第四話:魔法使いの正体
旅立ちの朝、カーテンの隙間から見える空の色は深い青で、ほとんど秋の空を思わせた。私はベッドの上で寝がえりをうった。この心地よいシルクの枕とも、しばらくお別れだ。クロエが寝ている間に着替えさせてくれたらしい。シルクのネグリジェを脱いで、シャワーを浴び、サウナに入ることにした。
熱いシャワーを浴びながら、胸元を流れる水を見つめる。もしオール王子と結婚していたら、あの夜はどうなっていたのだろうか。私は頭を振った。なんだかひどくいやらしくなった気がして、別の事に頭を使うことにした。
「そ、そういえば、このシャワーは水の国のお陰で出てるんだよね」
「はい、そうです。よくご存知ですね、サラ様」
「うわ。クロエ!? だから気配を断つのやめてってば!」
シャワーカーテンの向こうから、私専用のメイド、クロエの抑揚のない声が返って来た。頭の中を読まれていた気がして、後ろめたい。
「正しくは水を水の国が、お湯にするための熱は火の国からですが」
「5つの国の真ん中にある、大きな山を通って来てるんだよね」
島全体は☆の形になっていて、上から順に、時計回りに火、土、金、水、木の国が位置している。地理はいたって単純だが、国同士の関係は、そうもいかない。隣接する国同士、例えば金の国は、土と水の国とは良好な関係を築けているが、火と木の国と仲が良くない。
ボディブラシで身体を洗い、ちょうど残るは背中だけとなった時、クロエがカーテンを開けた。どうして分かるのだろう。彼女はブラシを受け取り、私の背中を丁寧に洗い始めた。
「ここ金の国で、火の国に行ったことがある人なんて、数えるくらいでしょうね」
「ママとパパも含めて?」
「あの方たちは例外です。島を抜け出して、精霊界まで盗みに行く人たちですから。はい、お背中流しますね」
シャワーだから必要ないのだが、クロエがいると甘えてしまう。シャワーを終えて、タオルを渡される。好みの柔軟剤の香りを楽しみ、身体を拭きながら、私を見ている彼女に言った。
「あのさ、私が旅に出たら、クロエも好きなことして良いんだよ」
「私は好きなことをしています」
「ご両親を探したり、故郷に帰ったり。木の国だっけ?」
彼女はうつむいた。十年の付き合いだが、自身の生い立ちについて何も語ろうとしない。
「サラ様は、私を必要としていないのですか」
「そういうわけじゃないけど、クロエの人生があるでしょ。まだ十五歳だし」
「私は、木の国の生まれではありません。どの国の生まれでもないんです。島の中心部にある山で産み落とされ、物心ついた時には奴隷として売られていました」
私は驚いて目を上げた。今、言ってくれたのは、私が彼女の両親を探すつもりだと分かったからだろうか。
「……この家が私の故郷では、いけませんか」
彼女の紫色の瞳には、悲しみに似ているけれど、それだけではない何かを感じさせた。私が答えようと口を開きかけた時、青年の声が聞こえた。耳に覚えのある声だ。
「あ。もうこんな時間? 行かなきゃ」
サウナに入っている時間はない。急いで頭にタオルを巻き、バスローブを来て、部屋へ戻る。ベッドの上には着替えが用意されている。それは昨日と同じ、漆黒のドレスだった。
「え、これを着るの?」
「『悪役令嬢』の名に違わないお召し物かと思いまして」
「まったく……ま、これで良いか。あんまりフラムのこと待たせてもいけないし、途中で買えば良いし」
着替えが終わり、頭を乾かしてもらいながら、スーツケースの中身を見た。きちんとたたまれた衣類と下着、親が盗んできたアイテムもあった。それらは私がクロエに頼んで、家から探してきてもらった。
「本当に良いのですか、勝手に持って行って」
「良いよ。元々、盗品だし」
スーツケースを閉めると、手のひらサイズにまで小さくなった。自由に伸ばしたり縮めたりできるカバン、もちろん盗品だ。それをポケットの中に入れて、私は階段を降りた。リビングを抜けて、廊下を通り、玄関へたどり着く。元々広い家だが、ドアまでの距離がこんなに感じたことは、今までなかった。クロエが扉を開けた先には、火の国の魔法使い、フラムが待っていた。さわやかイケメンが私の家の前にいるからか、遠くから女の子たちがひそひそと話している。
「おはよう、サラ。今日もおしゃれだね」
皮肉なのか本心なのか分からないので、ひとまずスルーしておく。何しろ、職業を偽っていた男なのだ。そんな男についていって良いのか。そもそも母親の価値観はあてにならない。私の人生だ。私が決めなくてはいけない。
自然と、足が止まった。振り返ると、クロエが立っている。それはあの日、闇市で売られていた日と重なった。あれから十年、留守にしがちな親と違い、彼女はいつも私を受け入れてくれた。
「クロエ……」
今なら何もかもが揃う、快適な家に引き返せる。婚約破棄されたから嫁に行く必要もない。準備学校に入り、必死に勉強をして、グラン・スクールへ進み、親の望む『悪党でない道』へ進むことができる。そんな道に選んだら、高級官僚になり、親の選んだ両家の息子と結婚し、子供を産み、平和で単調な生活を送れるだろう。幸せでも不幸せでもない、善良な国民としての生活を、きっと郊外で送るのだ。そんな人生はごめんだった。私は薄れた黄金の大都市で、悪党の道を選ぶ。その道は今、ハズレスキルによって開かれようとしているのだ。
「好きなだけ、この家にいて良いよ! クロエいる場所が、私の実家だから!」
彼女は深々とお辞儀をした。表情は見えず、彼女が頭を上げる前に私は歩き始めた。顔を見ると、また迷いが生じてしまいそうだ。
「へえ。見直したよ。根っからの悪人じゃないんだね」
「うるさい」
すっかり忘れていた。私たちの様子は横を歩く男に、愉快そうに眺められていた。
「彼女のような子を救いたい、そう思ってた?」
「そんなのは、正義の味方がやれば良いでしょ。私はサウナのレベルを上げて、ととのえる場所を探す。それだけ」
自分の耳にも、嘘にしか聞こえなかった。
「まあね、目標は小さくしなくてはならない。いきなりハードルを高くすると、足元をすくわれるからね」
そう。親を越える悪党になりたいとか、クロエみたいな子をなくしたいとか、素敵な男性と結婚したいとか、大きな夢はひとまず置いておく。それに潰されてしまう子たちを、魔法学園で何にも見て来たから。
「じゃ、まずは隣の土の国だね。そこを通って、火の国に行こう」
私の決意をよそに、飄々とフラムは言った。そういえば、と私は思った。
「フラムは、どうしてクロエの事を知ってたの?」
「あぁ。それは、僕も山の出身だからだよ」
「え、火の国の魔法使いって言ってなかった?」
「ははは。あれも嘘。まったくサラはすぐだまされて、かわいいね」
やっぱり帰った方が良いのだろうか。彼は悩む私を眺めて、ささやくように言った。
「シモンだよ」
「は?」
「僕の名前。本当の名前を教えるのは、いつぶりかな」
「今度は信じて良いの?」
「どうかな。サラになら教えても良いと思ったからね」
ま、良いか。と私は思った。私は大悪党の両親の娘、悪役令嬢だ。彼が私をだます気なら、こっちが騙してやる。
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