第一章 聞こえ始めた薬恋歌①



 やくじゆつと呼ばれる異能がある。薬草と術を組み合わせた医術を行う、りように特化した術者がそう呼ばれた。薬術師は医師よりも上位と位置づけられ重宝された。彼らに医療道具は必要ない。両手を合わせ目を閉じ、その手をかんじやに当てるだけで病の元をき止め、いやしてしまう。その身一つで薬を精製し、医者がさじを投げた病すら癒せてしまうのだ。

 大陸でゆいいつ薬術師をはいしゆつするキオスという国は、小国でありながらも大陸一有名だった。薬術師を育成する薬術院も世界中でキオスにしか存在しない。そもそも薬術師が生まれるせきさえ、キオスのたみにしかありえないのだから。

 しかし、誰もがなれる訳ではない。もちろん多量の知識を身につけられるにんたいが大前提だが、何よりの前提として生まれた瞬間に資格が決まる。薬術師があつかじゆつは、後天的に身につけることは不可能だった。

 薬術師は生まれながらにして、その身にもんようを持つ。額、両手のこうむなもとこしの付け根。計五か所の紋様をその身に宿していなければ、術は使えない。また紋様を持っていたとしても、薬術師にならないと決めた場合は解印のを行い、紋様を消す。

 薬術師はしようだ。紋様を持って生まれてくる子は少なく、紋様を持ったまま大人になる子はさらに少ない。

 それは同時に、危険視されるあやうさを意味していた。よって薬術師という資格でありしようごうを持つためには、厳しい訓練で知識と技術をたたき込み、先達が残した意志をいだ者、継げるとされた者のみが任につく。そして、志せないと判断した者達は、その身から紋様を消す。そうでなければ、その身を守れないからだ。

 彼らのりようを求め、人々はキオスにさつとうした。だいにキオスの前にきよだいな町ができた。始まりは病人と家族がテントを張った。数が増えれば屋台が並んだ。商店がそろえば定住者が現れた。そうしてキオスは国の前に巨大なりようせつを作った。

 先に癒せとやいばを向けられようが、薬術師達は決して順番をたがえることはない。彼らのきようだ。彼らにあるのはきんきゆう性のだけで、命に上下は無い。それが薬術師の信条である。

 キオスを害せば、たとえ流行はやり病が国をおそっても、その後百年間は薬術師の助けは得られない。決して仲が良いとはいえない大陸の国々が連合として機能しているのは、薬術師の存在も大きく関係している。キオスには手を出さない。それをあんもくりようかいとし、もしも破られれば大陸の多くの国が所属している連合国が束となって襲いかかる。

 たとえ己の命がきたとしても信条を曲げない。だからこその薬術師。なればこその薬術師。

 薬術師は、キオスの秘宝であり、世界最後の希望だった。


    ● ● ●


 柱がいとしい。とう会につかれ果てたライラは、柱のかげを探しては柱にこいしていた。柱ってたよりになる。柱っててき。ぺったり柱にもたれていると、不意にかげが落ちた。

「ライラさん? どうしたんですか?」

 美しいくろかみの女がひょこりと現れる。ライラの髪も黒だが、こんなに美しくえては見えないので、彼女の調和が少しうらやましい。明るい髪色が多いキオスで散々からかわれて育ったライラに、黒も悪くないなと思わせた髪を雑にはらったサキは、心配そうにまゆを寄せた。

「具合悪いですか? 私ますよ」

だいじよう、ちょっと疲れただけ。サキこそいいの? あんなに囲まれてたのに」

 黒髪だけが美しいのではないサキは大人気だ。舞踏会が始まってからずっと人に囲まれていた。ライラとて薬術師。ものめずらしさで言えばサキに負けていないほど人気ではあったが、同じ薬術師がいれば人は美しいほうに流れる。自明の理である。これ幸いと柱にげたので、サキを生けにえにした罪悪感は否めない。

「出席という義務を果たしたので、そこそこでじゆうぶんです。そもそも外交は薬術師の仕事ではありませんし」

「確かに。じゃあ私は、存分に愛しい柱と愛し合うことにする」

「柱が愛しいなんて、ユーリスみたいなこと言わないでください」

「ユーリスちゆうやくもそんなにも柱を愛して!」

 サキはたんせいな顔で真面目まじめうなずいた。

「ユーリスは熱を出すたびに、柱やかべ、そしてゆかをこよなく愛すのです」

「…………それはたおれてるんじゃ」

「彼はそう主張してはばかりませんから。無茶な主張であろうと、彼がそういうていを保ちたいのであれば付き合うのが友達かなと。診ますけど」

「なるほど……」

 ライラ・ラハラテラ。十五歳。やくさん。今年薬術院を卒業したばかりの新米薬術師だ。自己しようかい後、相手が発する第一声の九割は、ラが多い、だ。

 サキ・イクスティリア。十七歳。中薬二師。現在最年少の中薬師だが、少々とくしゆな事情を有している。かんこうれいかれている事情があるものの、ライラにとってはおもしろい人であり、うでのいい薬術師であり、同じ黒髪のせんぱいだ。年下のライラを呼び捨てには決してせず、自身はけいしようなしで呼ばれることを願うみような性質がある。先輩に使用すべき敬語も、やめてほしいと頭を下げられれば仕方ない。サキの親友である同年のユーリスも同様で、当初ライラはすご心地ごこちが悪かった。年上二人、それも両者史上最年少で中薬となったうできの薬術師を呼び捨て、敬語を使われるのに自分は使ってはならない。居心地が悪いことこの上なかった、が、すっかり慣れた。順応。なんて素敵な言葉だろうとライラはいつも思う。

 ライラとサキは薬術師だ。舞踏会の会場内においても、二人の姿は目立つ。何せ、どちらもドレスなど着ていない。当然だ。職務中である。

 薬術師が着用する統一された衣装は少し特殊だ。だんは清潔を保つためにしんさつ以外は大きなローブで全身をおおい、極力すなぼこりを衣装につけないよう気をつかう。手首や足首など、全身の様々な箇所にしぼふうがなされ、治療のじやにならぬよう片手で服を留められる。紋様をやみさらす必要もないと、額はそうしよく品で、手の甲は中指にめた指輪に布を通して覆う。これも治療の際には、腕についた留め具に指輪を引っけて留められるようになっていた。ズボンの上にはスカートのような布が覆い、これは前と後ろでまくり上げられ、簡易エプロンの役割を果たす。必要が無くなれば下ろし、もし血が付いていても次の患者の目からよごれをかくし、どうようさせずに治療を行うことができる。あちこち絞れ、捲れ、場合によっては破いて包帯にもなる。薬術師の衣装は、少々特殊な作業着なのだ。

 現在二人は故郷キオスを遠く離れ、連合加盟国であるパオイラに出向いていた。薬術師は国外えんせいもこなす。パオイラ王女の盛大な誕生祭のひんとして、王城へ寄らねばならなくなったのはかんだが。

 しかし、そこは薬術師。転んでもただでは起きぬ。入手困難な薬草をパオイラにせいきゆうすることを忘れない。どうせ遠征の目的は、パオイラ東部を襲う流行り病ちんあつようせいにより出発した先発隊のぞうえんだ。どちらにせよパオイラには来なければならなかったのだから、少しの寄り道で薬草が確保できるならよしとすべきだとキオスは判断した。

「ユーリス、元気かなぁ」

「代わりに出てもらってすみません。倒れるのはいつものことなのですが、今回は時期が悪くて……いや、いつも悪いですね」

「まあ、遠征二日前と言えど倒れるときは倒れるよ。むしろ遠征中に倒れなくてよかった」

 サキの親友であり薬術師としての相方であるユーリスは、ひどく身体からだが弱い。だから二人一対が基本の薬術師が相方を連れず、一人で遠征しているのだ。代わりに選出されたのが、薬術院を卒業したばかりで相方も持たぬライラであった。理由は簡単。さてどうしようかと話し合っている前をぐうぜん通りかかったのだ。「ライラさん、付き合ってくださぁい」とがおを向けられ、「はい喜んでー」と答えた結果、まさか他国遠征なんて思いもしない。

 そして現在、貴族と王族の健康かくにんに、後はいい見世物だ。楽しいはずがない。外交をこなすひまがあるなら医術書や植物かんを読んでいたいと思うのは薬術師のさがだろう。

 王女の誕生パーティーだけあり、内容は非常にごうせいだ。しかし、それだけだ。人の心が富んでいるようには見えない。パオイラではでんせんびようが流行り、大勢が死んでいる。すでに薬術師も派遣されているが、その増援としてきゆうきよサキとライラが呼ばれるほどに、まだまだ終わるきざしは見えない。明日の早朝には城を出立し、先の薬術師達が働く救施場に合流するはずとなっている。そんな中、権力者達は城に薬術師を呼び止めるのだ。

 一年前、連合の条約を破った国が現れた。その結果、キオスはいくさとなった。とある事情により大きながいなく解決したが、キオスは現在、連合とのれんけいを深めるべきだと、無理を押して薬術師を派遣している。必然的にただでさえ稀少な数はそこを突き、薬術院を卒業したばかりのライラが他国遠征に加わるほどに人手不足はせつぱくしていた。

 これも必要なことだとためいきいたライラの耳には、様々な会話が入ってくる。聞き耳を立てずとも流れ込んでくる言葉を、できる限り聞き流す。そうでなければり向いてしまいそうだった。

「全く、何年とうとあの妖人は変わりませんな」

「全くです。しかし王女もお人が悪い。決してなつかずとも手放さぬ」

 バルコニーで二人の男が、酒を片手に話している。

「あれだけの妖人。としごろの王女が手放さないのはいたかたがありませんよ」

「ああ、全く全く。姿形は最上級だというのに、致し方ない妖人ですな」

 頷き合って酒をあおる男達の会話に、知らず寄ったけんはサキが直してくれた。

 パオイラや周辺の国々は、この周辺地域でしか生まれない妖人をれいとしてあつかう。もっと南へ行けば人間を奴隷にしている国もある。そのどれも、ライラはきらいだった。ライラに限らない。薬術師を前に奴隷を連れるなどこつちようだ。薬術師がいだく制約も制限も、命が平等であるからこそ存在する。それなのに、薬術師がいる場で、それらをみにじる。踏みにじったとも思わぬほど当たり前に、笑うのだ。

「ライラさん、部屋にもどりませんか? 疲れたでしょう?」

 中薬として格段に遠征が多いサキは、さほど疲れを見せない。中薬になれば自分も彼女のような慣れを身につけられるのだろうか。ライラはりようこうにより発生したろうとは全くちがう、べったりと張りつくような疲れを自覚し、かたを落とした。

 薬術師はめずらしい。ちんじゆうあつかいされればいいほうだ。視線の多さはどこでも変わらない。見られるだけならまだしも、会話をもつて対応しなければならない事態は、薬術師であろうとつい先日まで学生だったライラには少々こたえる。

「でも、サキ一人だと視線がさつとうだね」

「平気です。兄さんがいるから」

うれしいことを言う」

 とつぜん現れたくろかみの少年に、薬術師は二人ともね上がった。二人をおどろかせた長い黒髪を一つにまとめた少年の名は、イヅナ・イクスティリア。サキの血の繋がらない兄だ。関係がややこしいのは仕様がない。彼らは色々と複雑なのだ。何せ箝口令である。

 そしてイヅナはサキの護衛でもあった。薬術師はその稀少性ゆえ、薬術院を出れば必ず護衛騎士をともなって行動するのだが、卒業したばかりのライラはまだ持っていないのだ。

 イヅナは妖人とまがうくらい美しい男だ。しかし、突然現れればしゆうも知り合いも他人も関係なく驚く。それは妹であるサキも同様だったようで、飛び跳ねたのであろう心臓を胸の上から押さえておこっている。

「兄さん! いるのは分かってたけど、気配消すの、やっぱりやめて!」

「お前がいるところに俺はいるさ」

「兄さんごめん、会話になってない」

 全く会話にならないのにあきらめないサキがびんすぎる。そしてこの会話、別段珍しいことではなく日常である。その事実に、ライラはそっとなみだぬぐった。

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