第11話 京都人は「嘘つき」?]
→ 「京都(人)のお茶漬け」
京都人は長い間、愚かな天皇や能なし貴族たちによって、家や街が過去何百回と焼き討ちに遭ったり、飢饉に遭ったりしてきた。
その故か、冷たいというか、人を信用しないというか、本当に強い者を見極めてそれにつくという習性となった。
京都人の言葉は円(まろ)やかで甘くて心地よいが、その内側は超現実的で冷酷。そうでなければ、愚かな天皇や能なし貴族たちの元で生きてこれなかったのです。
その点、江戸っ子というのは、喧嘩早いが、お人好しで、間抜けで、愛嬌がある。
無能な天皇と違い、武士である徳川家は300年間安泰であったし、明治維新まで一度も江戸を戦乱や飢饉という苦しい目に遭わせたことがない。
だから、今に連なる江戸っ子は政府を信用しやすい、おバカなところがあるのが欠点なのですが。
高野悦子さんは京都に憧れて行ったのでしょうが、京都という町には温かみがない、京都人には愛がない。観光で飯を食う街とはそういうもの。
そして、それでいいんです。
現代のヴェネツィア(イタリアのベニス)と同じです。観光で行くには良いが、長く住むところではない。(ヴェネツィアも昔は、政治・経済・海運業の中心地として、本来の活気のあった町だったようですが。)
まあ、京都はパリと同じで、実質的にはなんの生産性もない本当の活気がある都市ではない。ただ、権威という虚妄の装飾によって、文化的に・美しく見せることには長けている。
京都人は韓国人とよく似て、無能な支配者によって運命を翻弄されてきた。
しかし、京都人が韓国人と違うのは、1千年間逃げなかったこと。
一つ所に辛抱強く住み、祇園祭や大文字の送り火といった文化を育てた。
庶民の文化力で心を豊かにすることで、愚かな天皇や能なし貴族たちの暴政に耐え、自分たちでの生き方を確立させた。戦後70年で生まれた「韓流」どころではない。1千年の京都流生き方なのです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます