第29話 クーちゃん
ルル=メルは、城下町の端、中市民街の平凡な家に生まれた。
メル家の人間はいつも穏やかな性格で、それでいて勤勉であった。
そんな中、メル家の夫婦の元から、ルルが生まれ落ちる。
誰もがそれを喜び、誰もがそれを祝った。
しかし――――彼らの穏やかな時間は、その日より終わる。
「近づかないで! 気がおかしくなりそうだわ!」
母親の投げた皿が、ルルに向かう。
しかし彼女の背後から飛び出した触手が、その皿を受け止めた。
「おい! 大丈夫か⁉」
騒ぎを聞きつけた父親が、焦った様子で部屋に飛び込んでくる。
そして怯える母と、茫然としているルルを見て、顔をしかめた。
「またか……! ルル! その気味の悪い触手を出すなって言っただろ! 何度言わせれば分かるんだ!」
「ごめんなさい……でも――――」
「言い訳するな! 母さんを怯えさせて楽しいか⁉」
「……」
一方的にまくしたてた父親は、黙ってしまったルルを見て舌打ちをする。
「チッ、困ったらだんまりか。……もういい。母さん、動けるか? 向こうの部屋に行こう」
「私……私、もう限界……! どうしてこんな子が私たちの娘なの⁉」
実の娘に対し考えうる限りの罵倒を浴びせながら、母は父に連れられて部屋を出ていった。
そうして一人になってしまったルルの頬を、触手が優しく撫でる。
「……大丈夫だよ、クーちゃん」
生まれた時から、ルルの側には常に人ならざる者がいた。
そのせいで実の家族からも気味悪がられてしまい、十歳になるまで、ルルは家の外に出してもらえたことがなかった。
部屋の隅で丸くなりながら、ルルはつぶやく。
「……クーちゃん、お外って、どんな物があるんだろうね」
ルルは座ったまま、自分の背では決して届くことのない位置にある窓を見上げた。
すると触手が勝手に動き出し、彼女の体を持ちあげる。
「クーちゃん……?」
窓際まで運ばれたルルは、恐る恐る外を見る。
「わぁ……」
広がる街並みは、なんとも平凡な物だった。
しかし一度もそれを見たことがなかったルルにとっては、どこまでも新鮮な光景でしかない。
強い憧れの感情が、ルルの中に湧き上がる。
「ねぇ……外、行ってみようか」
ルルを主人としている触手は、もちろん彼女を止めない。
窓を開け、ルルは外へと飛び出す。
「はっ……はっ……」
家を離れ、街を駆けていくルル。
狭い家の中とは、音も、空気も、何もかもが違う。
それを全身で味わった彼女の表情には、笑顔が満ちていた。
「……楽しいね、外」
やがて走り疲れたルルは、近くにあった公園で座り込んでしまった。
もちろんろくに運動なんてしてこなかった彼女の体は、少し走り込んだだけで悲鳴を上げてしまう。
しかしこの時のルルにとっては、それすらも喜びの一つになっていた。
「――――おい、お前見ない顔だな」
「え?」
そんな彼女に、数名の少年たちが声をかけてきた。
ルルは一目で理解する。
彼らが、自分に敵意を持っていると。
「……っ」
「おい、どこに行くんだよ」
逃げようとした瞬間、少年たちに進路を阻まれてしまう。
一瞬にして囲まれてしまったルルは、強い恐怖を覚えて体を震わせた。
「ここは俺たちの縄張りだ! 勝手に余所者が入ってくるんじゃねぇよ!」
「あ……」
少年に突き飛ばされたルルは、その場で尻もちをついてしまう。
「……どうして」
「あ?」
「どうして、酷いことするの……!」
ルルの感情の高ぶりに合わせて、触手が出現する。
それによって、この公園周辺は不気味な気配に支配された。
「ひっ……な、なにこれ……」
「に……にげろ!」
踵を返し、散り散りに逃げようとする少年たち。
そんな彼らの足を、触手は残さず絡めとり、空中に持ち上げた。
「なっ――――何をしてるんだ!」
「っ……」
突然大人の怒鳴り声がして、思わずルルは触手を消してしまう。
すると持ち上げられていた少年たちの体が、地面へと落ちてしまった。
「あ……」
「いてぇ……! いてぇよぉ……」
「違う……傷つけたかったわけじゃ――――」
ルルの言葉は、もう誰にも届かない。
自分に対して怒鳴った大人が、どこからか騎士団を呼んできた。
一通り取り調べを行った騎士団は、すぐにルルの両親を連れてくるべく動き出す。
やがて連れてこられた父と母は、到着するなり彼女へと詰め寄った。
「お前! 家から出るなって俺たちがあれほど……!」
「……ごめんなさい」
「謝って済む問題か! 人の家の子供を怪我させて……! 何様のつもりなんだ! ああ⁉」
「っ……ごめんなさい」
耳を塞ぎたくなるほどの怒鳴り声。
しかしルルは、苦しくてもそれを受け止めようとしていた。
「……出ていって」
母親の、そんな冷たい言葉を聞くまでは。
「おかあ、さん……?」
「出ていって! あんたみたいな不気味で、平気で人を傷つけるような人間は、私たちの子供じゃない! 出ていって! もう二度と私たちに近づかないで!」
「っ……!」
母親は、考えうる限りの罵倒をルルへと浴びせた。
周りの人間もそれを止めるどころか、同意するかのように彼女を強く睨みつける。
ルルはこの時、自分という存在がどこまでも削られていくような感覚を覚えた。
(……だめ)
削りに削られた精神を抱えたまま、ルルは言い聞かせる。
自分の側にいる、たった一人の友達に。
「だめ……! クーちゃんっ!」
あふれ出した触手が、ルルを睨む者たちへ襲い掛かる。
騎士団の人間も含め、軽傷者八名、重傷者二名。
当時勇者育成に専念するローグの代わりに現場に駆り出された、ミラ=ジャンテールが現着した時、そこにあったのは倒れ伏す仲間たちの姿と、その中心ですすり泣く化物と呼ばれた少女の姿だった。
◇◆◇
(……分かってる。クーちゃんは、ずっと私を守ってくれていた……それを理解しようとしなかったのは、私の方)
バエルに殴られた脇腹は、耐え難い激痛を発していた。
それに耐えるべく、ルルは歯を食いしばる。
(私は責任から逃れるために、全部クーちゃんのせいにしてた。クーちゃんが勝手にやったことだって……私の意思じゃないって)
体に力を込め、ルルは壁を支えにしながら立ち上がる。
それを見たバエルは、感心した様子で手を叩いた。
「すごいすごい! そのダメージで立ち上がれるんだ! 思ったよりも頑丈だね、君」
「私は……ただ逃げていただけ」
「ん……?」
「クーちゃんは……クーちゃんだけは! ずっと味方でいてくれたのに……!」
ルルの魔力が跳ね上がる。
その突然の出来事を前にして、バエルは思わず距離を取った。
「なんだよ、急に……」
触手が、一本、また一本と増えていく。
気づけばルルの体は、大量の触手たちに囲まれていた。
「クーちゃんは邪悪な存在かもしれないけど、私の意思にそぐわないことは絶対にしない……! 私はもう、自分の力から逃げない!」
あふれ出した触手の先が、バエルへと向けられる。
それを見た彼は、にやりと笑った。
「何を吹っ切ったのか知らないけど、この空間で僕だけに攻撃を当てるなんて芸当ができるの? 下手な攻撃じゃ、君の友達たちの体は簡単に――――」
バエルの言葉を遮るように、触手が飛んでくる。
瞬時に身構えるバエル。
しかしその触手たちは、彼を守るように立っていた学生たちの腹部を、的確に打ち抜いた。
「さっき、パーティメンバーを気絶させた時に理解した。意識を失わせれば、行動不能にできるって」
「……へぇ」
学生たちが崩れ落ちる。
そして彼らを触手で拾い上げたルルは、そのまま離れた位置へ移動させた。
「ここからが本番ってことだね」
バエルは自身に〝魔纏〟を施す。
対するルルは、自身だけでなく数多の触手たちにも満遍なく魔力を纏わせた。
「――――行くよ、クーちゃん」
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