告白およびプロポーズにおける深刻なコミュニケーション・エラーとその解消法
七谷こへ
ふたりの日常
第1話 「ありえない」って返事だと告白の了承にならないって本当ですか?
季節は春であった。
高校の卒業式もおわり、桜の花が舞い散る長い坂道を、ひと組の男女がゆるりとくだってゆく。
好きな人と見る夕焼けは、赤く、燃えていて、胸を底からぶるるとふるわすほどに美しい。
空を、町を、人を、すべてを染める濃い
――おれの胸にも、あの夕焼けのようにまっかに燃える愛がある。
と、男が思ったのかは、男の
ただ、ひとの表情と内面とは、必ずしも一致するものではない。
冷血をひとみに宿して「ごみくず」「カス」となじる
ほんとか?
好きなら「ごみくず」はひどくない?
真偽は定かでないが、男は町が一望できるところで立ちどまると、なにも言わずに宝石のようにきらめく家々をながめた。
女もまた、「卒業証書」とでかでかと書かれた厚みのあるファイルを、小脇にかかえて立ちどまる。
ふたりは生まれ育った町をながめたまま、言葉をかわさぬ。
このふたりは、生まれたころから一緒であった。
家もとなりで、親同士も仲のよい、いわゆる「幼なじみ」というものであり、たがいの状況を伝えあうのに多くの言葉を必要としない、とそれぞれが信じていた。
陰と陽、
離れることを考えたこともなければ、想像したこともない。
ゆえに、あえて言葉にしてふたりの関係を定義づけようとしたこともなかった。
男――
が、そうは思えど実際に口にするのはなかなかの難事業だ。
「おれとつきあってくれ」
「恋人になろう」
「彼女ってことでいいか」
いくつかのパターンを昨晩自室で練習していたようだが、どれもふたりのあいだにそぐわないような気がして、この
「お」
この男は表情も薄ければ、口もうまくない。
女――
これがこの女の
「つ」
一方、
「ザコスケ」
ぼそりと捨てるように言い放つ。
「なにかあるなら、早く言いなさいよ」
ザコスケというのは、「にいざこすけ」の名前のうしろ4文字をとったアダ名である。
言うまでもなく「
「ああ、うん」
「か、彼女になってほしいなって、思ったんだけど」
尻すぼみで、最後のほうはボソボソとよく聞こえない。
ありていにいえば、威風堂々とははるかに縁遠い告白であった。
彼女は髪を一本のロープのように太くねじってまとめており、それを横から胸もとへ垂らしている。
その髪の先をいじりながら背を向け、
「はっ?」
と言った。
「ありえないんだけど」
当然のように了承してもらえると妄想していた自分の思いあがりを自覚し、穴があったならば飛びこみたいほど
「ほら、帰るよ。ザコスケ」
おや、頬を
その後、家までふたりは
ξ ξ ξ ξ
「えっ? なんてこたえたって?」
近所のカフェのテラス席で、キャラメルラテのカップを手にとったものの、話が信じられずに友人の
「いや、だから、『ありえないんだけど』って」
「…………あの、それ、どういう意味のありえない?」
「えっ、そのままだけど。『こんなに待たせるなんてありえない、だからザコスケなのよ』『もっとかっこよく決めてよね』『まあ、でも……うれしい』『私も大好きだよ』って意味の」
「あっっっっっりえないでしょ!!」
ほかに人はいないながら、テラスの空間がぐらぐらとゆれるほど、
「バカバカバカバカ、ほんとバカ! あんたずーっと『どうやったら告白してくれるのかな』ってウダウダウダウダやって、念願の告白をしてもらって、その返事がそれ? ぜったい、100%、200%伝わってないからそれ。そのスマホで『そのまま』の意味を検索したあと、すぐに、いますぐに撤回しに行ってきなさい」
「えっ、えっ、うそ」
言われてようやく
「えっ、うそっ! いや、私たち、幼なじみだよ。ずっといっしょだったんだし、伝わってる、はず、だよね? そのあと『帰るよ』ってやさしく言ったし」
「幼なじみだろうと、何十年連れ添った夫婦だろうとね、人間なんて言葉にしなくちゃ伝わんないんだよ! それでうちのじいちゃんとばあちゃん熟年離婚したんだから。ほんとあんた、肝心なところがアホの子だよね。あんたの『やさしく』はね、わるいんだけど信用できないよ」
座り直した
「あんたたちの関係はさ、ま、当人たちがよければ他人の私から言うことでもないとひかえてたけど、
「だって、そんな……」
ことの重大さをかすかながらに理解できたらしい
「恥ずかしい……」
「その恥ずかしい思いを、
「だって! だって、
「ま、それはぁ……恋は盲目ってやつだと思うけどぉ……」
「私、ようやく告白してもらえたってぇ、きのう家でうれしくってひと晩中泣いてたのに、うそ、うそ、伝わってないってこと……? ど、どどどどどうすればいいの……?」
本気であおざめてとり乱す
「ま、とにかく最善手はキチンとあんたから『好き』って気もちを伝えること。それがどうしてもムリなら、どうせあんたらしょっちゅう一緒にいるんだし、どっかでなんかタイミングがあるでしょ。そのときに『あのときの返事、ちゃんと伝わってないかも』とかなんでもいいからちゃんと話を軌道修正すること! いい? 『私も好き』って、シンプルでいいからちゃんと言葉にして伝えるんだよ!」
人さし指を立てて今後の方向性を訓示する
(この子もいつもこんぐらい素直ならかわいいのに)
と
ところが、その後そのようなタイミングは訪れないまま8年の月日が流れた。
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