第33話 決着
(なんだ⁉ 今何が……!)
「シッ!」
「っ!」
バエルの体が動いたのは、魔物特有の防衛本能が働いたからに他ならない。
とっさに腕を硬質化して突き出せば、その次の瞬間には衝撃と共に甲高い金属音が響く。
腕に走る重い衝撃。
それが目にも止まらぬ速さで振り抜かれたローグの剣によるものと理解したのは、それから一瞬後のことだった。
「っ! 〝
バエルは蜘蛛の糸を用いて、その場から緊急離脱する。
(おかしい! 理屈じゃない!)
再びバエルの視界からローグが消え、気づけば真横に現れる。
彼の間合いに入ったことを自覚した時には、すでに刃は振り下ろされていた。
必死に回避行動をとったおかげでバエルはそれをかわすことに成功したが、自身の命に手がかかるシチュエーションに対し、思わず冷や汗を流す。
「どういう魔術なの? それ。物理法則を無視するとか?」
「まあ、それに近いかな」
ローグの体からは、青白い魔力が立ち昇っている。
不思議なことに、こうして全体を見ても、決してローグの魔力総量が増えたわけではなかった。
しかし彼の移動や攻撃の速度が、飛躍的に上昇している。
彼の魔術の名は、〝
その能力は、名前の通り時間に干渉する。
「俺の魔術は、対象物に流れる時間の速度を、速くしたり遅くしたりできる」
たとえば拳を対象とする。
すると放ったタイミングからヒットするまでの時間が、何倍にも短くなるのだ。
ただこれは、拳が命中するまでの時間が短くなっているだけであり、決して拳自体が加速したわけではない。
全身に魔術をかけ、五十メートルを八秒で駆け抜けたとする。
〝
しかし当の本人の速度は上昇していないため、本人だけはいつも通り走っただけ、という状態になるのだ。
これが何を表すかというと――――。
「つまり、速度が上がったように見えても、攻撃の威力も上がったわけじゃないってことだよね」
「その通りだ」
物理攻撃の威力を決めるのは、質量と速さ。
ローグの攻撃は、すべて速度が上がったように見える。
しかし実際には物体の移動速度は変わっていないため、威力自体は変わらない。
「だったらそこまで恐れなくてもいいかな」
そう言いながら、バエルは苦笑いを浮かべた。
恐れなくてもいいなんて、そんな無茶な話は言った張本人であるバエルが一番よく分かっている。
ローグの攻撃は、どれもこれも馬鹿げた威力を持っていた。
単純に考えて、その攻撃がかわしにくくなるってだけでも、インチキであることこの上ない。
(とはいえ、文句言っても始まらないしね)
互いに手の内はほとんど割れた。
そしてすべての情報を踏まえた上で、バエルは自身が大きく後れを取っていることを理解する。
(こいつの魔術を、僕はまだよく理解できていない。加速させられる物体の条件とか、どこまで加速できるのかとか、結局は手探りだ)
手探りならば、守りに入るのは悪手――――そうバエルは判断した。
「〝
彼の両手を、漆黒の毒が覆う。
一連の戦いで、すでにバエルはローグを生け捕りにすることは不可能と判断した。
両手に纏わせたものは、触れれば相手の命を奪う致死毒。
一撃でも与えれば、確実にローグの命を奪うことができる。
この毒は、〝
これで勝てなければ、バエルにあとはない。
(あの拳……今度こそもらったらアウトだな)
静かに構えを取ったバエルを見て、ローグは一層集中力を研ぎ澄ます。
〝
達人同士の戦闘で、時間の流れが遅く感じる現象を元に編み出した、努力の結晶である。
発動における対価は、魔力と集中力。
一度魔術を発動させれば、集中力が続く限り維持することが可能。
しかし少しでも集中を欠けば、魔術は途切れ、その日のうちに再発動させることはできなくなってしまう。
ここで勝負を決めたいと思っているのは、お互い様だった。
「……っ」
初めに飛び出したのは、やはりバエルだった。
〝
対するローグは、自身に〝
研ぎ澄まされた時間感覚の中で、バエルの攻撃を捌いていく。
「ぜぁっ!」
バエルの放った重い拳が、ローグの体を仰け反らせる。
チャンスとばかりに攻めの手を増やすバエル。
ローグはその猛攻から逃れるべく、後ろに跳んで距離を稼いだ。
「逃がすか!」
バエルがローグを追いかける。
それに対してローグは、持っていた剣をバエルに向けて投げ放った。
「っ⁉」
自らの武器を手放したという事実に、バエルは驚愕する。
それによってわずかに反応が遅れたが、彼にとってこの程度の速度で飛んでくる攻撃など、大した脅威にはならない。
わずかに体を傾け、真っ直ぐ飛んできた剣を避ける。
しかし、ローグはその一瞬の隙が稼げれば十分だった。
「〝魔纏・集力〟」
ローグはそこから逆に距離を詰め、両手を大量の魔力で覆う。
〝魔纏〟の中の高等技術、それが〝集力〟。
一つの部位に魔力を集中させ、攻撃力と防御力を跳ね上げる。
もちろん、他の部分の〝魔纏〟が甘くなるというデメリットはあるが――――。
「ふッ!」
集中させた魔力を用いて、ローグはバエルに拳を繰り出す。
それをかろうじて腕で防いだバエルだったが、自身の〝
(これだけ分厚い魔力には染み込んでくれないか……! やっぱり触っただけじゃなくて、こっちから一撃入れないと)
ガードしたとはいえ、大きく後退する羽目になったバエル。
そんな彼に追撃すべく、ローグは地面を蹴った。
「はははっ! まだ僕に接近戦を挑むんだ! イカれてるね! 毒が怖くないの⁉」
「怖いよ。怖いからこそ、攻める」
「面白い人間だなァ! 本当に……!」
笑いながら、バエルはローグに拳を合わせる。
それによって互いの拳による衝撃が辺りに駆け抜け、壁にひびが入った。
(このヒリつき……! 最高だね!)
バエルは、自身の魔物としての部分が強く刺激されているのを感じた。
群れの長、強者への強い憧れ。
その感情が、バエルの強さをさらに引き上げている。
「今ならどこへだって行けそうだ!」
突如として、バエルが両手を広げる。
それを大きな隙と判断したローグは、強く一歩踏み出した。
(かかった!)
バエルは近接戦に付き合い続けることで、自身のもう一つの武器である糸からローグの意識を逸らしていた。
両手から伸ばしていた、目にも見えない細い糸。
それは左右に転がっていた瓦礫へと伸びている。
バエルがそれを引き寄せれば、左右の瓦礫はちょうどローグを挟むように襲い掛かってきた。
「くっ……!」
とっさにローグがしゃがめば、頭上で瓦礫同士がぶつかり粉々になる。
それと同時に、ローグは自身の足に白い糸が絡みついていることに気づいた。
「〝
踏めば粘着質な糸が絡まる蜘蛛特有の罠。
まず糸から意識を外し、瓦礫で足元から意識を外し、最終的にはあらかじめ仕掛けた罠に引っ掛ける。
一連の戦略に対し、ローグは素直に感心した。
「すごいな……足元の罠はいつ仕掛けたんだ?」
「〝
そう言いながら、バエルは両手をヒラヒラと動かしてみせる。
ローグは現在、完全に足を蜘蛛の糸に取られていた。
刃でなら糸を斬ることはできそうだが、少なくともそんな隙はない。
「いくら高速で動けるからって、動けないんじゃどうしようもないよね」
「……」
足が取られた以上、ローグは移動することができなくなった。
バエルの言う通り、一歩も動けないのであれば、いくら自身の時間を加速させたところで意味がない。
形勢は、確実にバエルの方へと傾いた。
「楽しかったよ、人間。これでとどめだ……!」
バエルが猛毒の拳を振り上げる。
それを見たローグは、ただただ顔を伏せた。
「罠を仕掛けたのが……お前だけだと思うなよ」
「――――へ?」
バエルに向かって、何かが高速で飛来する。
今まさに攻撃を仕掛けようとしていた彼は、それをよけることができなかった。
その何かとは、先ほどローグが投げたはずの、一本の剣。
「な、なんだ……これ」
バエルの口から、血がこぼれる。
ローグの剣は、真っ直ぐ彼の胸元を貫いていた。
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