第一章 物騒なプロポーズは突然に③

 フェルマータはおく辿たどる。

 たしかヴォルフは、北の辺境ノースト領を治める辺境はく。過去に、国境をおかそうとしたりんごくの軍隊を一人でしずめ、そのこうそうの強さから、【狼騎士】と呼ばれるようになった。

 そして、その異名の頭に「不死の」が付いた理由は、彼が二百年間変わらぬ姿で生き続けている不老不死のバケモノであるためで──。

 その正体は【死神】に呪われた、老いず死なずの人間のはずだが、まさか突然フェルマータにぶつそうなプロポーズをして来た男が、そのヴォルフだとは思いもしなかった。彼はめつに領地から出て来ることがないらしく、王都にいたフェルマータは彼の姿を見たことがなかったのだ。というか、【不死の狼騎士】は王都で語られる地方民話のようなものだと思っていたし、彼が実在することにおどろいてしまったほどだ。

(もっと、バケモノみたいにごつい見た目なのかと思ってた……)

 フェルマータの目の前にいるのは、二十代半ばの細身の男性。隻眼の下にくっきりとくまがあるので、寧ろ不健康そうな印象すらある。

 とても、バケモノには──。いや、バケモノか。剣でくししにされても倒れない人間は、つうの人間とは言えないだろう。

「い、痛くないの?」

「痛覚はある。だが、痛がって何の意味がある。死することができぬ痛みにひたる時間など、俺にはない」

 問いけに対する答えがぶっとんでいる。やばい、なんかりんこわれてそうな人だ……と、フェルマータはぞぞぞとふるえ上がる。

 助けに来てくれたことはありがたいが、死ぬ前の思い出としてはげきが強すぎる。正直、これ以上かかわりたくない。

 そして不幸中の幸いか、武装商人たちの興味はヴォルフへと移っていた。

「こいつがうわさのバケモノ辺境伯かよ! ミイラにして売れば、億万長者だぞ!」

「【不死の狼騎士】が、こんな弱そうなやつだとはな!」

「もう一回串刺しだ!」

 初撃が命中したからと、勝ったも同然という勢いの武装商人たち。

 彼らがヴォルフを貫いていた剣をごういんに引き抜くと、びしゃっといやな音を立ててヴォルフの鮮血がき出し、フェルマータのほおに付着した。

「ひっ!」

 フェルマータは、ぜつきようしたくとも大きな声が出せないほどにおびえていた。見るからに大量出血をしているヴォルフが平然と立っていることがおそろしく、今にも気絶してしまいたくなる。

 しかし、このじようきようでそんなフェルマータを気に掛ける者はいなかった。

 この展開は好都合。フェルマータは、はくじようであることを承知で、こっそりとげ出すことにした。

 助けられておいて逃げるなど、なんて酷い女だとののしられてもかまわない。

(だ、だって普通にこわいんだもの! 【不死の狼騎士】が!)

 身をかがめ、うつそうとしたしげみを進もうとするフェルマータの耳に、ヴォルフのらくたんした声と彼が長剣を構える音が聞こえた。

「俺をミイラに? 貴様らにはできぬと理解したゆえ、ここで死ね」

 ヴォルフのため息が一つ。

 そして──。

 フェルマータがカサコソと二歩だけ移動する間に、剣がよろいくだき、肉をき、血しぶきが飛び散る音がした。だれの悲鳴も聞こえない、いつしゆんの出来事だった。

 故に、フェルマータは恐ろしさのあまり、その場で氷のように固まって動けなくなってしまった。とてもではないが、後ろをり返ることができない。

(えぇぇぇっ! 怖い怖い、めっちゃ怖い! 何が起きたの!?)

 茂みの枝をパキパキと足でみ折りながら、こちらに近づいてくる足音──。それがいっそうきようをせり上がらせる。

「待たせたな、聖女」

 フェルマータ、その一言で事態を察す。

「まままま、待ってません」

 相手は返り血で血まみれであり、思わずそつとうしそうになってしまう。

 フェルマータには、武装商人たちを一瞬で斬りせたこの男──【不死の狼騎士】ヴォルフからのがれる時間などなかったのである。

「た、助けてくれてありがとうございます……。ヴォルフ様、でよろしかったでしょうか」

「俺の正体を知って、態度を変える必要などない。貴様は俺の妻になるのだ。にんぎようなどらぬ」

「いえ、他人なので……!」

 やっぱりヤバい人だ、もうそうへきか、ストーカーかと、フェルマータは引きったみをかべてあと退ずさる。真顔で何言ってんだこいつ、である。

「私、もうこんやくとか結婚とか、いろこいはしないと決めてるんです。これ以上裏切られたくないし、そもそも私には……」

 ヴォルフの生々しい傷口から目をらし、地面を見つめて話すフェルマータ。けれど、地面には彼の流した血による血だまりができており、それはそれで恐ろしかった。

 しかし次の瞬間、視界がぐらりとれ、身体からだが宙にふわりと浮いた。ヴォルフがフェルマータを肩にかつぎ上げたのだ。さんぞくのように。

「自分には生きる時間が残されていない、そう言いたいのだな。聖女」

「ちょ……! 下ろしなさいよ! そうよ! 不本意だけど、今日は私の命日なのよ!」

 フェルマータがバタバタと足をばたつかせ、必死にていこうしてもヴォルフはビクともしない。

 背の【砂時計の刺青いれずみ】に残っていたひとつぶの砂。今日という日の終わりと共に、その一粒はじゆしやフェルマータの命をうばい取るのだ。その定められた運命からは、決して逃れることなどできない。

「もうすぐ死ぬんだから、放っておいて!」

「そうか。もうじきか。ならば、この世にやり残したことも思い残すこともないのだろう? いさぎよ黄泉よみへとわたることができる貴様がねたましい」

「妬ましいですって?」

 せきがんの本音なのか、それともちようはつだったのかは分からない。

 だが、フェルマータは確実にカチンと来た。誰が潔いわけあるかい! である。

 三年間、いが残らないように余生を過ごして来たつもりだったが、今この瞬間、フェルマータの胸の中はこうかいや未練でいっぱいだったのだ。気づかぬふりなどとうていできない。だって、もう死ぬのだ。このおよんで、自分をいつわる必要がどこにあるだろう。

 フェルマータは「思い残すことがないわけないじゃない……」とつぶやくように口にすると、すぅと大きく息を吸い込み──。

「私、好きな人と結ばれて幸せになりたかった! 美味おいしいご飯と甘いおも、もっと食べたかったし、お金だってまだまだかせぎたかった。あんなにがんって守護聖女になったのに。おうになるまで、あとちょっとだったのに。追放されて、じよ呼ばわりされて……。ケビンや私を追放した奴らをぶんなぐらないと気が済まない! 私……、死にたくない……!」

 フェルマータの天をくようなさけびが森中にこだました。清々するほどの欲望と共になみだあふれ出てきて、こんなよく分からない男に担がれたまま死ぬのかと、絶望に近い感情にむしばまれる。

 月が夜空の真上にのぼり、今日が終わる。けれど、明日あしたという日はフェルマータには存在しない。そう思い、目を閉じた時だった。

「あっ、熱い……!」

 背中が燃えるように熱くなるのを感じ、フェルマータは短い悲鳴を上げた。

 振り返ると、背中からあおほのおがゆらりと燃え上がっている。しかし普通の炎とちがい、衣服やはだげているわけでも、熱傷になるような痛みが生じているわけでもない。のろいのあかしである【砂時計の刺青】が急激に熱を帯び、そうえんを発しているのだ。

(何よ、これ……?)

 フェルマータは、これが呪いの終わり──死の始まりかとかくしたのだが。

 月がかたむき、雲が空を流れていっても、フェルマータは死んでいなかった。呪いを受けてから三年と一日目に、フェルマータは生きていたのだ。

「私、生きてる! 誕生日をえて生きてる!」

 何が起きたのかまったく分からないが、生きているという事実にフェルマータは打ち震えた。

 呪いのしんだんが誤っていた? それとも、砂の残量を見誤っていた? いやいや、もしやせきが起こり、呪いが解けたのか?

「刺青、どうなってるか教えて!」

 鏡がないためヴォルフに問うと、彼は目を細めてフェルマータの【砂時計の刺青】を注視し、「数日分だな」とたんたんとした口調で答えた。

 残念……、さすがに呪いは解けていなかったかと少し落胆したフェルマータだったが、数日余命が延びたというだけでも十分に喜ばしい。一度延びた余命だ。まだまだ延ばすことができるかもしれないし、解呪の方法だってあるのかもしれない。

「よく分からないけど、ありがとう! 生きる希望が生まれたわ!」

 フェルマータは満面の笑みを浮かべ、勢いでそのままヴォルフの肩から降りようとするが、そうは問屋がおろさなかった。

 当然、ヴォルフはフェルマータを解放してはくれなかった。彼は、自身の手のこうにある【砂時計の刺青】に視線を落としたまま口を開く。

「俺も死ぬ希望を得た。故になおさら、貴様を手放すわけにはいかん」

「死ぬ希望? 勝手なこと言わないで。私は──」

「ノーストに行くぞ。今日は、俺と貴様の結婚記念日だ」

「はぁっ? 結婚きね──」

 こうしようとしたフェルマータの言葉をさえぎり、ヴォルフはピィィッと小さな角笛をいた。

 すると、ほどなくしてバッサバッサという大きな羽音が上空にとどろき、フェルマータの頭上に黒いかげが落ち──、ぎんかいしよくうろこおおわれたりゆうが姿を現したではないか。

 飛竜とは王国の北の辺境ノースト領に生息するドラゴン族。その肉体の強固さとたいよくによる機動力を見込まれ、【死神】や配下の魔物との戦いのためにかく・調教が進められている希少生物だ。

(でっか!)

 フェルマータは担がれている状態でこしけてしまった上に、おどろきのあまり声も出ない。実際に飛竜を見るのは今日が初めてであり、簡単にそのはくりよくあつとうされてしまったのである。

 けれど、ヴォルフはそんなフェルマータを待ってはくれない。彼は「行くぞ」と淡々と言い放つと、フェルマータを肩に担ぎ上げたままの体勢で、飛竜の背にひょいと飛び乗った。

「アビス、飛べ」

 フェルマータが声を上げるひまもなく、アビスと呼ばれた飛竜は主人の命令で夜空へと羽ばたいた。ごうごうと翼が風を切る様は、まるでたつまきのよう。冷たい空をける飛竜は、あっという間にフェルマータをはるか上空へと連れ去ってしまう。

「お、降ろして!」

「落下死したいのか?」

「死にたくはない!」

 ようやく声をしぼり出したフェルマータだが、絶賛じようしよう中の飛竜からだつしゆつする手段はかい。激しい風圧にあおられ、落ちて死なぬようにヴォルフにしがみつくほかなかった。

ひとさらいぃぃっ!」

 フェルマータの特大の悲鳴がくうひびいたのだった。

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