第32話 時の神の戯れ

「せ、ん、せい……」


「ルル、大丈夫か?」


「だい、じょうぶ……しびれ、てる、だけ」


「……毒か」


 誘拐事件に毒が関わっている可能性を思い出し、ローグはルルの状況とその話を結びつける。

 彼が顔を上げれば、こちらを警戒しているバエルと目が合った。


「お前、魔族だな?」


「は、ははは! その通り! それで、君は誰かな」


「俺はローグ。この子の先生だ」


 ルルを抱きかかえたローグは、そのまま他の生徒が寝ている場所まで歩み寄り、そっと寝かせた。

 

(……一見隙だらけなんだけどなぁ)


 ルルを抱えていることで、ローグの手は埋まっていた。

 仕掛けるタイミングとしては、まさに絶好。

 しかし、バエルは飛びかかれずにいた。

 どう攻撃しても、手痛い反撃を食らうイメージが拭えない。


「ルル、あとは任せてくれ」


「……うん」


 ローグが立ち上がる。

 その瞬間、バエルは全身の産毛が逆立つような寒気を覚えた。


「……君、本当に何者?」


「だから、この子の先生だって言ってるだろ」


「っ――――」


 瞬きほどの一瞬で、ローグはバエルとの間にあった距離を詰めた。

 そのまま放たれた、斬り上げるような一撃。

 バエルはとっさに体を反らせるが、かわしきれなかった先端が胴体を浅く切り裂いた。


「やるねっ……!」


「……」


 余裕を見せるべく笑みを浮かべたバエルだったが、すぐにその表情は苦悶に変わった。


「かっ……⁉︎」


 さらに一歩踏み込んだローグの拳が、バエルの腹部にめり込んでいる。

 内部に響く強烈な一撃を受け、バエルは膝から崩れ落ちた。


「……速いね、ずいぶん」


「鍛錬の成果だな」


 ローグが剣を振りかぶる。

 しかしそれが振り下ろされるよりも速く、バエルは自身の能力を使用した。


「〝蜘蛛の糸スパイダーネット〟……!」


「っ!」


 バエルが飛ばした糸は、背後にあった壁に張り付いた。

 その糸を強く引き、彼は壁際まで緊急離脱する。

 

「糸……あんた、蜘蛛の魔族か」


「正解っ!」


 ローグは剣を構えながら、ジリジリと距離を詰めていく。

 一気に近づこうとしないのは、バエルの毒物に対して警戒しているからだ。 

 

(ルルの体は打撃によってダメージを負っていた……奴の毒は触れることで作用するに違いない。迂闊に近づいて触られでもすれば、ルルのように体が麻痺する可能性がある)


 そんな警戒の裏で、バエルは冷や汗を流していた。

 最初に受けた斬撃と、腹部に受けた拳。

 クリーンヒットしたのはその二撃のみだが、バエルはすでに甚大なダメージを負っていた。

万物中毒マザーズトキシン〟によって再生が始まっているが、治癒系の魔術と違って再生は一瞬じゃない。

 今距離を詰められれば、確実に敗北する。


(ま、そうさせないのが僕なんだけど)


 体を再生させながら、バエルは片手を前に突き出してローグを牽制していた。

 それと同時に、四方に肉眼では捉えにくいほどの細さの糸を飛ばし、緊急離脱の準備を整える。

 

(それにしても……どうして攻めてこない?)


 バエルはいつローグが飛びかかってきても対応できるよう、神経を研ぎ澄ませていた。

 しかしローグは剣を構えたまま、まったく動かない。


「……攻めてこないのかな? 君のレベルなら、もう攻め時だって気づいていると思うけど」


「お前が怪我を治すのを待っていた。活力が回復していくのが分かったからね」


「分かった上で何もしない、か。もしかして僕、舐められてる?」


 怪我を完治させたバエルは、怒りの表情を浮かべた。

 彼にも、魔族という人間よりもはるかに優れた種族としてのプライドがある。

 下等生物に舐めた口をきかれ、怒りを覚えないわけがない。


(俺が出会った魔族の中で、こいつは間違いなく断トツで強い……)


 バエルから感じる威圧感。

 ローグはすでに彼を強敵として定めていた。

 

(恐ろしく滑らかな〝魔纏〟……この人間、そこら辺の奴とは格が違いすぎる)


 無論、バエルから見たローグも、いまだかつてない強敵として映っていた。

 

「はぁ……せっかく僕の仲間がエヴァ=レクシオンを受け持ってくれたのに、君みたいな伏兵がいるなんて聞いてないよ」


 バエルは自身に〝魔纏〟を施す。

 そして魔術を用いて、体内に再び毒物を生成した。


「〝万物中毒マザーズトキシン〟――――〝身体強化毒パワーゲイン〟〝硬度強化毒ハードゲイン〟」


身体強化毒パワーゲイン〟は、ルルの触手を無理やりこじ開けた、身体機能を増強する毒。

 そして〝硬度強化毒ハードゲイン〟は、空気に触れると硬質化する毒。

 バエルは〝硬度強化毒ハードゲイン〟を両手両足の汗腺から放出し、鉄の硬度に匹敵するグローブたちを形成した。

 

(再生を促す〝再生強化毒ヒールゲイン〟は、生成するためにかなりの魔力を消費する……今日はもう二回も生成したから、これ以上はさすがに使えない)


 バエルの魔力は、すでに最大の三分の一程度まで減っていた。

 本来であれば、撤退を視野に入れ始める段階。

 しかし今の彼に、逃走という選択肢はない。

 ここでもし敗走すれば、おそらくもう二度とルルを奪うチャンスは訪れない。

 許されがたい思惑があるにせよ、彼らも彼らで必死であることには変わりなかった。


「ふっ!」


 先に仕掛けたのは、バエルの方だった。

 飛び掛かると同時に、ローグに向けて拳を放つ。

 物理的接触を恐れているローグは、それを剣で弾くようにして防いだ。


(後手に回らせた……! 攻める!)


 バエルが駆使するのは、殴る蹴るといった純粋な体術。

 重ね掛けされた強化毒と、〝魔纏〟さらには強靭な虫の特性をも継承している彼の攻撃は、一撃一撃が必殺の威力を持つ。

 ローグでさえも、剣で受けるたびに自分の体がギシギシと軋む感覚を覚えていた。

 

「だっ!」


「っ!」


 バエルが強い捻りを加えた回し蹴りを放つ。

 それを真正面から受け止めてしまったローグは、剣ごと大きく後方へと吹き飛ばされた。

 

(重い……! 腕が痺れる……!)


 骨に響く衝撃を受け、ローグの表情が一瞬歪む。

 その一瞬を、バエルは見逃さなかった。


(チャンス! 今奴は衝撃で腕が痺れて動かせない!)


 明確な好機に、バエルは飛び込む。

 迎撃態勢を取れないローグは、回避のために全神経を集中した。

 

「させねぇよ!」


 ローグが回避しようと地面を蹴る前に、バエルの背中から突如として飛び出した四本の虫の脚が、それを阻む。

 バエルは元々八本脚の蜘蛛。

 魔族になった際に人型へと変貌した彼だが、残り四本の脚を失ったわけではなかった。

 正真正銘、これは彼の奥の手。

 確実に獲物を仕留めるために温存しておいた、最後の武器である。


「君も捕らえさせてもらうよ!」


 バエルは〝硬度強化毒ハードゲイン〟を解除。

 代わりに、相手の自由を奪う麻痺毒を生成する。


「〝縛り手パラライズ〟!」

 

 麻痺毒を持った拳が、ローグへ向かう。

 到底回避できるはずのない、これ以上ないタイミングで繰り出された拳。


(勝った……!)


 バエルは、己の勝利を確信していた。

 そう、この時までは――――。


「術式解放――――〝時の神の戯れクロノスタシス〟」


 そんなつぶやきが聞こえた瞬間、バエルの視界からローグの姿が消える。


「あ、れ?」


 バエルの拳が空を切る。

 何が起きたのか理解できない彼の視線には、宙を舞う己の虫の脚が映っていた。


 理屈は理解できる。

 ローグはバエルの奥の手である四本脚を切り裂き、回避に成功したのだ。

 しかし彼の腕は衝撃で使い物にならなかったはずだし、仮に回復していたにしろ、あのタイミングではどう考えても剣を振る速度よりバエルの拳が届く速度の方が速かったはず。


(理解はできるけど、納得できない……あのタイミングじゃ絶対――――)


 バエルの視界に、再びローグが現れる。

 そして次の瞬間、バエルの顔面に、ローグの拳が命中した。   

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