第14話 怪しい気配

 ルルの鍛錬を始めてから、早数週間。

 彼女の性質についていくつか分かったことがある。


「胴ががら空きだよ」


「っ!」


 ルルの組手の相手をエヴァに任せている最中、防戦一方だったルルの胴体を、ついにエヴァの拳がとらえる。

 もちろん本気で打ち込んでいるわけではない。

 拳を覆った魔力の一部が、彼女の体に触れただけ。

 しかしルルの体はそれでも大きく吹き飛ぶ。


「はぁ……はぁ……」


「……一旦休憩にしようか」


「ん……まだできる」


「時間はあるんだし、疲労で効率が下がったら本末転倒だよ。今は俺の指示に従ってくれ」


「……分かった」


 疲労困憊といった様子で、ルルはその場に崩れ落ちた。

 その様子を見ていたエヴァが、俺の方に歩み寄ってくる。


「やっぱり、格闘センスはあんまり期待できないね」


「まあ元々近接で戦わせるつもりはないし……仕方ないとは思うよ」


 ルルについてだが、まず彼女には体力がない。

 そういった面も魔力によって底上げすることは可能なのだが、天性の虚弱体質というかなんというか。

 一般的な人と比べて、ルルの体は脆すぎる。

 ここ数日でわずかに改善が見られたものの、経験上こういう子は肉体に負荷をかけても逆効果になることが多い。

 そう考える理由は、悪さをしている原因が本人の魔術にある可能性があるからだ。

 魔術には、ある程度代償を支払う必要がある。

 それは魔力だったり、はたまた行動の制限だったり。

 リゲルを思い出せば分かってもらえると思うのだが、彼は炎の獣を操る際、剣を地面に突き立てていた。

 つまりあの場から動かなかったのではなく、動けなかったのだ。

 地面から剣を引き抜いた瞬間に炎の獣は消えたし、間違いない。

 まとめると、〝炎纏いし獣フレイマル〟は地面に突き立てた剣に触れている間、炎の獣を使役できる魔術――――ということになる。


 ここでルルに話を戻すのだが、では彼女の〝深淵の呼び声ディープコール〟から課せられる制限とはなんだろう?

 俺はそれが、身体的虚弱性だと思う。 

 体力の他、ルルには運動神経もない。

 本人曰く、頭の中のイメージと実際の体の動きが、まったく合わないんだそうだ。

 今のままでは、触手を掻い潜られた時点でルルの敗北は確定する。

 ……ただ、ルルが今よりも全力で触手を扱えるようになれば、この欠点は消失するはずだ。


(ランニングと組手によって、ルルも最低限の魔力コントロールを身に着けつつある……これなら少しずつ魔術の鍛錬に移行してもよさそうだ)


 すでにルルは〝魔纏〟を維持したまま動き回ることができるようになっている。

 魔力に触れ合っていた時間が長い分、感覚を掴むのもかなり早かった。

 おかげでこんなにも早く次の段階に進むことができる。


「よし……休憩終わり! ルル、続きをやろう」


「ん……!」


 俺の指示に一切逆らわず、ルルはついてきてくれている。

 甘やかしていると言われるかもしれないが、まずはこの意欲を評価したい。


「また組手?」


「組手もやるけど、今は別のことをやるよ」


「別?」


「培った魔力コントロールを、魔術に生かす」


「っ!」


「まずは魔術を普通に発動してみよう。確か発動するだけなら特に問題ないって話だったよね」


「うん。呼ぶだけなら大丈夫」


 目を閉じたルルは、その言葉をつぶやくべく口を開いた。


「――――〝深淵の呼び声ディープコール〟」


 あの不気味な気配がして、彼女の背後から触手が広がった。

 それを見ていたエヴァが、感心したように口笛を吹く。


「んー、これはすごい魔力だね。総量が多いだけじゃなくて、なんだか触れてはいけない禁忌を感じるよ」


 やはりエヴァも俺と同じような感想を抱いたか。


「……この後どうすればいい?」


 ルルはしばらく自分で触手を動かした後、俺たちに視線を向ける。


「まずは……」


 俺は手のひらに魔力のボールを形作る。

 そしてそれをもう二つ。

 計三つの魔力玉をルルに見せた後、俺はそれを両手で弄んだ。


「魔力お手玉だ。本来は魔力コントロールの鍛錬の一つ……という名のお遊びなんだけど」


 俺はその魔力玉を、ルルへと放り投げる。

 ルルはそれをキャッチしたが、魔力玉自体はその手の上でまるで雪のように解けて消えてしまった。


「魔力玉は自身の魔力で形を留め続けないと、すぐに霧散して消えてしまう。だから程よい高さ、程よいテンポで投げないと、長く回し続けることはできない」


 ルルは自身で魔力玉を作り、両手で回し始める。

 しかしものの数回で、魔力玉は霧散してしまった。


「……確かに、これは難しい」


「ルルの場合は、これを触手でやってもらう」


「触手で?」


 ルルが自身の背後にある触手を見る。

 

「触手の先端にまで魔力を張り巡らせ、魔力玉を維持したまま投げて、キャッチする。……君の触手は強い。暴走するまで魔力を注がなくても、十分な力を持っている」


「……」


「最初は一つでいいよ。慣れたら触手の数も玉の数もどんどん増やしていく。俺やエヴァがいない時は触手を出さず、自分の手でいいから続けてね」


「分かった」


 一つ頷いて、ルルは魔力玉を回し始める。

 しばらく触手の上で慎重に転がした彼女だったが、すぐに魔力玉は消えてしまった。

 苦戦することは間違いないだろうけど、ルルなら必ず上手くなると確信できる。


(――――さて)


 ルルは鍛錬に夢中で気づいていないが、さっきまでここにいたはずのエヴァが姿を消している。

 さっきから俺は、外に妙な気配を感じていた。

 それはエヴァも同様だっただろう。

 俺がルルを指導している間、彼女は静かに外に出た。


(エヴァが向かったなら大丈夫か…… )


◇◆◇


 放課後の人気のない校舎裏。

 一人の生徒が、おぼつかない足取りで歩いていた。

 彼の制服は泥や埃にまみれ、とてもまともな状況とは言えない。


「……そこの君、悪いけど止まってくれないかな」


 そんな彼に、演習場を抜け出してきたエヴァが歩み寄る。

 彼は正面から現れたエヴァの姿を黙視すると、足を止めた。


(この人、確か二か月前に行方不明になった三年生……)


 エヴァの脳内にあった行方不明者リストと、目の前の少年の顔が一致する。

 しかしそのあまりの変貌具合を見て、エヴァは少しばかり心を痛めた。


(目もうつろで、衣服もボロボロ……肌の汚れ具合からして、監禁でもされていたのかな)


 本来ならば、今すぐ駆け寄って保護するべき。

 分かった上でなお、エヴァには動けない理由があった。


「大丈夫かい? 足取りがおぼつかないけど」


「……」


 少年は何も答えず、うつろな表情のまま、歩みを再開する。

 真っ直ぐ自分の方へと向かってくるのを見て、エヴァはため息をついた。


(この人、魔力が覚醒してる……でも死地を経験したっていうより、誰かに無理やりこじ開けられたって感じだ)


 エヴァが覚えた違和感は、少年の魔力が原因だった。

 おかしな魔力を感知すれば、学園中に警報が鳴り響く。

 つまり余所者の魔力が混ざっているというわけではないし、干渉を受けているわけでもない。

 それでも違和感に気づけたのは、エヴァが達人であるからこそだろう。

 少年の魔力は、あまりにも荒々しかった。

 彼自身の魔力であることに間違いはないのだが、ひどく不安定で、コントロールできていないことは明白。

 放っておくのは危険な状態だ。


「中々見ない状態になってるけど、一体君はどこで何を――――」


「うう……うううううウウウウウウ!」


 少年は突然頭を掻きむしり、背中を丸める。

 するとその背中を突き破るようにして、何かが広がった。

 それは、〝脚〟。

 右に四本、左に四本、計八本の脚が、少年の体を持ち上げる。

 その様子はまるで、〝蜘蛛〟を彷彿させた。


「……敵意爆発って感じかな?」


 少年に睨まれたことをきっかけに、エヴァは自身の腰に提げていた剣に手をかける。

 その瞬間、少年は彼女に向けて飛び掛かってきた――――。

 

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