第三話:奴隷、メイド、親友
部屋に戻り、広い窓から外を眺める。日は沈みかけていて、一番星の輝く、気持ちのいい夕暮れだった。ここから夕陽を眺めることが好きだった。寮生活で最も懐かしく思ったのは、この景色だ。高級住宅街にふさわしい豪邸を見つめて、私は呟いた。
「圧倒的な学歴社会、ね……」
金の国は、他の国に比べてそれが強いと聞く。だからこその平和だと聞いていたが、本当にそうなのだろうか。
「火の国が一番、関係ないみたいだよね。見てみたいな……」
「サラ様、お仕度が整いました」
「うわ!? クロエ、いたの!?」
背後には私専用のメイド、クロエがいた。そういえばリビングでコーヒーを片付けていたのも、彼女だった。悲しい生い立ちから、いつも気配を断つ癖がついているのだ。
「やっと家に戻られたと思ったのに、残念です」
いつも無表情な彼女にしては珍しく、心から残念そうだ。かたちの良い胸の上で、茶髪のおさげが揺れる。白いブラウスにベージュのスカートという地味な服装でも、若い娘ならではのみずみずしい魅力を放っていた。
「鏡、クロエが持ってくれた方が良いよね。ママ、いつも出てくれないし」
「盗んできましょうかね、精霊界から」
私たちは声を上げて笑った。彼女は二人きりの時だけ、こうして冗談を言ってくれる。巷では『悪役令嬢』『金の国で一番性格の悪い女』『99%の財力と1%の努力』なんて言われている私だけど、クロエだけは違う。彼女は十年前のあの日を、いつも忘れないのだ。
当時八歳の私は、親の盗んできたアイテムを売りさばこうと、闇市を歩いていた。国では未成年の商取引が禁止されている。闇市ではレートは下がるが、未成年でも「親は良いって言ってた?」「はい」で取引してもらえると聞いたのだ。幸い、両親に収集癖はなかった。盗むことに注力していたし、充分すぎるほどのお金を持っていたのだ。だから家にある杖を持って、市場のあるエリアへ向かった。そこは『決して夜に近付いてはいけない』場所だったけど、学校の終わった後、昼間なので構わないと思っていた。
ピクニックシートの上に大きなバッグとともに座り込む怪しげな人々の合間を歩いていると、人だかりが見えて来た。そこを覗くと幼稚園児くらいの女の子が、おじさんとともに立っている。
「さあさあ、生きの良い女の子やで! なんと年齢は五歳! 両親ともに金の国や!」
「純金だな!」
「兄さん、うまい! この子を一晩貸して、溶かしてあげましょか~?」
どっと笑いが起こる。女の子は表情のない顔で、虚空を見つめていた。痩せこけて、髪はぼさぼさだった。手には紙があり、値段が書かれている。私の小遣いとアイテムを売りさばいた合計でも、届かなさそうな金額だった。両親なら買えるかもしれないが、ここに来たことを知られたくない。
「何か良い方法は……、あ、そうだ」
当時、サウナ室を作ることはできなかったけど、周囲の気温を上げることだけはできた。
「お願い……このあたりの気温を上げて!」
じわじわと、だが少しずつ、温度が上がっていく。暑さに弱い金の人々は、口々に言った。
「なんだ、暑くないか……?」
「あぁ。体調が悪くなってきた」
「帰ろう。呪われた子かもしれない」
ぞろぞろと引き上げていく彼らを見て、私も家路に着こうとした。すると、すごい力で肩を掴まれた。
「おい、嬢ちゃん。舐めた真似すんなや。こっちは、これでおまんま食ってんねん」
先程のおじさんだった。ずんぐりむっくり、分厚い唇で、顔中に卑しさがあふれている。歯が何本かなかった。
「違法じゃない?」
「あの子の親から金もらったんや。せやな?」
背後にいる女の子にたずねるが、彼女は相変わらず呆けている。座ることもせず、ただ立っていた。
「どう償ってもらおか。身体は面倒やからな、国王が変わって、ごっつ厳しなったし……ひとまず歯でもいっとくか?」
いつの間に取り出したのか、手にはペンチがカチカチと音を立てている。カチカチカチカチ。その音は、かつて母親と遊んでいた、おもちゃの音にそっくりだった。
あの時、まだ一緒に暮らしていた頃、ママは言っていた。
「サラは良い暮らしをさせてるから分からないかもしれないけど、ピンチの時こそ、スキルのレベルが上がるんだよ」
「スキル?」
「ええ。ママも何度か捕まりそうになったんだけどね、そういう時に、スキルが上がるの。今、何ができるかを考える。次に、何がしたいかを計画する。あとは、実行あるのみ!」
「でもママ、私、スキルとかないから……」
「それは、困った目に遭わせてないからね。でも、きっと大丈夫! ママの子ならできるから!だって……世紀の大悪党だからね!」
「世紀の大悪党……」
私は目の前の男を見つめた。彼は金の民なら、熱に弱い。なら彼が最も嫌がることをすれば良い。男は私の顎を掴んだ。そうして、無理やり口を大きく開かされた。周りを見るも、誰もいない。先程の暑さで皆、退散してしまったのだ。私は叫んだ。
「熱を閉じ込める部屋を作って!」
しかし何も起こらない。そうこうしている間に、歯にペンチが当てられる。前歯がはさまれ、ぐいぐいと揺らされた。
「その子を離してください!」
先程の女の子だ。か細い声を、精一杯振り絞って出している。
「あ? お前、しゃべるな言うたやろ! 木の国の女やってバレるやんけ!」
「彼女は関係ありません!」
「あー。ほんまイラつくわ……また、お仕置きが必要か?」
彼はペンチを持ったまま、それを手でトントンと叩きながら、彼女へ向かっていく。過去に『お仕置き』が彼女にどんな傷を負わせてきたか、あの子の反応を見ればよく分かった。
「木、そうだ……ねえ、力を貸して!」
男は私の声が聞こえていないらしく、女の子へ向かっていく。私はもう一度、叫んだ。
「一緒に、部屋を作ろう!」
そうして彼女の元へ走っていき、手を取った。まだ小さく、幼い手だった。確かに握り返してきてくれた感覚を得て、私はもう一度、念じた。
「熱を閉じ込める部屋、この男を閉じ込めて!」
次の瞬間、木造のボックスが出現した。
「うわ、なんや!? あっちぃ! と、溶ける!」
中から男の声がすることから、うまく閉じ込められたたしい。
「逃げるよ!」
私は彼女の手を引いて、走り出した。途中で売る予定だったアイテムを置いてきてしまったと思い出したが、そんなことは関係なく、全速力で家へ戻った。
『友達と遊ぶ』という嘘をついて闇市へ行っていたことは怒られたけど、アイテムを置いてきてしまったことは怒られなかった。後日、それが元で、両親が悪党同盟から追放されたと知ったけど、そのことについても一切、私への叱責はなかった。
何度、両親が『国に返してあげる』と言っても、クロエは首を縦に振らなかった。「サラ様専属のメイドにさせてください」と言い続け、ついに彼らを根負けさせた。あの日から、私たちはいつも一緒だ。
「ご友人はサラ様のことを『悪女』と呼びますが、私はそうではないと知っています」
私をベッドに横たわらせて、丁寧にマッサージをしてくれながら、クロエは言った。
「私を助けてくださったのは、サラ様だけでしたから。サラ様は美しいからお気づきにならないのでしょうけど、美しくない女の子にとって、人生は酷なのですよ」
彼女の低く、落ち着いた声が、心地よく響く。ラベンダーの香りのアロマオイルが、全身の疲れをほぐしていった。
「なぜなら、透明人間も同然だから。認識されていないのです、そこにいるのだと……」
太陽は完全に沈み、私も目を閉じた。
「少しだけ、寝るから……あとで起こして」
「はい」
クロエは嬉しそうに、枕元でささやいた。これで彼女が起こしてくれたことはほとんどない。私がだらしなく、ぐうたらな面を見せるほど、なぜか彼女は喜ぶのだ。
「そのままでいてください。いつまでも私を、サラ様のそばにいさせてください……」
眠りの帳が落ちる直前、そんな声を、耳にした気がした。
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