第28話 卑劣な戦略
「〝
ルルの触手が、暴れるパーティメンバーたちを絡めとる。
彼らは。すでに呻き声をあげながら襲い掛かってくるだけの存在になっていた。
「……ごめん」
ルルは触手を操作して、彼らの首に絡める。
そして素早くその首を締め上げて、意識を奪った。
「どうなってるの……?」
意識を失った三人は、苦しそうに呻いていた。
三人とも、ひどく顔色が悪い。
しかし人体の知識や回復系の魔術を持たないルルには、どうすることもできなかった。
(とりあえず運ぶしかない……少し上の階層に行けば、ローグ先生と合流できるかも……)
「ねぇ、そんな足手まといたちは置いてっちゃいなよ」
「っ⁉」
突然の声に、ルルは振り返る。
いつの間にか、彼女の背後には一人の男がいた。
紫髪の男――――バエルは、ニヤニヤと狡猾な笑みを浮かべながら、ルルの周りを歩き始める。
「……出入口は後ろ。それなのに、どこから来たの?」
「ああ、ちょっと抜け道をね。君たち学園の生徒がこのダンジョンに潜るって話は知ってたから、あらかじめ地面をぶち抜いてショートカットできる道を作っておいたんだよ」
そう言いながら、バエルは壁を指す。
そこには確かに人一人が通れそうなほどの穴があった。
「……ダンジョンの天井や壁は、すごく分厚いって聞いている。簡単に穴を開けられるわけがない」
「ハッタリだと思ってる? 残念、こんなレベルの低いダンジョン、僕ら魔族からしたら紙みたいな物だよ」
「魔族……」
「おや、魔族に会うのは初めて? じゃあ自己紹介しないとね。初めまして、僕は〝
「……どうして私の名前を」
「ずっと見ていたからさ! 僕は自分の毒を摂取させた存在を、眷属としてある程度操れるようになる。そして眷属が見たり聞いたりした情報は、そのまま僕の頭にも流れ込んでくるんだ。このダンジョンに入ってからの動向も、そこにいる可愛い眷属たちを経由して把握してたよ」
そう言いながら、バエルはルルが締め落としたレイナたちを見る。
「……みんなを元に戻して」
「僕を倒せば、彼らの中にある毒も連動して消えるよ。力づくでやってみたら?」
バエルから魔力が噴き出す。
その瞬間、ルルの体に鳥肌が走った。
ルルが感じたのは、恐怖。
彼の魔力は膨大なだけでなく、身の毛がよだつような恐ろしさを含んでいた。
「どのみち僕を倒さないと、君は餌になっちゃうんだけどね」
「ッ⁉」
ルルの視界から、バエルが消える。
そして気づいた時には、すでに彼はルルの懐に踏み込んでいた。
「目を離しちゃダメだよ。僕らはどこからでも入り込めるんだから」
魔力を纏ったバエルの拳が、ルルの胴体を捉える。
大きく吹き飛ばされたルルは、そのままダンジョンの壁に叩きつけられた。
「……へぇ、いい反応だね。とっさに触手を挟んだんだ」
「くっ……」
避けられないと判断したルルは、とっさに自分の体を触手で覆った。
さらにバエルを認識してから、彼女は常に高密度の〝魔纏〟を自分に施している。
それでもなお、その体は壁にめり込むほどの勢いで吹き飛ばされた。
(直撃してたら……多分死んでた)
すぐそこまで迫っていた死を自覚して、ルルは冷や汗をかいた。
かなり威力を軽減したはずなのに、腹の奥がジクジク痛む。
たとえガードしたとしても、そう何発も食らってはいけないと彼女の本能が叫んでいた。
(クーちゃんと完全に繋がっていられる時間は、長くても十分届かないくらい……弱い触手を生やすだけならいくらでもできるけど、多分それじゃこの魔族には敵わない)
ルルは、ローグたちとの鍛錬によって〝
今なら邪神クトゥルフと深く繋がらずとも、ある程度触手を行使できる。
しかし〝
可能であれば、敵の手の内を知る前に発動したくないというのがルルの心情。
ただ――――。
(……そうも言ってられない)
どす黒い魔力を纏う目の前の敵は、明らかな格上。
クロの言っていた紫髪の魔族というのが、十中八九目の前の男であるということは分かっている。
つまり、本来の姿のクロよりも強い。
弱体化した彼女に苦戦するルルとは、大きな力量差がある。
「……やるしかない」
「お? 何かするの?」
「〝
ルルの背後から、夥しい量の触手が溢れ出る。
それと同時に、底知れない魔力が彼女の体を満たした。
「来たね……そうこなくちゃ」
「時間がない。さっさと片付ける」
「あはは! いいね! こっちとしてもエヴァ=レクシオンを足止めしている間に君を連れ出さないといけないから、実は時間との勝負なんだ。早めに諦めてくれると助かるよ!」
触手を動かし、ルルはバエルに向けて薙ぎ払いを放つ。
「おっと、危ない」
バエルは触手を跳んでかわす。
その束の間の一瞬。
空中で身動きが取れなくなったその一瞬を、ルルは見逃さない。
「〝
魔力を纏わせた触手を束ね、槍のようにして放つ。
地に足がついていないバエルは、その一撃をかわすことができない――――はずだった。
「〝
突如として彼の手から放たれた糸が天井に張り付き、その体を持ち上げる。
完璧にとらえたと思っていたルルは、それを見て呆気にとられた。
「蜘蛛の糸は救いの糸、ってね」
バエルは体を揺らして勢いをつけると、そのままルルの方へと飛来する。
魔物であった頃の彼の種族は、デビルスパイダー。
Bランクモンスターであるその種族は、人間大の体と自由自在に伸ばせる糸、そして強力な神経毒を持つ。
魔族になった今でも、バエルはそれらの特性を持ち合わせていた。
「糸ってかなり便利なんだよね! 魔物だった時はこんなの思いつきもしなかったけど!」
空中で腕を振るバエル。
すると彼の手から放出された糸が網目状になり、ルルに襲い掛かってきた。
(この糸……!)
細く鋭い糸には、バエルの魔力が纏わせてあった。
触れてはまずいと判断したルルは、触手を重ねて壁を作る。
するとその糸に触れた触手たちが、片っ端からバラバラになっていった。
「魔力を込めることで、切断力を持った糸……!」
「防げてえらい! でも横ががら空きだよ!」
虫というのは、本来怪力だ。
人間と同じサイズ感になれば、当然その身体能力を大きく上回る。
特に瞬発力に関しては、他の追随を許さない。
「がっ――――」
驚異的な瞬発力で再びルルの懐に飛び込んだバエルは、彼女の脇腹に拳を叩きこむ。
今度は触手のガードも間に合っていない。
もろに入った拳はルルに甚大なダメージを与えたのち、その体を大きく吹き飛ばした。
「ごほっ……」
壁に叩きつけられたルルは、地面に崩れ落ちながら血を吐く。
「うーん、致命傷とはいかなかったか。邪神の魔力が漲っていたのが幸いしたね」
「はぁ……はぁ……」
ゆっくりと歩み寄ってくるバエルに、ルルは虚ろな表情を向けた。
意識を失いかけている中、ルルは自分を守るために触手を伸ばそうとする。
「ふーん、まだやる気なんだ。じゃあ、こちもダメ押ししちゃおうかな」
バエルが手を叩くと、彼が開けたと言っていた壁の穴から無数の人影が現れた。
彼らは学園の制服を身にまとっており、その背中からは、まるで蜘蛛の脚のようなものが生えている。
「行方不明になった人たち……」
「彼らは僕の可愛い眷属たちさ。これから僕は、集団で君を再起不能にする。さあ、君は罪のない同族ごと、僕を攻撃できるかな?」
邪悪な笑みを浮かべたバエルは、眷属たちを引き連れてルルに迫る。
「安心してくれ、今すぐ君を殺したりはしない。そう……今はね」
強大で卑劣な敵を前にして、ルルはゆっくり目を閉じた。
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