で取締役となっていたが、一番最初に絵をえがいた金本かねもとが代表、つまり社長となってふたりはそれを支えるような体制をとっていた。


 古祐こすけが紙を手にとったのを見て、「なんかあったのか?」と小田桐おだぎりが近づいてくるので、ペラリと見せる。


「あっ、のっ、大バカやろうがぁぁぁぁ!!!」


 ごく簡潔なそのメモを目にした小田桐おだぎりが、オフィスをゆるがすような音量で罵声ばせいを放つ。


「金増やして、じゃねぇよどうするつもりだよ! 支払い月末だろ!? よりにもよって月末に持っていくんじゃね、えっ、今月の払いっていくらぐらい? いやいくらだろうと絶対足んねぇよな」


 受けとった紙を破らんばかりにワナワナと握りしめている小田桐おだぎりを置いて、古祐こすけはすぐそばの自分のデスクにもどり対象を洗い出す。


「給与、社会保険料、銀行への借金の返済、あと大きいのは外注さんへの支払い。こまごましたのもあるけど、ツイドリさんが大きい」


「うち、月末に集中させてるもんな……全部やばいけど、よりにもよってツイドリさんへの支払日か……」


 ツイドリさんというのは、「株式会社ツインドリル」という協力会社のことだ。

 古祐こすけの会社の主要事業であるアプリ開発のうち、自社内でまかないきれない部分について大きく頼っているのがツイドリさんであり、そこへの支払いができないということは会社が崩壊することを意味する。


 古祐こすけはパソコンの画面でカレンダーを立ちあげ、月末まであと5日しかないことを確認する。


「いくら、足んないの」小田桐おだぎりがうめくようにく。


「9,150万円」


「つまりあのバカが持っていった1億円ってことだねぇ! いや、マジで、マジでどうするこれ。ツイドリさん単体でも6,000万円? 会社つぶれんじゃねぇのこれ……」


「社長に連絡してみた?」


鬼電おにでんしてもぜんっぜんつながらん。既読もつかないし。寺井てらい、わるいけど2~3時間に1回ぐらい定期的に社長に連絡してみてくれ。もし連絡とれたらすぐおれに教えてほしい。……あのバカ社長が戻ってくりゃいいけど、最悪のケース考えといたほうがいいよな……ツイドリさんに洗いざらい話すか?」


「あそこは、社長同士のつながりがものすごく濃くて、普段ふたりがどういうやりとりしてるかもわからないんだよね。もちろん最大限迅速じんそくに対応すべきではあるんだけど、この額の支払いが遅れるって信用をいちじるしく毀損きそんするから、ほかの方法全部探ってからにしたほうが、いいかもしれない。遅れるどころか払えないかもしれないし」


「銀行から借りるのは?」


「審査にも入金にも時間かかるから5日じゃ確実に間に合わない。それに、このあいだ『あと2億円あればなー』って金本かねもとくん、社長が言うから打診してみたら、『2億、はは、いまいくら借りてるかご理解されてます? 御社おんしゃの業績なら、んー、追加であと2,000万円ならってとこですかねぇ』って担当が鼻で笑ってた」


「あと2億……あーことあるごとに『いまが大々的に広告打って攻めるときだろ!』って言ってたな……。おれとおまえはタイミングじゃないって反対してて、そうか、それも、あんのかな。……出資者を探すのは、どうだ?」


「それも時間の問題があるし、まあ銀行よりは可能性あるかもだけど、もともと社長が外部からの出資に否定的だったからね。『上場したいわけじゃない』ってよく言ってたし。それにそういう案件を取ってこれる可能性があるのは社長だけど、自分と小田桐おだぎりくんで、行けると思う?」


「いや……ムリだろうな……」


 社長の金本かねもとには口から生まれたようなところがあり、表面的な人づきあいが非常にうまく、他社との交流を含め会社の営業全般をになっていた。

 「おれにも株を買わせてくれないかって言われてさー」といった経営者の集まる酒席しゅせきでなされたという出資の話を金本かねもとから聞いたことはあったが、初手から断ったという話もしていたため、具体的にどこのだれかまではまったく聞いていなかった。


 技術関係を担う小田桐おだぎりと、財務などほかの部分を担う古祐こすけとでこれまではうまく役割を分けられていたが、まさか社長がいなくなる事態は想定したことがなく、またこうしたときに突拍子とっぴょうしもないアイデアで解決策を思いついて突破していくのが金本かねもとでもあったため、ふたりはうんうんうなるばかりで対応策が出てこない。


 古祐こすけはわずかではあったが、深刻そうに眉根まゆねを寄せていた。

 小田桐おだぎりがそれに気がつく。


「……どうした」


「いや、こういうときダメな理由は簡単に浮かぶのに、肝心な解決策のほうがなにも浮かばない自分が、情けないなって」


「まあ、それが、おれたち3人の役割分担だったろ。金本かねもとのアイデアは現実ばなれしたものも多いから、古祐こすけがブレーキ役になって実行可能なもの探って、おれが調整して実現まで地道に進めていって、それでバランスよくまわってたんだ。おれだって情けねぇよ……なあ、支払日までに、あいつ戻ってくると思うか?」


「信じたい。信じたいところだけど……」


 ふたりでこれまでの金本かねもと行状ぎょうじょうを思い返す。


 「さすがにこれを破ることはしないだろう」と信頼した局面でも、平気で「ごめーんダメだった☆」と舌を出して詫びるようなことが一度や二度ならずあったため、もうめたろかと酒をのみながらくだを巻いたこともまた一度や二度ではない。


「戻ってくる可能性、五分五分ってところかな……」


「だよな……」


「最悪の事態は、考えておくべきだと思う」


 と古祐こすけが言ったところで、入口の扉がバンとひらく大きな音がひびいた。


 ふたりで怪訝けげんな顔をそちらへ向ける。


「に、新座にいざさんすみませんお客さんなんですがちょ、ちょっと待ってください……!」 


「Oh!! アナタがザコスケね~!」


 と陽気な歓声をあげつつ入ってきた、パイナップルのように頂点で髪を結ぶスラッとした長身の美女にいきなり抱きつかれ、古祐こすけはなにも反応できず地蔵のようにかたまる。


 あ、胸が、胸があたっている。

 こんなところを翡鞠ひまりに見られたらどうであろうか、即殺であろうか。惜しむらくは見られていなかったことである。一命をとりとめた。

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