第11話 邪神クトゥルフ

「〝魔纏まてん〟――――」


 全身をくまなく魔力で囲う。

 

 あの触手は、一言でいえば魔力の塊だ。

 すべての触手に悍ましいほどの魔力が込められている。

 そしてその魔力を込めているのは、中央にいるルルに他ならない。

 

「いあ、いあ、〝くとぅるふ〟、ふたぐん」


 ルルは先ほどから、ずっと謎の言葉を口にしていた。

 するとそのたびに触手は増え、力強さを増していく。


(呪文の中の〝くとぅるふ〟という言葉……確か海底のさらに底の底、深淵に眠る邪神の名前だったっけ)


 邪神、か。

 一部の権能を降ろしただけでこの威圧感。

 ランクとしてはS、下手すればそれ以上の神格。

 

〝接続型〟の特徴。

 その一つは、接続した人ならざるものの権能が行使できること。

 それに加えて、接続中は人ならざるものからほぼ無尽蔵に魔力が供給される。

 これだけ聞けば、無敵の能力に聞こえるだろう。

 しかし強大な存在であればあるほど、現世に顕現していられる時間は短い。

 接続切れまで時間を稼げば、ルルはしばらく無防備になる。

 

(多分それじゃ納得してもらえないだろうけど……)


 思わず苦笑いが漏れる。

 これを相手に時間稼ぎ。

 一体何分? 何時間?

 いずれにせよ、苦行であることに間違いはない。

 つまるところ……正面からぶつかるなんて、無謀にもほどがあるということだ。

 それでもやらなければならない。

 何故なら、俺は教育者だから。


「ま、おっさんらしく、経験値でなんとかしましょうかね」


 俺は姿勢を低くし、床を蹴った。


「〝深淵の呼び声ディープコール〟――――行くよ、クーちゃん」


 触手が動き出す。

 辺りに散らばった本を吹き飛ばしながら、触手は真っ直ぐ俺へ向かってきた。


「ふっ……!」


 下から斬り上げるようにして、一本目の触手を切断。

 そのまま俺は前に出る。


「無駄だよ」


 しかし切断されたはずの触手は、断面から再び同じ長さの触手を生やした。


(超速再生かよ……っ! まあ分かってたことだけど!)


 薙ぎ払うように向かってきた触手を、潜ってかわす。

 バカみたいに広いとはいえ、屋内であることが幸いした。

 壁や天井があるおかげで、動かせる触手の数にも限度がある。

 決闘場でやり合っていたら、こうはならなかっただろう。


(触手は俺の魔力でも斬れる……こっちが触手の直撃を受けることはまずない。問題は物量が違いすぎて、一、二本斬り落としたところで大して意味がないってところだな)


 さて、どうするかな。

 魔術を使うにしても、タイミングは見極めなければならない。

 俺の魔術は、どうにも使い勝手が悪い。

 一度解放したら、術式終了まで止めることはできず、再び解放するまでにインターバルが必要になる。

 まずは生身でどこまでいけるか。

 俺は大きく息を吸って、再び駆け出した。


「無駄だって」


「っ!」


 触手の本数が増える。

 正確には、一本一本の触手を細め、数と密度を増したのだ。

 これなら小回りが利くようになるし、屋内でも戦いやすくなる。

 

(しかも一本一本の力は大して変わってない……泣きたくなるね)


 細くなっているはずなのに、一本の触手から感じるプレッシャーは変わっていない。

 体のどこかを掴まれようものなら、そのまま振り回されて袋叩き間違いなしだ。


「だからって足は止めないけど……!」


「っ!」


 迫る触手をまとめて斬り裂き、一気にルルの下へ駆ける。


「クーちゃん!」


 細い触手たちが、まるで手のひらのように俺の眼前で広がる。

 広範囲に向けた掴み技。

 一太刀ではどうしたって捌き切れない。

 

(だったら、何度でも斬ればいい)


 一太刀で駄目なら、二太刀。

 二太刀で駄目なら、防げるまで斬り続ける。

 やがて広がった触手は、すべて俺の剣によって斬り払われた。


「クーちゃんの触手を全部……でも」


 再び駆け出そうとした俺は、自身の剣に違和感を覚えた。

 刀身を見れば、そこにはいつの間にか細い触手が絡まっている。

 

「散らばった本の下から……⁉」


 ルルは、ぐちゃぐちゃに散らばった本の下に触手を仕込んでいた。

 斬り裂いた触手が再生するまでのわずかな時間。

 そのタイミングで接近しようとしていた俺を、見事に止めた。

 拘束された時間は、わずか一秒といったところ。

 しかし恐ろしい速度で再生する彼女の触手からすれば、十分すぎるほどの時間だった。

 再び展開した触手たち。

 

(ここで斬っても意味がない……! 質量で押し潰される!)


 ならば――――。


 俺は剣を振り、足元を斬る。

 分厚く頑丈な床だが、ルルの触手と比べればなんと柔らかいことか。

 

「きゃああああ⁉ な、なに⁉」


「授業中失礼! すぐ出ていきますので!」


 真下に落ちた俺は、下のフロアで授業をしていた先生に謝罪した。

 謝罪しながらも、足を動かす。

 そして現在ルルがいるであろう床を狙って、落ちた時と同じように切れ込みを入れた。

 

「お邪魔しました!」


 そう言い残し、俺は跳び上がる。

 天井が落ちてくるよりもさらに速く、俺は図書館のフロアへと戻った。


◇◆◇


 ルルは、自身の触手が空振りしたことを認識していた。

 

(あの状況からどうやって……)


 斬られたのならまだ分かる。

 しかしあの状況であれば、もう前も後ろも、横も上もすべて触手の間合いだった。

 瞬間移動でもしない限り、回避することは不可能。

 それでも事実として、ルルの触手は何も掴んでいなかった。

 現状ローグがいた場所は、埃が舞っていてよく見えない。


(逃げ道はなかった……じゃあもう、自分で逃げ道を作ったとしか――――)


 そこでルルは気づく。

 ローグが逃げることのできる、唯一の道。

 前でも後ろでも、横でも上でもなく……。


「下……っ」

 

「正解!」


 気づいた瞬間、彼女の足元の床が一部崩れ、ローグが姿を現す。


(触手を戻しておくべきだった……!)


 ルルの触手は、まだローグが消えた地点まで伸ばしっぱなしだった。

 そしてその判断は誤っていない。

 あの状況において、ローグが距離を一瞬で詰める手段を持っているとは考えにくいものがあった。

 こんなトリッキーな手段を用いず、ローグがその場で上手く回避しただけだったら、すぐに伸ばしたままの触手で絡めとって勝負がつく。

 ルルの中に立体的な思考がなかった時点で、触手を伸ばしておくという選択が最善だったのだ。 


(でもまだ触手は残ってる……!)


 自分を守るために用意していた触手を、ローグへと向ける。

 現在ルルの体は、触手を足場にして宙に浮いていた。

 まだ彼との間には距離がある。

 ここからなら、十分ローグを狙い撃ちできた。

 しかし――――。


「ぅ……!」


 脈動するようにルルの胸元が疼く。

 人ならざるものより供給されていた魔力が、一気に触手へと吸い込まれるような感覚。

 この感覚を、ルルは知っていた。


「ダメ……! クーちゃん……」


 そのつぶやきを聞いて、ローグは気づく。


(触手がルルの支配下から外れた⁉)


 ルルの意思を無視して、触手がローグに襲い掛かる。

 触手には刃物や突起はついていないが、先端に魔力を込めれば十分な殺傷力を持つ。

 人間の体を貫くことなどわけない。

 それを理解したローグは、小さくため息を吐いた。


(なるほど、こういう事情か)


 ローグは触手が自分の腹を狙っていることに気づき、その部位に全力で魔力を注ぐ。

〝魔纏〟の厚みを増やしたのだ。

 触手はローグに直撃したが、貫くこと敵わず。

 しかし彼の体は空中で踏ん張りも利かず、そのまま積みあがった本の山へと吹き飛ばされた。


「また……」


 ルルの顔に、悲しみの表情が浮かぶ。

 本の中に突っ込んだローグは、それから動きがない。

 彼が触手に貫かれなかったことは分かっているが、それでも無傷で済んでいるとは思えない状況。

 

 だからこそ、ルルは自分の首元に添えられた刃への反応が一瞬遅れた。


「ふぅ……さすがに勝負ありかな?」


「え……?」


 恐る恐る振り返った先にあったのは、自分と同じように触手を足場にしている、疲れた顔をしたローグの姿だった。

 


 

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