二章 2話

 時計の針が、二十三時半を示している。


 シンシア=ユースティスの屋敷は、緊張に包まれていた。歴戦の騎士や魔法使いたちが集結し、怪盗『灰仮面』迎撃のために士気を高めている。作戦や配置を確認し合いながら、侵入者を迎え撃つべく体制を整えていた。



「……うぅ、緊張するなぁ」


 シンシアは、大広間にて待機を命じられていた。


 その格好は、『セントシア聖騎士団』の制服である。何を隠そう、シンシアも騎士団員のひとりなのだ。腰には細剣を差し、鋼製の胸当てを着けている。金色のロングヘアは、ポニーテールに束ねていた。……ミニスカートなのは、先代の王族の趣味なのだとか。


「不安、なのですか?」

 と、ベルの声。平淡なようで、優しさのこもった暖かい言葉。


「……ううん、大丈夫。アルバート様が、これだけの戦力を集めてくれたんだもん」

 ぺしん、シンシアは自身の頬を叩く。気合いを入れるおまじないだ。


「ですが……」

「それに。〈禁忌の魔導書〉なんて、もし盗まれちゃっても問題なんてないし。お祖父様が言ってたでしょ? あれは、この世の誰にも使えない魔導書だー、って」


 ユースティス家は、貴族としての階級が低い。

 しかしそれも、現在の話だ。何百年かを遡れば、それなりの地位の家系だったらしい。血縁者のほとんどが世を去ってしまったというだけで、歴史だけならそこそこに長い家系なのだと聞く。


 ――いわく、原初の魔法使いと交流があったのだとか。


 唯一神ウルフィスから魔法を授かり、その力を世界中に広めたという伝説の魔法使い。そんな神話の世界の人物と、シンシアの先祖は仲が良かったのだ――という話を、祖父から聞かされたことがある。


 そして、同時にこうも聞いた。――〈禁忌の魔導書〉は、原初の魔法使いが危険視した魔法を封じ込めた魔導書だ。けれど、その効力はもう失われてしまっている。

 だから、もしも盗まれるようなことがあっても、悪用される心配はない。

 そのことも、わかっている。わかっているはずなのに、


「大丈夫、だよね……?」


 胸の奥が、ざわざわとして止まなかった。


 カチ、カチ――と。

 時計の針は、正確に時を刻んでいく。

 怪盗『灰仮面』の予告まで、あと数分と迫っていた。



 ◆◆◆



 ――鐘が、鳴った。



 セントシア王国の時計塔が、二十四時を知らせる。

 静まり返った世界に、一日の終わりを告げる音が響く。

 ごーん、ごーん……鐘の音が残響して、



 ――――ドガアアアアアアァンッ!



 唐突に、掻き消される。

 豪快な爆発音が、夜空に轟いたのだ。


 その直後、シンシア=ユースティスの豪邸の屋根は、ばらばらと瓦礫を散らしていた。



 ◆◆◆



 アルバートは、爪を噛んでいた。


「まさか、ここまで乱雑だとはね……ッ!」


 怪盗『灰仮面』の侵入予測ルートを完璧に潰す布陣を練り、それぞれ適役だろう警護を配置させたアルバートだったが、まさか屋根から来るとは予想していなかった。完全に、不意を突かれる形となってしまった。


 冷静になれと己に言い聞かせ、アルバートは通信の魔導石に指示を飛ばす。

「――アルバートだ。一階南東、北西の警護はただちに移動を。二階のカバーに回れ。爆破地点に近い警護隊はすぐに迎撃を。少しでもいい、奴の体力を削れ」


 了承を受けて、通信から意識を離す。

 アルバートの配置は金庫室の前。正真正銘、最後の砦である。

 かちゃり、腰の長剣に触れながら、


「今度は負けないよ、怪盗『灰仮面』」


 鋭く、そう呟いた。



 ◆◆◆



 アッシュは、いつになく真剣な顔をしていた。


 灰色の仮面で目元を覆い、漆黒の外套で身を包んでいる。両手には鉄製の手袋を装着した、怪盗『灰仮面』としての格好である。


 声量を抑えて、アッシュは通信の魔導石に声を向ける。


「ツバキ、聞こえるな?」

『もちろんっすよ! サポートの体勢もばっちりっす!』

「よし、とりあえず報告だ。――作戦の第一段階は成功。第二段階に移る」


 屋根の爆破は、もちろんアッシュが行ったものである。

 魔導具〈ハイロボルス〉。性質は《爆破》と、文字通りの爆発物だ。その危険性から、王国内での使用は制限されているが、そんなルールを守ってやるわけもない。


 肝心の威力はというと、それはもう絶大だった。

 もともと屋敷がボロいということもあるが、屋根瓦にあっけなく穴をこじ開けてみせた。起爆時の音も凄まじく、警護にも大きな混乱を与えられたはずだ。


『それじゃあ、あたしからも報告っす!』

 ツバキの明るい声。


『センパイの作戦、見事に大大大成功っすよ! さっきの爆発に動揺して、警護の配置がガッツリ動いたっす! 南東付近の警護、今ならガラガラっすよ!』


「了解。んじゃ、とっとと侵入タイムといくか」

 言って――アッシュは、正面の窓に手をかけた。


「ハッ、俺は怪盗だぜ? もっとスマートで確実な方法でやらせてもらうっての」


 そう。屋根の爆破は、侵入口をこじ開けるための一手ではない。


 その目的は、陽動にある。

 警護の意識を逸らし、あわよくば配置を動かすことで、侵入の隙を作るためだ。


「ツバキ、近くの警護は?」

『ここの廊下の曲がり角で一組っすね。騎士と魔法使いがペアになってるっす』

「了解。そんじゃ――《アンロック》」


 固有魔法を唱えて、窓の鍵を開ける。それを飛び越えるようにして廊下へと着地。

 息を潜め、足音を消しながらに駆け、やがて曲がり角へと迫り、


「よし、突っ込むぞ」

 魔導具〈マギア・リボルバー〉に、銃弾をセットする。


 この拳銃は、『魔杖』の一種だ。アッシュでは扱えないはずの種類の魔法でも、『魔杖』を介することによって扱うことができる。〈マギア・リボルバー〉の場合だと、銃弾の形をした魔法が放てるようになる。


 そして今回は、闇族性の魔法を装填した。


 廊下を駆けながら、アッシュは拳銃のグリップを握り締めて、

「弾けろ――ッ!」

 引き金を下ろす。


 瞬間、闇属性の銃弾が放たれ――それが盛大に破裂して、周囲に暗闇が展開される。


「な、これは……ッ!?」

 前方からの、困惑の声。


 廊下の角に位置していた騎士の声だ。屋根からの侵入だと錯覚し、完全に気をとられていたのだろう。まさか背後を取られていたとは知らず、唖然として声を漏らしたのだ。


『センパイ、やっちゃってくださいっす!』

 魔導石からの、ツバキの楽しげな声。


 暗闇の中は、アッシュの独壇場だ。この灰色の仮面は、《暗視》の魔導具でもある。視界を奪われた警護どもの一方で、こちらの視界は明瞭。そのうえ不意を突いている状況だ、この一瞬はアッシュが支配したも同然である。


 アッシュは〈追い風のブーツ〉で地を蹴り、加速を発揮させる。


 一瞬にして、鉄の鎧を着た騎士へと肉薄し、

「へぇ、なかなかいい装備してるじゃねぇか」

 嘲笑うように、首元で囁く。


「貴様、どこか――らッ!?」

 騎士は即座に振り向こうとして――足をもつれさせて、その場に転倒した。


 ガシャン! と鉄の鎧が床にぶつかる音が響く。


 アッシュが放ったワイヤーによって、足を縛られた結果だ。


 外套の袖には、それぞれ一本ずつワイヤーを仕込んである。最高位の金属に、風属性の魔法を編み込んで高速射出を可能とさせた、『怪盗七つ道具』のひとつ。それを使って、この騎士の足を縛ってみせたのだ。


「ま、重けりゃいいってもんじゃねぇってことだな」


 騎士が転倒した直後、一帯が光を取り戻して、

「――動くな、怪盗『灰仮面』!」

 やや低めの、女性の声が響く。たったいま転倒させた騎士とタッグを組んでいた、水色ローブの魔法使いのものだ。


 目線をやる。蒼色をした『魔杖』の先端が、アッシュへと向けられていた。


 セントシア王国ではよく見る、水の魔法に特化させた『魔杖』だ。扱える属性をひとつに絞ることで、魔法の威力を高めることに成功した逸品である。


「……お前ら、ほんっとそのセリフ好きだよな」


 呆れるように、アッシュは杖の先端を睨み返して、

「んなこと言われてもよ。止まるわけがねぇ――だろッ!」

 グッ、と地を蹴った。


〈追い風のブーツ〉によって、瞬間的に加速。目では追えないほどのスピードで、前方の魔法使いへと接近を仕掛ける。


「この……っ!」

 水色ローブの魔法使いが、縦に杖を振ったのが見えた。


 この魔法使いだって、アルバートが揃えた布陣のひとりだ。それなりの場数は踏んでいるのだろう、加速くらいでは怯まなかった。


 魔法によって水が出現し、弾丸のようにして射出される。


 しかしアッシュは、それを想定していた。

「――《アンロック》」


 魔法を、唱える。

 瞬間、炎が吹き荒れた。


 アッシュが解錠したのは、魔法を閉じ込めた箱だ。鍵が外れた瞬間に炎属性の魔法が発動するように調整した、アッシュお手製の魔導具。自身の固有魔法を活かすために工夫を凝らした、それなりにお気に入りの代物である。


 ゴウッ! と衝突。水と炎の魔法が、蒸気をあげて相殺。


 そう、蒸気。

 これこそが、アッシュの狙いだ。


「っ、待ちなさ――――」

 もちろん、聞いてやるわけがない。

 蒸気に身を隠し、〈追い風のブーツ〉の加速を最大に引き上げる。全速力で逃走を図り、一瞬にして水色ローブの魔法使いの真横を過ぎ去ってみせた。後方から水の弾丸が飛来してくるが、乱雑に放たれた魔法など、いとも簡単に回避できる。



 かなりの距離を作ってから、アッシュは観葉植物の裏に身を潜めた。


 追撃が途絶えたのを確認して、ツバキとの通信に集中する。


『お疲れさまっす! センパイ、さすがの立ち回りっすね!』

「あのくらい楽勝だっての。完全に不意を突いたんだ、しくじるわけもねぇよ」


 不敵に語り、そして笑みをこぼす。


「ククク……さっきのやつら、今ごろ大パニックだろうなぁ」

 こう断言できる理由が、アッシュの手の中にある。


 ――通信の魔導石が、ふたつ。

 そう。先ほどの警護から、これを盗み取ったのだ。


『あぁもうセンパイ、ちょっとカッコ良すぎるっすよ! たったの一瞬で、魔導石をピンポイントで盗んじゃうなんて! うわやばいっす、あたし、ちょっと濡れ――』

「やめろ黙れ」


 ずばりと牽制しておく。これ以上はよくないと思った。


 さて、気を取り直す。アッシュはとんとんと喉を叩いて、


「――報告! こちら一階南東、怪盗『灰仮面』を撃退しました!」

 やや低めの、女性の声を偽る。

 この魔導石の持ち主だった、水色ローブの魔法使いの声である。


「対象、北部への逃走を確認! 屋根の爆破は陽動だった模様ですが、私の魔法を命中させてあります! 今がチャンスです、至急、配置の変更を要請します!」


 と、警護全体にデマを共有する。

 王国直属の騎士やら魔法使いやらは、手柄というものに目がない。だから、怪盗『灰仮面』が弱っているというデマを流せば、警護の布陣を崩せると考えたのだ。我こそはと持ち場から離れ、金庫室までの警護をひとりでも動いたなら上等。そのまま混乱させることができれば、一気にこちらのペースに持ち込める。


『――アルバートだ。そうか、魔法を命中させた、か……』

 やがて返ってきたのは、冷静な男の声音。


『総員に告ぐ。何があっても、持ち場を離れるな』

「…………っ」


 ちっ、アッシュは内心で舌を鳴らす。

『各自、全力をもって侵入者を迎撃せよ。奴の手数を削り、少しでも疲労を蓄積させるんだ。決して、手柄などに目を眩ませることのないように』


 淡々と、アルバートの声が続く。


『それと――聞こえているかな、怪盗『灰仮面』。爆破のハッタリには、まんまと騙されたよ。そのお礼は、あとでたっぷりとさせてもらう』


 プツリ。通信を一方的に遮断される。


「……はっ、そう上手くはいかねぇか」

 やや自嘲気味に笑いながら、アッシュは立ち上がる。


 アルバートには、今の嘘が完全に見透かされていた。声の模倣は完璧だったはずだが、そう簡単に騙せるような甘い相手ではないということだろう。


『どうするんすか、センパイ?』

 言葉とは裏腹に、やけに落ち着いたツバキの声。


 アッシュの仮面の下の表情にも、当然のように焦燥はない。

「ま、ちょいと遠回りになっただけだ。ちょろっとお宝頂戴して、さささっと逃げりゃ、それで俺らの勝ちだ。サポート、頼んだぞ」

『……はいっす! あたしに任せてください!』


 ターゲットの眠る金庫室まで、警護の数はそれなりにあるだろう。


 アッシュは〈マギア・リボルバー〉を握り直した。実を言うと、これは『魔杖』としての性能があまり高くない。魔法を銃弾の形に錬成できることに性能を割きすぎてしまったのか、使用回数が制限されている。日に一属性を一発ずつが限界だ。


 だが、逆に言えば、まだ七発も残っている。

 それだけあれば、充分だ。


「行くぞ、ツバキ。〈禁忌の魔導書〉を、俺たちの手で頂戴する」

 不敵に、そう告げて。

 アッシュは――怪盗『灰仮面』は、颯爽と駆け出した。

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