第24話 気づき

「ほらほら! そんなんじゃワシは捉えられんぞ!」


「……生意気」


「ワシの方が年上なのに!」


 ミラと飲んだ翌日の放課後、俺はクロを学園に連れ込んで、ルルの鍛錬相手を任せていた。

 

「師匠、なんか酒臭いね」


「昨日日付が変わっても飲んでたからね……今でも若干頭が重いよ」


「ふーん、そんなに盛り上がったんだ」


 隣に立っていたエヴァは、何故か俺に責めるような視線を向けている。

 酒臭いのかな、俺。

 朝屋敷を出るときに結構気をつけたんだけど。


「……なんにもなかった?」


「え? ……別に何もなかっけど、どういう意味?」


「何もなかったならいいよ」


 途端に上機嫌になったエヴァが、何故か距離を詰めてくる。

 よく分からないな、年頃の子は。


「ちょこまかと……!」


 戦闘中のルルはそんな言葉を漏らしながら、触手の数を増やす。

 迫り来る触手たちを前にして、クロはニヤリと笑った。


「ほう、そうこなくてはな!」


 クロは魔物であるが故、魔力はあっても〝魔纏〟の技術はない。

 しかし魔力を体に纏わせろとアドバイスしたところ、似たようなことはできるようになっていた。

 身体能力は魔物由来だが、確実に攻撃力と防御力は上がっている。


「面白いのう! 人間の技術は!」


 そしてその纏う技術は、今も確実に練度が上がっていた。

 いずれ完全に〝魔纏〟を習得すれば、彼女の実力は飛躍的に跳ね上がることだろう。


(ルルの実力も確実に伸びている……けど)


 日々の鍛錬、それがルルを育てていることは間違いない。

 しかし、言いづらいことではあるのだが――――。


「伸び悩んでいるね、ルル」


「……ああ」


 元々、ルルの実力は高い水準にあった。

 魔力操作、触手操作の精密性。

 それらが大きく上がった今、ルルの実力はその高水準すらもはるかに凌ぐ。

 ただ、目指していたレベルに到達しているかと言われると、そうではない。

 一皮向ける要素は間違いなく揃っている。

 それなのに……。


(持ちうるはずの実力に、結果が見合っていない……本人もそれは分かっているはず)


 ルルの表情には、焦りのようなものが見える。

 今のクロとの戦いでも、触手で捕らえるチャンスは何度もあった。

 しかしあと数センチ届かない。

 そんなことを繰り返しているうちに、ルルの集中力はどんどんすり減り、さらにミスを重ねてしまう。

 

(悔しいな……教師でありながら、足りないものを教えてやれない)


 何が足りないのか、俺には分からない。

 先ほども言ったが、俺の目からは強くなるための材料がすべて揃っているように見えている。

 可能性があるとしたら、ルルのメンタル面くらいか――――。


「どうしたどうした小娘ぇ! そんなんじゃワシは捕まらんぞ!」


「……っ」


 叩きつけるように振り下ろされた触手を、片手で弾くクロ。

 そして触手たちを掻い潜って一気に距離を詰めたクロは、ルルの胴体に拳を叩き込んだ。


「ぐっ……⁉︎」


「がははははははは!」


 拳の威力に押され、ルルは大きく吹き飛ばされる。

 そして特別演習場の壁に叩きつけられ、その勢いはようやく止まった。


「げほっ、げほっ……」


「なんだ、歯応えないな」


「……」


〝魔纏〟に乱れがなかったおかげで、ルルのダメージは大したことなさそうだ。

 この感じを見るに、〝魔纏〟の練度は右肩上がりに伸びている。

 問題は他だ。


(気長にやっていくしかなさそうだな)


 もしルルがまだ自分の魔術への恐怖を拭えずにいるのであれば、それは簡単にどうこうできる問題ではない。

 この先に進むために必要なのは、きっかけだ。


「……今日はここまでにしよう。もうじきダンジョン実習だ。一応命がけになるわけだから、ちゃんと体は休めておくように」


「だんじょんじっしゅう? それワシもできるのか?」


「ダメだ、残念だけど」


「えー!」


 当日はセバスさんにクロを任せるつもりだ。

 危険が伴うダンジョン探索に外部の者がいたら、みんな混乱してしまう。


「……ローグ先生、ちょっといい?」


「どうした? 鍛錬を続けたいって話なら許可できないぞ」


「分かってる。……少し話がしたい」


「……分かった」


 俺はエヴァにクロを任せ、ルルと共に残ることにした。

 二人きりになってから、彼女はポツポツと口を開き始める。


「先生、私……強くなってる?」


「それは保証するよ。ルルは間違いなく強くなってる」


「そう……あんまり実感できない」


 ルルが顔を伏せる。

 やはりだいぶ焦っているようだ。


「前よりも、クーちゃんの触手が手足みたいに扱えるようになってきた。それは自分でも実感してる。でも……」


「……暴走が怖い?」


 心の底から悔しそうな表情を見せて、ルルは頷く。

 やはり、か。

 

「魔力を込めすぎて、もしも暴走したら……これまでの努力が無駄になるような気がして、怖い」


「ルル……」


「誰も傷つけたくない……もう、誰も」


 自分の魔術によって植え付けられたトラウマは、そう簡単にはなくならない。

 いわば一種のスランプのような状態になっているのだろう。

 

 俺は、スランプの乗り越え方を知らない。

 これまで常に自分は人より劣っているとばかり考えていたし、動きが悪いと感じれば、その感覚がなくなるまで鍛錬した。

 故に、スランプに陥った経験自体がない。

 こういったメンタル面に関するアドバイスに、俺は致命的に向いていないわけだ。

 その中で、俺ができることはただ一つ。


「……ダンジョン実習が終わったら、俺と実戦してみようか。今度は本気で」


「え?」


「もし暴走しても、俺が止める。君には一度、全力を出す機会が必要だと思う」


 ルルはもう、触手を自由に操れるはずなんだ。

 それさえ実感することができれば、ルルの中で何かが変わることは間違いない。

 俺自身がきっかけになれるのであれば、それが一番いい。


「……先生、私に勝てるの?」


「い、一度勝ったし、大丈夫だよ……多分」


「そこは自信ありげに言って欲しかった」


「申し訳ない……」


「……でも、ありがたい。先生が相手なら、私も全力が出せるかも」


 嬉しそうに微笑んだルルを見て、俺は胸を撫で下ろす。

 

「でもその前に、ダンジョン実習を乗り越えないと」


「ルルなら大丈夫さ。低ランク帯のダンジョンだし、引率者も多いしね。外部から襲われない限り、危険なことは……何も……」


「……先生?」


 外部――――未知の敵。

 頭の中で、学園内で起きている誘拐事件と、クロの言っていた魔族の話が結びつく。

 誘拐している犯人が魔族だとしたら、未知の力を使っていることにも納得できる。

 人間の代謝と同じで、魔族や魔物が元々持つ生物的な機能は、魔力が影響しないからだ。

 たとえば、毒。

 蛇や蜘蛛の魔物が元々持っている毒は、魔力によって生成されたものじゃない。

 仮に人間を錯乱させる毒物を持つ魔物がいれば、直接手を下さずとも、対象自身の足で結界の外に向かわせることが可能かもしれない。


「ルル、少し時間をくれるか?」


「どうしたの?」


「学園長に、報告しないといけないことができた」


 もしこの仮説が正しければ――――人類は、魔王に匹敵する新たな危機に晒されている可能性がある。

 

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