第2話 気がつけば、実質的には夫婦に『成って』いたよね。法律どうこうはさておいて
「大好き♡ 大好き♡ 大好き♡」
なにやら室内にボソボソと不審げな声がひびく。
声の発生源を見ると、男がベッドに眠っていて、女がその脇にひざをつき、男に愛をささやいているようだ。
時計へと目を転じると、なに、まだ朝5時にもなっていないではないか。ずいぶん早すぎはしないか。
男――26歳となった
深夜に地震が来ても気づかないことしばしばである。最低限の野性までも
一方、女――26歳となった
「ざぁこのザコスケ♡ ざぁこだけど大好き♡ もしかしたらざこは私のほうかもしれない♡」
「ザコスケは起きたら
なぜ寝ているときに言うのだ。
なにも反省していないのか。
その真意は
3年つづいてなんらの変化も生じないのならこれは無意味な行いであると結論づけてもよさそうなものだが、「いや、こうすることで私への告白が深層意識に刷り込まれているはず」と
「私はあと何年こいつらの進展ゼロの話につきあわないといけないんだ?」
とそのとき嘆いた声は、しかし悲しいかな、夢を見る
場所をもどして、
自分の家なので、
では、なぜ
シングルサイズのベッドがひとつしかなく、
歩いていける距離の実家の一室には、いま現在も
ひととおり(無意味な)刷り込み作業を完了すると、洗面台に置いてあるメイク道具をとり出す
男のひとり暮らしなので洗面台なんてあってもなくてもいいのだが、借りる家をさがしているときに
6時がすぎ、セットしているアラームが鳴った瞬間とめてムクリとロボットのような正確さで起きあがる
ホカホカとみそ汁のいいにおいがただよってきた。
「遅いのよザコスケ」
顔を洗ってうがいをし、席についた
「おいしいよ」
「まずいなんて言ったら熱々のみそ汁ぶっかけてやるから」
「あれ、おれ紺のスーツどうしたっけ」
「きのうクリーニングから戻ってきてクローゼットの奥にかけてたでしょ。ビニール取ってなかったから取って同じ場所においてある。ビニールのままだとカビちゃったりするんだからちゃんとしてよね」
みそ汁をすすりながら
ただなぜか不動産を契約するときにとなりにいて、正妻のようなふるまいをしたあと「スペアを含めて2つカギがありますので、退去までになくさないようお気をつけください」と渡されたカギのひとつを当然のように自分のバッグに入れたことがあったのみだ。
「契約するとき」と書いたが、上でも述べたように物件さがしのときや見学のときにも「ふたりの家をさがしています」といった
「やっぱりきれいな物件のほうが、彼女さんもうれしいでしょう。ねえ?」
と、見学時にふたりの関係をはかりかねた不動産屋が、さりげなく関係を確定させようと
それに
「いえ、ただの幼なじみです」
とバカ正直にふたりの関係を告げた。
たしかにかつて恋人になってもらえないか打診をし、断られた経緯はあるにもせよ、となりで
「あっ、失礼しました」
不動産屋は「じゃあなんでここにいるんだ」という疑問をのみこみ、「まあどうせ賃貸の客だし適当に案内して終わりでええやろ」と思い直したかのような態度で以後は淡々と契約まですませた。
「きょうは会社寄らなくていいから、このままどっかで夜ごはん食べる?」
と
「はっ? はー? ごはんね、ま、きょうはめちゃくちゃ忙しいんだけど、中華の気分でもあるし中華だったら、ま、時間つくってあげても、いいよ」
と腕組みして、目に宿ったハートがバレぬよう顔をそらしてこたえているうちにどこかへすっ飛んでいってしまった。バラしたらいいではないか。どこを向いている。
「あ、本格中華じゃなくて、町中華ね。タンメン食べたい」
ちがうちがう食事の内容ではなく、幼なじみ
また、ほぼ半日にわたり、自分にはなんら関係がなく、頼まれてもいない不動産物件さがしに同行している時点で「めちゃくちゃ忙しい」理論が通るはずもないことを自覚せんことを念願する。
だから進展しないのだ。
またまた現在へと場所を戻して、やはり頼まれたわけでもない朝食をせっせと
この日は土曜日であった。
とはいえ設立したばかりの中小企業における取締役というものは、代表取締役(社長)のあれやこれやの思いつきにふりまわされることも多く、また役員には残業代という概念がないため、休日も朝も夜もあまり意識せず働くことが多かった。
一方で、
ふたりは駅で別れ、桃太郎の冒頭ではないが
「きょうは早く終わったから、おれがごはんつくるよ」
と
「ふーん、ザコスケにちゃんとおいしいごはんつくれんのかしら」
「
「……じゃがいも」
「じゃがいもね。先月つくったあんかけでもいいかな」
「……ひき肉も冷凍してある」
「じゃあみそ汁の具材でも買って帰ろうか」
そんな話をして近くのスーパーへむかって歩き出すが、
(えっ、
と口のなかでゴニョゴニョと言っていたくとり乱している。
ここに
と、そこへ、
――ドサリ。
となにかが地面へと倒れたような音がした。
ふたりが目をむけると、スーツ姿の女性がひとり倒れ込んでいる。
――えっ、なに、どうしたんだろ
と
「大丈夫ですか?」
大きな声で、女性の反応を見る。
突然意識を失って倒れてしまったようだ。
急いで
女性はぐったりと力を失っており、ピクリとも反応しない。
そうした反応の有無をじっと観察しながら何度か声をかける
「えっ、ど、どうしたらいいかわかるの?」
「ちょうど最近、会社が入ってるビルで講習会があって、強制参加だったし自分で出たんだ。ごめん
話していると「どうしたの」と近づいてきたご婦人がいたため、「突然倒れられたみたいです。すみませんが119番お願いできますか」とテキパキとお願いをする。
――この人の命にかかわるかもしれない。
事態の重さを認識すると、
ブラウス越しで少々判別しにくいが、呼吸はしていないものと判断する。
一分一秒が勝負になると、講師の言っていたことが
迷っているひまはないと自分を
1、2、3、4、5、6…………
小さく口に出して数をかぞえながら思いきり
講習でもそうだったが、見かけよりも力が必要な作業であり、あせりもあって汗がにじむ。
ひたいから汗が流れて目のなかへ入り、瞬間的に痛む。
「
「ありがとう」と受けとり、電源を入れる。「この画面で、手順を案内してくれるはず」と
案内画像とともに、AEDから音声にてつぎつぎと指示が
<胸を裸にしてください>
という言葉が聞こえたところで、
――講習会では人形だったから考えなくシャツを剥いでいたが、女性の服を、男の自分が脱がしていいものなのか。ここは
「代わる」
と短く告げて
「手順はこの画面を見ればいいんだよね?」
と確認し、
ふたりは即座に入れ替わり、
「撮るなッ!」
と
すぐに、
「まわりに、まわりを、ぐるっと囲っていただけませんか! これからAEDをつかいます。倒れているのが、女性なので!」
とたどたどしくも周囲に助けを求める。
その言葉をきいて、何名もの人が人垣をつくってくれた。まわりの野次馬からは見えなくなる。
と、119番通報をしてくれたご婦人がとなりへ来て、「それ貼ったら、上着をかけてもだいじょうぶらしいわ」となにやら調べながら教えてくれた。
はおっていた薄手のカーディガンを脱ぎ、女性にふわりとかけて肌を隠す。
「人に電流を流す」という行為に
そうしているうちに、早々と救急車がやってきた。
あとは救急隊員へとお願いし、のちにその女性は一命をとりとめたとの報に接してふたりで胸をなでおろす。
また、その日の夜に
「あのときの
と興奮したまま
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