第一章 聞こえ始めた薬恋歌②



 結局サキは再び会場の人間につかまったが、ライラはこっそり会場を出た。本来薬術師は、どこへ出かけるにも護衛騎士を伴わなければならない。国外ではなおのことだ。だが、すぐそこだからいいだろうと安易に考え、ライラは会場を出た。それがいけなかった。

 会場を出てものの五分で、それはもう見事に、教科書でお手本とされるようなかんぺきさで。

「ぉおぅ……迷った……」

 立派な迷子となった。

 しんと静まりかえった広いろうのど真ん中、無言でトランクを持ち直す。重たいトランクは、疲労より安心感をもたらした。

 城なんてどこも同じようなものだ。同じようにごうで、廊下が延びて、とびらが並ぶ。どこを進んでも代わりえしないごうしやな景色。問題は、衛兵に聞こうにもだれもいないということだ。かなり奥まった場所まで来てしまっている可能性が高い。

 薬術師は職務上、しんにゆう罪で捕まることはない。とりあえずどこかの部屋に誰かはいるだろう。いつ何時も手放さない薬術師のトランクをにぎり直し、ライラは結論を出した。

 適当な扉を選んでノックする。扉のすきからこぼれ出る光があったからだ。返事がないことにらくたんするも、明かりがついていることに首をかしげ、そっと開けてみる。

「あのー、すみませーん」

 やはり返事はない。しばしなやむ。他国の城の中にいるのは、他国の貴人だ。薬術師はそうそうお手打ちにされずとも、不興を買うのはけたい。めんどう事は誰だって嫌いだろう。

 明かりはあるのに返事はなく、その上、かぎが開いている。中で誰かがたおれでもしているのかと一応のぞいてはみたものの、誰もいないのなら下手へたどろぼうあつかいされるのも面倒だ。

めとこ」

 あえてあるじ不在の部屋へ入るより、適当に歩いて誰かを探したほうがいいだろう。人や病人がいないのなら強行する必要もない。

 すっぱり決めて身を引いたライラの耳に、ひど心地ここちよい声が届いた。

「誰だ」

 若い男の声だ。奥の部屋から聞こえ、やはり誰かいたのだとほっとして、きんちようした。

「すみません、道に迷った者ですが、ここってどの辺ですか?」

「入ってこい」

「いやぁ、ここで」

「入れ」

「はい」

 を言わさぬ声に、思わず従ってしまった。部屋の中は予想以上に豪華だ。どうして一つに至るまでこんなにきらきらする必要があるのだろう。それだけならまだしも、花にきんぱくや銀箔をまぶす必要だってない。花だけでれいじゃないか。それになんてもつたいない。この花は西国で採れる花弁に薬効がある薬草だ。こんなものまぶしたら薬にできない。

 明るい部屋の中には誰もいない。よく見るとまだ扉があり、声は奥の続き部屋から聞こえてくる。ライラはやけに気配のしないふんにごくりとつばを飲んだ。なんだかはいきよを探検している気分である。ここはパオイラの城で、廃墟なんてえんでもないのに。

 続き部屋はうすぐらかった。月明かりだけが光であり、ろうそくやランプなど、人間の手によって作り出された明かりはない。てっきりしんしつだと思っていた部屋の中はしんだいどころか家具もなく、中心にきよだいとりかごだけが存在している。声は、そこから聞こえていた。

 ライラは息をんだ。くらやみまぎれない長く真白いかみはだ。少しとがった耳。きんむらさきひとみ。何より整いすぎた顔は、きっと神にささげるけんじよう品より美しい。

「どうした。来い」

 呼ばれるままにそばに行き、へたりとゆかに座り込む。声までもが身をしんしよくするほどに美しい。なんて美しい、妖人。

 妖人が、鳥籠を模したおりに入っている。その現実を理解したしゆんかんに、ライラは座り込んでいた。身体中の力がけたのだ。奴隷が何たるかは知っていた。知っていても、目の前に理解できない異質な空間が存在すれば、人は思考を停止させる。

「俺に用があるのでは?」

 少年はこくはくみをかべ、檻の隙間から手を伸ばした。白い手がじゃらりと音をたてる。ライラはかんまんな動作で、彼の手足と首のかせを見た。ライラの視線はそのまま彼の肌をう。肌が切りかれ、むちたれたほおから流れる血が赤い。当然だ。生きているのだから。

 はじかれたように、伸ばされた手を両手で握った。少年は驚いたように目を見張った。

「動かないで」

 目を閉じたライラの周囲で不自然な風がう。服やそうしよくの下にかくされたもんようあわい光を発する。これが生きたせき。病におちいった人間すべてが望む、この世の

 他者の中をライラはめぐる。巡り、めぐり、再び瞳を開いたとき、少年の傷は姿を消していた。数えきれぬほどほどこしてきた癒術であったが、傷が消えた肌を前に、ライラはひどくあんした。ほぅっと息をくライラの前で、少年は興味深げに自身のてのひらながめている。

「薬術師か……。道理で薬草のにおいが鼻につく。そうか、今日はあのうるさい女の生誕日とか言っていたな。──何だ。あんた、本当に迷ったのか。こつだな」

 くっと笑われて、ライラはむっとなる。ライラは最初からうそなど言っていないのだ。

「だから最初からそう言ってるんですけどね」

「あの女の目をぬすみ、遊びに来るやからが多いものでな。警備は金だいで簡単に場をほうする。そうでなくとも、見ての通りひんぱんに仕事を投げ出す輩共だ」

「なるほど。私、あやとりが得意です」

ほうか。とぎに決まってるだろう」

 事も無げに言い放たれた言葉に、音をたてて固まった。

「お子様」

 鹿にするように鼻で笑われては薬術師のけんかかわる。出産だって扱うのだ。

 にきりりと表情を引きめ開いたトランクの中には、き身のまま、そして色取り取りのびんに入ったものなど、数百種類の薬草がぎっしりとまっている。

 ライラのかざした手の中で一つがおどり、宙に浮く。それをいくつも浮かべて手を合わせると、淡い光が結集した光の束が空の小瓶に収まった。

「今夜は止めてください。熱がありますし、薬出しときますから安静に……」

 どうようさとられないよう一気にまくし立て、はっと言葉を止める。巨大な鳥籠は中に鳥ではない少年を閉じ込める。不必要に長いはくはつは観賞用。観賞用でありながら鞭打つ身勝手。

「馬鹿か。れいの意思でどうこうできるようなら、人間は奴隷など持たないだろう。人間の気が向いた時に、鞭打つなり夜伽なり見世物なりで活用する。そのための奴隷だろう。奴隷同士戦わせ、殺し合わせ、かんせいを上げて金をける。女妖人に子を産ませて売る。その金で賭ける。まして俺は王族に売られた。どこに俺の意思をかいにゆうさせる場所がある」

 裂けた頬が治っても、発熱が治まっても、ここにいる限り本当の休息はおとずれない。

 鍵は、きっとある。彼が言うようにていの輩が多いのなら、かくてきだれでも手に入れることのできる場所にあるのだろう。だが、だ。こんせきがない。彼の自由には魂石が必要だ。彼の身にあった、おそらく今は存在しない。ぎ取られた、妖人の命。

 ライラにあるのは、魂石をうばわれた妖人は支配されてしまうという知識だけだ。支配の手順も知らなければ、彼らの解放には魂石のだつかんがあればいいのか、支配者の同意が必要かどうかすら分からない。

 ライラは、薬術師であろうがあくまで他国人だ。そんな立場で、王族が「所有」している妖人を自由にする権限などない。許可なく言葉をわすことも許されないだろう。

「私は、奴隷、きらいです」

 少年は冷たい瞳でちようしようした。

「だったられずに消えればいい」

ちがう」

 きょとんとした少年の手をつかまえる。白く細い綺麗な手。この手がじゆうめるばかりなど許されない。この手でなくても、他者が彼を害すことなど許されてはならない。許されないのに助ける手立てを、ライラは持ち合わせない。

 薬術師は他国の在り方に介入しない。してはならない。

 だから、ライラはいやす。癒すことしか、できないのだ。淡い光が再び広がっていく。表面の傷だけではなく、内部の負傷を少しでも癒すために。酷いあつかいを受け、ろくりようもされてこなかった彼の傷が表面だけで済むはずがない。内部のほうが酷いくらいだ。

「奴隷って言葉が嫌い。制度が嫌い。奴隷を作る人間が嫌い。他者をにじり、傷つけ、害し、それをおかしいと思わないこと、全部が嫌い。手で、言葉で、視線で、他者をたたくことを、しいたげることを平然と行っておきながら、それが暴力だと、自分は暴力的な行動をしているのだと気付かない風潮が、それが許されていると思いこめる制度全てが大っ嫌い」

 感情の高ぶりがるいせんげきする。しかし、ライラは泣かない。泣いていいのは自分じゃない。傷つけられたのも、傷ついたのも、全部、ライラじゃない。

「もう、行け。いくら薬術師と言えど、長居するとめんどうだろう」

 静かな声だ。静かで綺麗な生き物だ。ないがしろにされていいはずがない。それは生きとし生けるもの全てに言えることだ。

 ぐっとくちびるみしめる。ライラは、一時の情けでねこえさをやるようなざんこくさしか持ち合わせていない。一生面倒を見るすべもないのに、とつに命を長らえさせる術しか持ち合わせない、何者にもなれないどうしようもない存在だ。

「私には、貴方あなたをここから出す術がありません」

「そんなものあんたに求めていない」

 美しい金紫。この瞳が自由に色を放てる場所は、とてもらしい景色だろう。

「貴方は命です。何とも区別のない、尊い、尊厳ある命です。薬術師は命を区別しない。命に差なんてないのだから」

 白い手にびんを押しつけて立ち上がる。くやしくて泣いてしまいそうだ。何もできない自分がみじめで情けない。魂石を取り返すことは不可能だ。キオスとパオイラの間にれつを生み、彼もばつを受けるだろう。殺されてしまうかもしれない。虫と同じように踏みつぶこういとわない。そんな人間がいるから、彼らは奴隷なのだ。

 立ち上がったライラを、座ったままの少年が見上げ、わずかに笑う。

「あんたはおかしなことにいきどおるな。妖人を人と同等に扱う」

けものであれ人であれ、たがいがその気なら心だって通じるのに、別物みたいに扱うほうが変なのよ。罪ではなく都合で罰し、権利を奪い、それを罪と思わないやつがおかしいのよ」

 さくしゆするもの、されるもの。分ける人間がおかしい。そんなもの受け入れなくていいのに、ていこうすれば数で負けてひどい目にう。そうしてどんどんあきらめて当たり前になる。それをつうとしたパオイラも、変える術を持たないライラも、すべてが碌でもない。

「あんた、名は」

 大きなトランクを乱暴に閉めて出て行こうとする背に、少年は名を問うた。静かな声は清流に似ているのに、どこか水浴びする小鳥のような音が交ざっている気がした。

「ライラ・ラハラテラ」

「…………ラが多いな」

 うん、知ってる。ライラはうなずいた。

「ライラ・ラハラテラ。俺に治療代などないぞ」

「必要ありません。私が通りしただけです」

「……りようこうをそれと同列にしていいのか?」

 きんむらさきが月光を弾き、まっすぐにライラを見た。

「金はない。あるのはこの身一つだが、あんたには礼になり得ないようだな。お子様」

「……言っときますけど、私、十五ですからね」

しようしんしようめいのお子様だな」

 再び笑った音は、さきほどよりずいぶんやわらかく、思わずれた。こんな顔もできるのだ。傷つけられてなお、柔らかく笑える人は強い。強く、きっとやさしい。

「レイルだ」

 ライラはきょとんと首をかしげた。そんなライラに、レイルはほんの少しみを深めた。

「俺の名をあんたにやろう。俺の持っているゆいいつだ」

 名は妖人が持つ魂石の次に大切なものだ。妖人は容易たやすく人間に名を教えない。彼ら自身が口にした名を得た人間は、その妖人の守護下にあるとされた。魂石を剥ぎ取られていない妖人は、どうじゆつというとくしゆな術を扱える。それが、名をあたえた人間には通用しなくなる。さらにその妖人より弱い術者の術も届かなくなる。

 妖人が名を与えた人間を害するには、直接手を下す以外の方法はなくなる。殺す手段が限られる。それは、られている妖人にとっては魂の尊厳がかけられたと同義だ。

 それに気づいたライラはぎようてんした。

「通り魔でお礼なんてもらったらきようかつじゃない!」

すでにその言葉だけで意味が不明になっているな」

 おもしろそうにかたらして笑った後、レイルは顔を上げた。おだやかな表情だ。

「もうやった。返品は不可だ。さあ、もう行け、ライラ。あのうるさい女の生誕日とあって、訪れるやからはおらずともさわがしい夜だったが、なかなかかいだった。めにけちをつけるな。罰せられる前に早くもどれ。あんたも俺もな」

 はっとなる。罰を受けるのは自分ではなく、レイルだ。彼が酷い罰を受けるのだ。法もりんも通されず、人のよくが直結した結果が降ってくる。それが、奴隷だ。

 かされるように明かりがともった部屋にけ出して、月明かりだけの部屋をり向いた。彼は変わらずおりもたれている。違うのは、片手が軽く上げられていることだ。ちがってなどいない。彼は礼を返してくれた。勝手に押しつけた残酷さを恩としてくれた。

「レイル! れいな名前ね!」

「さっさと行け」

 後は振り向かない。飛び出して、覚えていない道をひたすら駆ける。少しでも彼からはなれなければならない。重たいかばんを両手でかつぎ上げ、ライラは必死で走った。えらそうな態度と口調の下で、酷くすいじやくした身体からだを持った彼に、これ以上負担をかけてはならない。

 走って走って、結局会場まで戻ってきてしまった。いつの間にか会場から姿を消した挙げ句、何かに追われるように会場に飛び込んできたライラに、おどろいたサキが近寄ってくる。

「ライラさん!?」

 自分を案じる手が肩に触れたしゆんかん、ライラは泣いた。彼と過ごしたあの時間を一時のまぐれにしてしまわなければならない自分の非力さをあわれんだ。そう、これはしような自分への憐れみだ。だって、彼はきっと憐れみなど望まない。

 ライラは自分への憐れみを理由にして、泣いた。

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