第五話:不法出国(前編)

 金の国の民が外国へ行かないのは、圧倒的に豊かだから出る必要がないとか、他の国を少しバカにしているとか、それもあるが、他にも理由があった。それは目下のところ、巨大な門と番人とともに、私とシモンの前に立ちはだかっていた。


「お前ら、何のために出る?」

 三メートルはあるであろう門の前、金ぴかの鎧を身に着けた門番のうち一人が吠えた。

「許可証のない者は、この国から出ることができないぞ!」

 もう一人が、後に続く。同じ鎧を着ているからか、区別がつかない。彼らの前で、私は気持ちが悪そうにうつむき、口に手を当てた。背後からシモンがやってきて、私の腰を抱き、言った。

「通してください。もうすぐ子供が生まれそうなんです」

 彼は今日も嘘をついていたのである。この案は土の国へ続く西門へ歩いていた時、彼の一言から始まった。


 私の家がある高級住宅街を抜けると、広々とした公園が目に入って来た。気持ちの良い朝で、ベビーカーを連れた母親たちがベンチで話し込んでいた。子供たちはベビーカーの上で寝ている。彼女たちはコーヒーを片手に、束の間の平和を楽しんでいるようだった。その様子を見ながら、シモンは言った。

「門番の追求が一番ゆるむのが、赤ちゃん連れの親子なんだよ」

「へえ、よく知ってるのね」

「国を渡り歩いているからね。門の外にいるモンスターも厄介だけど、それ以上に面倒なのが門番なんだ」

 私は魔法学園に所属していた頃のことを思い出した。学園は金の国にあるが、他の国からも留学生を受け入れていた。確かに彼らは学園のバスで移動し、遅刻や早退は認められていなかった。

「どうしたら通らせてもらえるの?」

 彼からヘーゼルナッツラテをもらいながら、私は聞いた。母親たちが飲んでいるのを見て、欲しくなったのだ。甘く濃厚な香りが鼻をつき、ふわふわのムースが舌の上で溶けた。ここの公園通りのカフェは、国で一番おいしいラテを出すのだ。

「通行許可証だね。それか、冠婚葬祭。他の国で親族か死んだとか、結婚したとか。でも条件が厳しくて、二親等までに制限されている」

「それって追及したりするの?」

「死亡証明書や結婚式の招待状を偽造する奴らがいるからね。親子連れはなぜか、そういうことをやらないと思われている。まあ小さい子供を連れて塀の外を歩くのは危険だから、それなりの理由がないと出ないと思われているんだろうね」

 彼はブラックコーヒーをすすった。かたちの良い鼻と唇を見て、この顔に大勢の女性が騙されてきたんだろうな、と思った。

「僕たちで子供でも作る?」

「作らない。何か月かかるのよ、それ」

「出産を少しだけ早める魔法なら……」

 母親たちが、歓声を上げた。どうやら仲間が合流したらしい。その女性は妊婦で、彼女たちから祝福されていた。その様子を見て、私たちは顔を合わせた。

「「これだ!」」

 こうして妊娠証明書を偽造し、お腹に詰め物をして、門へ向かうことになったのだった。


 門番Aは、疑い深い目で私たちを交互に見つめた。背が高く、いかつい顔立ちの男で、口ひげを生やしていた。隙のない黒い目からは、何一つ逃がさないぞという決意を感じた。

「どうしてここで産まねえんだ?」

「この国には身寄りがいないんです」

さりげないふうを装っていたけれど、彼の言い方はどこかぎこちなかった。

「そうか、分かった。ならこっちに来い。あの小屋に入れ」

 思いがけず、うまくいったらしい。門から少し離れた場所に小屋があり、近くにある大きな木でちょうど隠れていあた。「許可証を発行してくれるのかしら」「うまくいったな」と目くばせしながら、小屋に前に来る。ふと門を振り返ると、門番Bが神経質そうに表情を凍り付かせていた。それは笑みだったのだと、扉に書かれた文字を見て気付いた。『不法入国者専用』と書かれていた。


 小屋の中には私たちを含め十人あまりが、生気を失った顔で座り込んでいた。中には幼い子供もいる。

「なるほどね、そういうことか」

 恐るべき平静さで、シモンは呟いた。

「僕たちは、罠にはまったわけだ」

「え?」

「不法入国、あるいは出国した奴らが集められてるんだろう。彼らの家族は、彼らが消えても探さない。国を出て消えるなんて、よくある話だからね」

 目まいがした。たかが金だ。どうしてそのために、ここまでひどいことができるのだろうか。

「夜だ」と、床を見つめたまま、少年がつぶやいた。

「あいつら話してた。夜になると、俺たちを買いに来るって。俺たちは一人、十万ゴールドで売られるんだ。妊娠の振りをしてるお姉さんは、かわいいから二十万かもしれないけど」

 どうやら子供にも見破られる変装だったらしい。

「そうか。じゃあ夜までに逃げ出さないとね」

 シモンの口調は、雨が降ったら洗濯物をしまわないとね、という軽い調子だった。少年は相変わらず、うつむいて話した。

「無理だよ。壁にある注意書きが見えないのか? この部屋は魔法が使えない。使おうとすると奴らが飛んできて、痛い目にあわされる」

「へえ」

 やっぱりどこか面白がっている口調だ。その調子に腹が立ったのか、少年は勢いよく立ち上がった。

「どうして、そんな冷静でいられるんだよ!? もうすぐ俺たちは買われるんだぞ!?」

「いや。さすがサラは悪運が強いな、と思ってね」

 扉が勢いよく開いた。門番たちの他に、もう一人立っていた。忘れもしない、かつてクロエを売っていた、あの男だった。


「なんや、これだけか?」

 当時よりも歯は抜け、白髪が増えている。しかし彼であることは違いなかった。

「十人やから、百万か。お、女子もおんねや」

 彼は私を舐めるように見つめた。

「あれ、嬢ちゃんどこかで会った気が……」

「おい、早くしろ」

 門番Aにせっつかれて、商人は不機嫌そうに舌打ちをした。

「袋取ってくるから、待っときや。あんたたちも早よ戻り。見張らなあかんやろ?」

 三人が出て行き、扉が閉まった。外から鍵をかける音が、ゆっくりと響いた。まるで、わざと聞かせているかのようだ。

「俺、みんなを逃がしてあげられるかもしれない」

 少年が、ぽつりとつぶやいた。部屋中の視線が、彼に集まった。栗毛で、かわいい顔をしている。小柄で、十代前半くらいだろうか。彼は続けた。

「実は九十万ゴールド持ってる。このお金で、あいつに交渉してくる。みんな金持ってないか?」

「そうか!」と、ある青年が叫んだ。

「百万以上になれば、あの男の利益になる!」

「私、十万くらいあるわ!」

 国の外に行く時は、懐を潤しておくものだ。あっという間に金は少年の元に集まった。

「兄ちゃんは、持ってなさそうだけど……姉ちゃんは?」

「あるけど、渡さない」

 場の空気が、凍り付いた。

「君、あの男にだまされてるよ。金を渡せば、逃がしてくれるって言われたんでしょう。あそこで金額を告げたのは、この場にいる全員に金額を知らせるため」

「ど、どうして分かるんだよ?」

「魔法を使えないって、演技でしてたわよね。過去に痛い目にあったの?」

「そ、それは俺が一番最初にこの部屋に来たから……」

 女性が声を上げた。

「違うわ、私が最初よ」

 完全な沈黙が、場を支配した。そして勢いよく扉が開かれた。

「ったく。何しとんねん、ドアホ!」

 少年のみぞおちを、男は勢いよく蹴り上げた。続いて蹴りをくらわせようと足を振り上げたので、私はとっさに彼をかばった。目を閉じ、衝撃に耐えていると、予想していた蹴りはこない。シモンが彼の足を抑えていた。

「よくやった。サラがこいつの気を逸らしてくれたお陰で、部屋の結界を解除できたよ。すべてを焼き尽くせ! グラン・フランベ!」

 彼が指をさした先では、男が業火で焼かれていた。立ったまま焼かれながら悲鳴をあげている。

「心配いらないよ。死んではないからね」

 そんな心配は、明らかに誰もしていなかった。人の気持ちを読むことは下手くそなのだ。男のそばにいると炎の巻き添えをくらいそうなので、少年を連れて離れることにした。ちらりと男を見ると、なんと笑っていた。

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