第6話 エヴァの家

「……」


 闘技場を去っていくローグとエヴァの背中を、エルゼガル冒険者学園の長であるリナリアが見つめている。

 そんな彼女の下に、身なりの整った一人の女性が近づいてきた。


「リナリア様、今よろしいでしょうか」


「ええ、何用ですか? サリア」


 サリアと呼ばれた女性は、リナリアに対して一枚の羊皮紙を渡す。


「リゲル=セルヴェクトについての調査報告書です。結果として申しますと、彼は〝白〟でした」


「……そうですか。まあいくらスパイを送り込むにしても、さすがに〝アレ〟はあり得ませんね」


 報告書に目を通したリナリアは、小さくため息をつく。


「しかし……本当にいるのでしょうか、我が校の生徒を誘拐している輩など」


「ここ数か月間、学園の敷地内で連続して生徒の行方が分からなくなっています……独断でダンジョンなどに潜った可能性も捨てきれませんが、冒険者ギルドからの報告もなく、限りなく薄い。十中八九、誘拐、または手引きしている者がいるでしょう。でなければここまで消息がつかめなくなることはあり得ません」


「……」


 えらく真剣なリナリアの表情を見て、彼女の秘書であるサリアは自身の気を引き締め直した。

 リナリアは聡明であり、経験則から来る勘の良さも常人とは比較できないほどに磨かれている。

 そんな彼女が確信を持っているのだ。

 あくまで支える側であるサリアには、疑う余地もない。


(もっとも学園に不利益をもたらしていた教師は消えた……しかし彼は黒ではない。直感的に考えて、教師陣にネズミがいるという可能性はかなり薄れましたね)


 リナリア自身、自分の直感は優れているということを自覚している。

 直感といえど、現状自分が知りうる情報から導き出された推理の産物。

 裏切り者が導き出せないということは、つまり情報が足りないということ。

 その状態で余計な疑いを巡らせることを、リナリアは良しとしていなかった。


「念のため、一度教師陣全体を洗い直しましょう。生徒の中に紛れているとは思いたくありませんが……再び事件が起きようものなら、仕方がありません」


「分かりました」


「……さて、彼の存在が抑止力になってくれればいいのですが」


 そう言いながら、リナリアはローグが去っていった方向を見る。


「勇者の師、でしたっけ」


「ええ」


「騎士団の中でも歴代最強の騎士だったとか、魔王の軍を一人で壊滅させたとか、根も葉もない噂ばかり耳に入っていますが……」


「ふふっ、おそらくすべて本当でしょうね」


「……マジですか?」


 衝撃のあまり、普段お堅いサリアの口調が乱れる。

 そのおかしさに、リナリアはくすっと笑った。


(自身が率いる部隊を撤退させながら、魔王軍の軍勢五千匹を一人で退けたとされる伝説……果たして、彼は何故魔王討伐隊に加わらなかったのか)


 初めて間近で見たローグの戦いを思い返しながら、ルナリアは諦めたように息を吐く。


「世の中考えたって分からないことだらけですね。行きましょう、サリア」


「はい」


 そうして二人も、闘技場を後にした。


◇◆◇


「生徒の誘拐事件?」


「ここ数か月、学園の敷地でそういう事件が起きてるんだよ。まあ、ボクは一応特別枠だから聞かされているだけで、一般生徒はまだ知らないけどね」


 学園を出た俺は、エヴァによって自宅に連れ込まれていた。

 ――――ちょっと語弊があるな。

 エヴァの家は、魔王を討伐した者への感謝として国から送られた超豪邸。

 そんな大きな家だから、部屋数も相当多く、そのうちの一つを俺に貸すと言ってくれた。

 いずれ教師として給料も出るらしいが、それまでの宿代すら持っていなかった俺は、世話になる選択肢以外なかったという話である。

 ああ、大変情けない。


 それでも一息つくことができた俺は、エヴァから今のような話を聞かせてもらっていた。


「だから師匠に教師をお願いした理由は、指導力の他に生徒の護衛を増やしたいっていうものもあったんだよね」


「……なるほどな」


 護衛としてとなると、またひと際プレッシャーを感じてしまう。

 しかし明るい未来を持つ学生たちに危険が迫っているとあらば、命をかけてでも守らざるを得ない。


「リナリアとは、犯人は内部にいるんじゃないかって話になったんだけど……今のところ怪しい人がいないっていうか」


「犯人が内部にいるって思った理由は?」


「外から侵入された形跡がなかったんだ。冒険者学園は、外敵の侵入を防ぐために全体を球体型の結界で守っている。地面の下からこようが、上空からこようが、必ず結界のセンサーに引っ掛かるんだよ」


「……そういえばそうだったね」


「魔術の残滓も特になし……ここまで否定材料が揃うと、さすがに内部を疑うしかなくなるよね」


 聞いている限りでは、俺でも内部の人間を疑っただろう。

 学園の周りに展開された結界は、確か物理的な侵入は自由な代わりに、わずかな魔力の余韻すらも感知する超高感度センサーだったはず。

 つまり侵入自体は防げずとも、侵入されたことにはすぐに気づけるのだ。

 学園にいる教師やその関係者は、皆高ランク帯冒険者として活躍できる実力者たち。

 侵入にさえ気づければ、まず間違いなく対応できる。


(でも……おかしな気配はしなかったんだよなぁ)


 魔術によって何かが変化している時、自身の魔力で感覚を研ぎ澄ますことで、ある程度までの違和感であれば気づくことができる。

 俺も行く先々で無意識にやってしまうことなのだが、学園内にいる時には特にそういったものはなかった。

 果たして、その件は本当に誘拐なのだろうか――――。


「ごめんね、ややこしい話をしてしまって。ともかく! 今日からここが師匠の家だよ。自由に使ってもらって構わないし、なんならボクの部屋で毎日過ごしてくれたっていい」


「それは遠慮しておきます」


「えー⁉」


 何故かエヴァは驚いているようだが、こっちとしては断られないと思っていることに驚いた。

 一体この子はどこまで本気なのだろう。

 俺としては親戚の娘くらいの距離感でいたいところなのだが。


(それに……恋愛とかそういうのは、もう勘弁願いたいしな)


 ここ数年で、そういうことを考えただけで少し疲れるようになってしまった。

 時間というのは本当にいい治療薬のようで、今となっては元妻であるメアリーに大した感情は持ち合わせていない。

 怒りも、愛情も。

 不思議なことに、年々彼女との思い出だけを忘れていっているような気さえする。

 もはやどうして好きになったのかも、どんな顔をしていたのかもおぼろげだ。


「……ま、同じ屋根の下で生活してもらえるだけで、ボクは嬉しいけどね」


 そんな風に言いながら、エヴァは突然指を鳴らした。


「セバス」


「はい、こちらに」


 エヴァが名を呼ぶと、部屋の扉を開けて一人の老紳士が姿を現した。

 立ち振る舞いからして、かなりの気品を感じる。


「彼はセバス。ボクの世話役であり、国からのお目付け役だよ」


「ご紹介にあずかりました、セバスと申します。今後はエヴァ様の指示により、ローグ様の身の回りのお世話を担当させていただきます故、何卒よろしくお願いいたします」


 わざわざ頭を下げられた俺は、思わず反射的に立ち上がってお辞儀を返してしまった。

 お目付け役――――つまりは、エヴァが乱心しないかどうかの監視ということだろう。

 彼女が国の中で暴れようものなら、街は一晩で壊滅。

 そうならないよう、セバスのような人間が世話役として派遣されたというわけか。


「王都に戻ってきたばかりで疲れているだろうし、今はとにかくゆっくり休んでほしい。ゆっくり湯舟にでも浸かってさ」


「……ああ、そうさせてもらおうかな」


「じゃあ師匠の背中はボクが流すね」


「ダメです」


「……チッ」


 本当に油断も隙もないやつめ。

 

  

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