第一章 聞こえ始めた薬恋歌④



 じんじようではない様子のライラを心配したサキは、自身があてがわれた部屋にライラを連れて戻った。薬術師が国外へえんせいする際には、キオスの軍隊が護衛につく。今もイヅナが所属するサルダート・ガクじんとう率いる一軍が、二人の薬術師護衛のため、この城にたいざい中だ。

 護衛であるイヅナはサキと同室なのでどこでるのだと思ったが、彼は「俺はサキと寝るからだいじようだ」とごく真っ当な顔で言い放った。「ライラさんと寝ますからね。言っとくけど、私はもうちっちゃくないし、目を離しても死んだりしないねんれいです」と冷静に返した妹は、きっと慣れているのだろう。

 イヅナはたんたんさびしげにしぶしぶベッドに入った。こちらもこちらで慣れているようだ。

 身体のろうより精神の疲労が勝り、なかなかけずにいたライラがそれでもうとうとし始めたころとつじよとなりのベッドでねむるイヅナが飛び起きた。手早く装備をつけ、ここにいろと厳命して部屋を飛び出した。いつの間にか、サキもするどい顔で耳をましている。その頃には、ベッドの上でちゆうはんに身を起こしていたライラの耳にもおんな音は届いていた。

 上着を羽織り、ドアのすきからしんちように二人で周囲の様子をかくにんし、ライラは息をんだ。

 何十人もの武装した兵士が部屋を囲んでいる。薬術師の引きわたしを要求する兵士を相手に、イヅナが一人でたいしていた。

「国家かいにゆうが原則の薬術師を招いておきながら、何の真似まねだ。これがパオイラのれいか」

「我が国の貴人へ、必要なりようを行わず、故意に病を見過ごしたとの情報がある。らいで行われたとすれば、これは我が国への敵対こうである。しんを確かめるべく、薬術師二名はすみやかに同行願いたし」

 上着まで着込む暇はなかったのだろう。身体にった服の上で装備を鳴らし、イヅナは静かにやいばを構えた。

ごとは寝て言え」

 兵士長と思わしき男は、むなしといった風に首をった。おおぎような、まるで演劇を見ているかのような動作だ。

「ならばその命、おかくされよ護衛殿どの。薬術師はばくする!」

 躊躇いなく抜かれた刃の群れが、パオイラにとってこれは確定こうだと告げていた。

 激しい音の中、イヅナが一人で兵士を押し止めている。ライラの横で舌打ちが上がった。すんっと鼻を鳴らすと、どこからかくさにおいが立ち込めてくる。

 サキはライラの手を引き、部屋の中に引っ張り込んだ。

「陣頭達と分断されたんだ」

 けんそうが近づいてくる。サキは手早くシーツをつなぎ合わせ始めた。

「ここは五階だけど、二階にバルコニーがありますし、下はパオイラご自慢の庭園です。だから大丈夫です。ああでも、薔薇ばらの上に飛び降りちゃですよ。もうれつに痛いです。とにかく足さえ無事なら走れますから、下まで辿たどりついたらやみまぎれてげてください」

 さらりと言うサキは、まさか飛び降りた経験があるのだろうか。

 だんならまつと見過ごせない疑問を、口に出すゆうが今のライラにはなかった。

「サキは!? なんで私が一人になること前提で話を進めてるの!」

 ライラの背にきよだいなトランクをしばりつけ、よろめく背を支えたサキは、いつの間にか髪は結んでいたがいまきのまま自身のトランクを持ち上げた。

「ごめんなさい、ライラさん。私はもう兄さんを失えないんです」

「サキ!」

「それに……ここがパオイラであるのなら、きっとこうすべきです。──下薬三師!」

 ぱんっと張った鋭い声に、思わずライラの背筋が伸びる。

「サキ・イクスティリア中薬二師よりライラ・ラハラテラ下薬三師へ伝令! ただいまより本地をほう、東部にある救施場へ合流。後の指示は救施場纏め役、ハリス・ヴァリーヌじようやくいつあおぎなさい。以上、復唱!」

「ライラ・ラハラテラ下薬三師、サキ・イクスティリア中薬二師より伝令をりようかい! 本地を放棄後、救施場に合流、ハリス・ヴァリーヌ上薬一師の指示を仰ぎ行動!」

 胸の前で両手を組む薬術師独特の礼と同時に、反射で復唱。その後、これまた反射で敬礼してしまってみする。乗せられた感がいなめない。

 くやしげなライラに、サキは乗せた満足感で満面のみだ。

「幸いこの城は、がいへきで無意味なそうしよくが多いですから、足場ならたくさんあります。シーツを手足にからめて、え? 何でやり方知ってるか? そりゃよくやったからですよぉ……兄さんには言わないでください。至極真面目まじめに淡々と、一年以上はなげかれます」

 恐る恐る、十五年生きて経験したことのない難題に、ライラは足をみ出した。りをまたいだだけでこころもとない気分になる。下は見ない。絶対、極力、努力目標として、見ない。しばらくは全神経を集中させて、無駄な装飾に手や足をかけ、慎重に下りていく。無意味と評された装飾はいま、とても意味ある物となった。

 手摺りをはなれてからずいぶんったように思えた頃、そろりと窓を見上げる。手摺りから身を乗り出しじっとライラを見ていたサキは、そこでようやく動きを見せた。

もどってこられない所まで見送らないと、ライラさん戻ってきそうなんですよね。こんじようで」

「それだけが取りですってぎゃあああ!」

 さけんだひように、こんしんの力でにぎりしめていたシーツのなわから手がすべり、身体が一気に下がった。がんれーとのんな声が降ってくる。

「ライラさーん」

「生きてる、生きてるけどこれこわい!」

「レイルを、どうかよろしくお願いします」

 夜を燃やす喧噪にさえぎられた言葉を聞き返す間もなく、サキの姿は見えなくなった。


 一人になっても、疑問はこんこんき続ける。何が起きたのだろう。どうしてこんなことに。兵士長の言葉は、薬術師へのじよくほかならない。どんなけんより許しがたい。だが、いかりが完全に湧ききるには少々場所が悪かった。いや、よかったのかもしれないが。

 外壁に張りつき、一手一歩確認して下りていくじようきようは、動作に集中せざるを得なかったのだ。支えであったシーツは、三階を過ぎた辺りでれてしまった。少しでも気をけば、背負うトランクの重さに引っ張られ、転落ちがいなしだ。

 城中で上がる喧噪の中、死が直接見えないことが救いだった。かべ一枚をへだてた向こうで上がる悲鳴。他者の死は、悲しく悔しく、やるせない。自分の死は怖い。それだけだ。

 あせで滑る手に力をめ、慎重に下っていく。トランクが重くて勝手に滑り落ちてをり返し、やっとの思いで下階のバルコニーに飛び乗った時は、熱さとは別のいやな汗と、息のあらさをえて聞こえる心臓の音できそうだった。

「……吐きそう」

 いまさらながら申し上げます、イクスティリア中薬二師。ラハラテラ下薬三師は高所がきようしようです。暗さとどうで下がよく見えないのが本当に救いだった。城内はこれだけ喧噪があふれているのに、庭園では物音一つしないのは不思議だったが、闇に紛れるならそのほうがいいのだろう。

 地面までもう少し。ならばもういっそ、薔薇のほうがましだ。最後の気力で振りしぼった勇気とやけくそを胸に、ライラは手摺りを乗り越えた。目を閉じ飛び降り、閉じているがために気づかなかったとつに思う存分引っかかる。足を置き去りに空中でつんのめり、勢いをつけてバルコニーの側面に顔面をぶつけた。無駄に装飾が多い!

 空とは別の星が回る中、背が低い植木で一段階を経て、地面とキスをした。ねつれつすぎる。幸い薔薇ではなかったようだが、それはそれとして痛い。

 打ちつけた顔面を押さえつつ、痛みに身もだえする。それでも地面にうつぶせのまま足首を回し、ひねっていないことにあんしたライラの耳に、信じられない声が聞こえた。

「……ライラ?」

 名前を呼ばれて顔を上げた拍子に、ぱたりと鼻血が落ちた。ひどく嫌そうな顔をしたれいな人は、ゆがめても綺麗な顔をしている。しかし歪められた事実が悲しくはある。ライラの心と鼻はひかえめに傷ついた。

「…………もしかしなくとも、その血は、鼻血か?」

 べしゃりとばした右手の下に、それは美しい装飾品があった。しんじゆのように白いひしがたの宝玉を、煌びやかな宝石と銀細工がいろどっている。わんきよくした側面を赤が伝い落ち、ライラはあわてた。

「あ……やだ、よごしちゃった!? ごめん、レイル! 大事な物だった!?」

 慌てて寝巻きのすそき取ろうとして、もう一つもんがついた血のあとに気づいた。よく見るとレイルはまみれだ。ひどをしているのか。焦げ臭さと鼻血で血のにおいにどんかんになっている自分をののしり、ライラはさきほどよりも慌てて手を伸ばした。

「レイル! 治療、治療するからしゃがんで! こんなに血が!」

 そうはくとなり伸ばした手を、ひどく複雑な表情のレイルがつかみ、軽くひざを折る。

「……鼻血で妖人を支配したやつは初めてだぞ」

「………………ん?」

「いい、ほとんど返り血だ」

 ライラの細いうでを引っぱって立たせた美しい妖人は、かたふるわせてうつむいた。

「……何がそんなに楽しいの?」

 背後で何かがくずれる音がした。きた柱が崩れたのかもしれない。ああ、私とユーリスが愛した柱が。そんな軽口を受け止めてくれる人はいない。そんな軽口が成り立つ時間を、ほのおめていく。ライラには見えもしないのに、柱が燃え崩れる様子がやけにゆっくり脳内でかぶ。

 立ち上がったことで変わった視界の中、ライラは初めて状況を、さんじようを、理解した。庭園が静まりかえっている理由も、レイルの言った返り血の意味も、ようやく。

 あの部屋からここに至るまで、どれだけの血を浴びたのか。聞くことは、できなかった。

 レイルが顔を上げる。り上がった口角は、あの時のようにやわらかくほころんではいない。

「四年ぶりにおりから出た。楽しくないわけがないだろう?」

 ライラは静かにぶたせる。うれしいとは、言わないのね。

 くつくつと笑う声を聞きながら見上げた夜空は、にくたらしいくらい星が綺麗だった。けれど地上からい上がったけむりで、やがてその姿はかくれてしまった。

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君が唄う薬恋歌 守野伊音/角川ビーンズ文庫 @beans

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