三章 2話
さて、決意を固めてから、数十分後。
……俺は何をやってるんだろう、とアッシュは考えていた。
事実だけを述べるならば、掃除だ。もっと具体的にいえば、おんぼろ屋敷に散らばった瓦礫の片付け。サイズの大きい瓦礫を手掴みで集めて、まとめて処分する。これをひたすら繰り返すという作業をこなしていた。
ちらり、と目線を動かす。
その先では、メイド服を着たシンシアが、せっせと竹ぼうきを掃いている。
「……はあぁぁ」
思わず、アッシュは特大のため息をついていた。
原因はいくつもある。シンプルに掃除が面倒だということ。怪盗『灰仮面』ともあろう大罪人が雑用を任されていること。シンシアが屈むたびに、健全とは言い難い光景が見えたりすること。
それに、何より。
ツバキの裏切りによるショックが、今さらになって押し寄せてきていた。
(あいつ……クソ、どうりで演技が上手いわけだ……)
ギリ、と奥歯を噛む。
彼女のことを思い出すと、いろんな感情に見舞われる。裏切られた瞬間のこと、今まで見せてきた笑顔がどれも嘘だったということ――そんなことを無意識のうちに考えていて、そのたびに胸の奥がずきりと痛む。
共犯者とは、背中合わせの関係だ。
だからこそ、後ろから刺されやすい。そして、刺されると痛い。
「――――もしもーし? アッシュくん?」
呼ばれて、はっと我に返る。
前屈みのシンシアが、上目遣いでこちらの顔を覗き込んでいた。彼女の着ているメイド服の構造上、形のいい膨らみの谷間がちらりと見えてしまう。
「どうしたの、ぼーっとして」
「……してねぇよ。つーか、お前には関係ねぇだろ」
「してたし、関係あるし。わたし、アッシュくんの雇い主なんだけど」
――違和感に、気づく。
「おい、シンシア=ユースティス」
「シンシアでいいよ? あとはまぁ、気軽にシアとかでも……」
「どこで、俺の名前を知った」
この少女は今、アッシュの名前を口にした。
名乗った記憶などないし、ツバキからも「センパイ」とだけ呼ばれていたはずだ。かといって、こちらの名前を調べるほどの時間があったとも考えにくい。
なのに彼女は、平然と「アッシュ」と呼んでくる。
疑問が疑念に変わり、そして警戒心に切り替わる。
「それは……ほら。わたし、『セントシア聖騎士団』の一員だもん、いちおう」
「一晩で洗い出せるほど優秀じゃねぇだろ、お前らの組織」
「うへぇ。きみ、残酷なことをズバッと言うね……」
にへへ、やや引きつった笑顔。
「……ほら! そんなの、どうだっていいでしょ?」
「よくねぇよ。第一、俺は――」
「お掃除。お昼までには、終わらせよ?」
遮って、シンシアは掃除を再開させた。
アッシュの立場を考えれば、きっと問い詰めるべきなのだろうが――まぁ、どうだっていいことだという意見にも一理ある。
どうせ、この少女との奇妙な関係も、すぐに終わるものだ。
詳しい事情を知ったところで、たいして意味をなさない。
そう自分を納得させて、アッシュも瓦礫の撤去に戻る。
◇◇◇
昼食は、それはもう素朴だった。
色素の薄いスープと、ちっちゃいパン。それと――なんだ、これ。
「す、すすすす、スクランブルエッグだし!」
というのが、シンシアの主張だった。
半分くらいが黒焦げの、ぐちゃぐちゃな何か。言われてみれば、ギリギリ卵の面影が残っているような気もする。気がするだけかもしれない。うん、たぶん気のせいだ。
「何か、文句でしょうか」
ベルの冷ややかな目つきが飛んでくる。
「いや、文句っつーか……」
アッシュは視線をテーブル上の料理に落として、
「貴族って、もっといいモン食ってんじゃねぇのかよ」
素直に答える。
シンシアの生活には、貴族としての欠陥が見え隠れしている。まずボロっちい屋敷に住んでいること自体がおかしいし、その修繕を自力でやるのも、そもそも使用人がベルだけというのにも違和感がある。極めつけは、この素朴というか貧乏くさい食事だ。そのうちの一品は、もはや料理と呼べるかすら怪しい。
「率直に申し上げますと、当家にはお金がないのです」
「……まぁ、だろうな」
この屋敷に初めて侵入したときのことを思い出す。そういえば、ここの金庫室には貯金がほとんど皆無だった。あのときは隠し金庫の存在に夢中で深く考えなかったが、あれは単に財産があれだけしかなかっただけなのか。
貧乏な貴族。なかなか耳に馴染まない響き。
「ちなみに、どうしてだ?」
つとめて軽く、そう聞いてみる。
ベルは口元にひとさじのスープを運びながら、
「ユースティス家は、滅亡の一歩手前なのです」
「……滅亡?」
「シンシアお嬢さまのご親族には不幸が続いている、ということです」
「あぁ……そういうやつね」
雑に頷いて、アッシュもスープに手をつけた。見た目どおりの薄味。不味いわけじゃないけれど、美味いとも思わない。
「お嬢サマのくせに騎士なんざやってるのは、小遣い稼ぎってわけか」
びくり、シンシアの肩が揺れる。
「うっ、あんまり否定できないかも……と、とにかく! そういうことだから、わがまま言われても聞けないからね? いい、わかった?」
シンシアは指と指でパンをちぎりながら、翠玉色の瞳――わずかに揺れていた――で、じりじりと圧力をかけてくる。
それにアッシュは反応を示さず、黙々と食事を続けた。硬めのパンには歯ごたえがあり、これはまあまあ美味い。
「……ねぇ。それ、食べないの?」
と、焦れったそうにシンシアが聞いてくる。
その目線の先には、真っ黒焦げのスクランブルエッグ(仮)が鎮座している。
「いや、そもそも……」アッシュは眉をひそめて、「……これ、食いモンなのかよ? 俺の罰を償わせようとしての拷問だとか、そういうやつじゃねぇだろうな?」
「ひどっ! わたしの善意だしっ!」
つーん。シンシアはそっぽを向いて、
「いくらわたしが失敗したからって、その言い方は傷つく」
「自覚ありかよ、タチが悪い。……ったく、卵だって、今じゃそれなりに高価な――」
――そこでふと、思い出す。
「これ、お前が作ったっつったよな?」
「うぅ、わたしだって、ほんとはきみのために……」
「養鶏場の卵、使ったのか?」
「え? ま、まぁ、そうだけど……?」
この屋敷の特徴として、裏庭に小さな養鶏場がある。
そしてシンシアは、その馬鹿げた優しさを暴走させて、食用のニワトリを私室に匿うという奇っ怪な行動をとっていた。
そう。この少女は、家畜すら大切にしてしまうほどに優しい人間なのだ。
こうして卵料理を作ったという話とは、理念が一貫していない。
「……男の子って、味が濃いほうが好きなんでしょ?」
ぽつりと、シンシアは呟くように言う。
「わたし、貧乏だからさ。薄味のご飯だと、きみは満足できないかなって。だから、あの子たちにごめんなさいして、いくつか貰ってきたの。……まぁ、見てのとおり失敗しちゃったんだけどね」
「…………」
アッシュは、改めてテーブルの上の料理を見て、
「……そりゃ、家畜どもも報われねぇな」
真っ黒焦げのスクランブルエッグ(仮)に、スプーンを伸ばす。
すきっ腹の命じるままに――という言い訳を盾にして、一口。
「……にがじょっぱ」
奇妙な味。
ジャリッとした食感と、後味の悪すぎる風味。
でも、思ったよりも食べられる。
「ど、どうかな……?」
不安そうに、シンシアがこちらを見てきた。
「……マズいに決まってんだろ、アホか」
そう言って、もう一口だけ、手を伸ばす。
◇◇◇
昼食のあとは、またしても瓦礫の撤去を手伝わされた。
ボロいくせに無駄な広さを誇るこの屋敷の清掃は、なかなか終わりの見えない作業である。日が沈むころになって、今日はひとまず休もうという話になった。
それから、ギシギシ軋むボロっちい風呂を借りた。
これまた薄味の夕食を胃に押しこんだ。
長い一日が、ようやく終わろうとしている。
「……っだぁ」
ばたんっ。アッシュはベッドに倒れ込んだ。
ふかふかの感触とそれなりの弾力が、疲れた身体に嬉しい。
「…………」
全身をベッドに預けたまま、アッシュは目を瞑る。
眠気は、まぁそれなりだ。疲労はしているが、ふだん夜行性動物のような生活をしている影響だろう、すぐに眠れそうな感じはしない。
「何やってんだろうな、俺は」
ごろん、と寝返りを打つ。
今後のことを考えよう、と思う。
いずれこの屋敷からは脱走するつもりだ。当面はひとりで生きていくことになるだろうから、そこそこの資金を調達しておきたい。となれば盗みを働きたいが、悲しいかな、この屋敷の貯金を盗んだところで、たいした足しになってくれない。かといって現地調達を繰り返すのは、なんというか、こう、しんどい。
隠れ家に戻りたい気持ちはある。しかしそれは、危険かつ勝算の低い賭けだ。
ツバキの裏切りが判明した今、過去の資産の全てを失ったと考えるべきだろう。
さて、そうなると――。
「……何やってんだろうな、俺は」
また同じことを呟いて、思考を打ち止める。
眠れないまま、瞳を閉じ続ける。
こんこん、とノックの音。
「――ベルです。アッシュ様、少しお時間よろしいですね?」
ガチャリ、と問答無用で扉を押し開けられる。なら最初から聞くなよ、と思う。
「お休み中でしたか、申し訳ございません」
「……返事くらい待てねぇのかよ」
「はて、なにか不都合でも――」なぜかベルは納得して、「あっ……その、これは失礼いたしました。男性のお客様には不慣れなものでして、どうかご容赦ください」
なにやら余計な気遣いをされる。
「これは忠告ですが、もしシンシアお嬢様に欲情なさるようでしたら、殺しますので」
なんだそりゃ。
アッシュは片眼でベルのほうを見る。真顔だった。
「これは冗談ですが、どうしても欲求を我慢できないようでしたら、このベルがお相手しますので、どうぞお気軽にお声かけください」
「……あんた、冗談とか言うんだな」
わざとらしく、アッシュは重たい息をつく。
「んで、何の用だよ。疲れてんだ、早く寝かせろっての」
「なるほど。私を使って日ごろの疲れを発散させろ、と?」
「……主従そろって変人でしたってオチじゃねぇだろうな?」
「冗談です」ベルは表情をぴくりとも動かさない「件の屋根の爆破痕ですが、想像よりも深刻でした。修繕道具の調達のため、明日よりハイラム商業地区まで行って参ります」
「ハイラム? わざわざそんな遠くまで?」
王国南東の端のほうに、そういう名前の商業地区がある。しかし、この屋敷からは相当な距離があるはずだ。往復だけでも数日はかかるだろう。
「ユースティス家と繋がりのある商会の会長様が、必要な道具をタダで提供していただけるとの話でして。当家の貧乏さでは、頼らざるを得ない状況です」
「ふぅん。大変だな、あんたも」
「誰のせいだと思っているのです?」
……そういえばそうだった。反省はしていないが。
「私はいいのです。問題は、帰るまでに一週間かかる、ということです」
「あー……」
なるほど、と思う。
つまり、このベルというメイド少女は、
「俺みたいな悪党が、親愛なるお嬢サマとふたりっきりになるのが心配だってわけか」
「率直に申し上げますと、その通りでございます」
ベルの紫紺の瞳が、何かしらの強い意思を灯す。
「私は、シンシアお嬢様のメイドであり、つまり手足なのです。お嬢様が怪盗を匿うと言うのですから、それに異論は申しません。使用人として面倒をみてくれと頼まれてしまいましたから、従うほかにありません。
――ですが、この私にだって、絶対に譲れないものがございます」
コツリ、とベルは鋭く踵を返して、
「シンシアお嬢様を悲しませるなよ、クソ泥棒が」
これまでの丁寧な口調から一転、憎しみすら滲ませた声音で、言い放ってくる。
後ろ手で、扉が閉められる。
そしてそのまま、足音は去っていった。
(……悲しませるな、か――)
知ったことか、と思う。
天井を睨む。
おんぼろ屋敷のそれは、かつての隠れ家と似通っていて。
「……はっ、クソッタレが」
口元を歪ませて、小さくぼやく。
それが誰に向けての悪態だったのか、アッシュにすらわからなかった。
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