第7話 初日の朝
「……清々しい朝だな」
ゆっくり湯舟に浸かり、久しく酒を飲まないままの就寝。
深く体を包み込むベッドの寝心地はすさまじく、そこからさらに豪華な朝食で空腹を満たした俺は、数年ぶりに万全の状態を味わっていた。
エヴァの屋敷を出て、向かう先は冒険者学園。
教師として過ごす初日としては、まさしく理想と言っていい。
「体調、かなり良さそうだね」
「ああ、頭が痛くない朝は久しぶりだよ」
「もうあんまりお酒飲んじゃだめだよ? 師匠には長生きしてほしいんだから」
隣を歩くエヴァが、安心したように笑う。
彼女の言うことはもっともだ。
あんな生活、いくら体を鍛えてましたなんて言っても、そうかからないうちに破綻していただろう。
人間何事もやり過ぎはよくない。
酒だって、浴びるほど飲めば毒と変わらないのだから。
学園に到着した俺は、エヴァと別れて職員室へ。
朝早く屋敷を出たとはいえ、昨日と違ってすでに学生の姿がちらほら見られる。
新参者の俺が珍しいのか、ジロジロ見られたりして少々居心地が悪いのだが。
『あの人? リゲル先生の代わりに採用された教師って』
『なんか……リゲルよりおっさんじゃない? 大丈夫なのかな』
『でも代わりってことは、Aランク冒険者並みってこと……?』
『ええ……?』
――――なんか、悲しい噂をされている気がする。
しかしあの生徒たちは間違ったことは言っていない。
実際リゲルは三十代前半といった感じだったし、俺よりは間違いなく若いのだから。
(おっさん……おっさんかぁ)
来年になれば、俺もいよいよ四十台。
二十代も三十代も、今思えばあっという間だった。
こうして生きていることが不思議に思うくらいに過酷なこともあったけれど、なんとかこれまでやってこれた。
そして今から始まる新生活。
年甲斐もなくワクワクしてしまって、少し恥ずかしい。
「あ、えっと、まずは職員室だったな」
危ない危ない。
ぼーっと歩いていたせいで、目的地を通り過ぎそうになっていた。
俺は職員室の前で立ち止まり、ノックに対して返事をもらった後、扉を開ける。
「失礼します」
「おはようございます、
「……! おはようございます、
リナリアさんの出迎え言葉に一瞬驚いてしまったが、俺はすぐに言葉を返すことができた。
そりゃそうだ。俺は今日から教師としてリナリアさんの部下になるわけなんだから、昨日のように様付けで呼ばれているのは不自然である。
「皆さん、少々お時間いただけますか?」
リナリアさんが職員室にいる人間に声をかけると、皆こちらを向いてくれた。
「こちら、本日付で我々教師の一員になっていただくことになった、ローグです。科目は、主に実戦総合を担当となります」
「えっと……改めまして、ローグと申します。王都は久しぶりで指導者経験も浅く、至らぬところばかりかと思いますが、色々とご教授していただけると幸いです。これからよろしくお願いします」
そう言って俺が頭を下げると、周囲からまばらに拍手が聞こえてきた。
『実戦総合……? リゲル先生が担当していた、あの科目ですか?』
『なんでも、リゲル先生を決闘で下して追い出したとかなんとか……』
『え、あのリゲル先生が⁉ まさか、ありえないでしょう。性格はあれでしたが、実力はAランクもあったのに』
『卑怯な手でも使ったんじゃないですか? 見た目も……その、ちょっとみすぼらしいし』
『それはちと失礼では……?』
職員室中で様々な憶測が飛んでいる。
ところどころグサッと来る言葉もあったが、概ね予想通りの反応だ。
……一応、セバスさんに質のいい服を仕立ててもらったんだけどなぁ。
「静粛に」
リナリアさんが手を叩けば、教師陣の会話も止まる。
「色々と憶測もあるかと思いますが、大事なことは、これから彼が我々の同士となり、慣れないが故のサポートを必要としているということです。どうか皆さん、協力をお願いしますね」
そんなリナリアさんの言葉に、今度はまばらではなく、全体から拍手が聞こえてきた。
一応、受け入れてはもらえたらしい。
さて、自己紹介も終わってすぐのこと。
俺は初授業のために、演習場と呼ばれる実戦向きの施設へと向かっていた。
ちなみに闘技場は本格的な戦闘、いわゆる決闘などに使われる場所で、揉め事や大会の際しか使用しないらしい。
演習場はあくまで鍛錬施設であり、鍛錬用の武器、防具、打ち込み用の案山子などが置いてあるとのこと。
かなり広い施設ということもあり、戦闘指南にはもってこいだ。
「うん……それはいいとして」
俺は廊下で足を止め、周囲を見回す。
「ここ、どこ?」
リナリアさんから簡単な案内をもらったのだが、学園が広すぎて一瞬で迷ってしまった。
近くまでは来ているはずだが、下手に動くと遠ざかってしまいそうで、動くに動けない。
(初日から授業に遅刻はまずい……! ただでさえ冴えないおっさんなのに!)
このままでは、冴えないおっさんから、だらしない冴えないおっさんになってしまう。
さすがにそれは勘弁願いたい。
「こうなったら手当たり次第に――――ッ⁉」
その時、突然背中に冷たい何かが当たったような感覚が走る。
そして直感的に感じ取れた、鳥肌が立つような奇々怪々な気配。
俺の後ろに、〝ナニカ〟がいる。
「……何やってるの?」
「え?」
一瞬とはいえ警戒態勢に入ってしまった俺に、そんな声がかかる。
振り返った先にいたのは、背が低く、まるで深い海のような青髪を持つ少女だった。
しかし俺の感じた不気味な気配は、間違いなくこの子から出ている。
そのアンバランスさに、俺は首を傾げた。
「さっきからずっとウロウロしてる。もしかして、不審者?」
「ち、違うよ⁉ 俺はローグ! 今日からこの学園の教師になったんだ! 今ここにいるのは、学園が広すぎて迷ってるだけで――――」
「……必死すぎて、ちょっと怪しい」
「うぐっ」
眠たげな目から放たれる少女の冷たい視線が、俺を射抜く。
これに関しては、自分にも自覚があるから仕方ない。怪しいよな、俺みたいな男が廊下で右往左往してたら。
制服を着ているところからして、少女も学生であることは分かる。
ネクタイの色は、エヴァと同じ二年生の物だった。
「……怪しいけど、敵意はないみたいだから、別にいいや」
「敵意って……」
「先生は、どこに行きたいの?」
どうやら迷っているという話は信じてもらえたようだ。
ここで道順を聞けるのは、本当にありがたい。
「演習場に行きたいんだ。もう近くまで来ているはずなんだけど……」
「演習場なら、そっちの角を曲がって、階段を上ったところにある」
「あ、階段を上るのか!」
闘技場が地下にあったため、勝手に下にあるものだと思っていた。
いらぬ先入観が邪魔していたらしい。
「ありがとう、恩に着るよ」
「ん……初授業、頑張って」
そんな言葉を背中に受けながら、俺は階段へと向かった。
(あ……名前聞いておけばよかったな)
階段を上ってしまってから、そのことに気づく。
とはいえ、学園にいればいずれ会うこともあるはずだ。
名前を聞くのは、その時でもいい。
――――それにしても。
「あの気配は、一体……」
少女の名前も気になるが、そのことも気になってしまう。
彼女の体から漏れ出す、不気味な気配。あれは間違いなく、彼女の持つ魔力がもたらすものだった。
果たしてあの魔力は、彼女本人のものなのだろうか。
ぬるりと纏わりつくような、重くて青黒い魔力。
認知の限界を超えた、人ならざる存在の気配がした。
「
俺はぽつりとつぶやき、ようやく見えてきた演習場へと足を踏み入れた。
「――――あの人、〝クーちゃん〟の気配に気づいてた。すごく珍しい」
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