一章 7話
ツバキの《千里眼》は、使い勝手のいい魔法である。
たとえば、迷子になりそうなほどに広い貴族の屋敷であっても、ぱっと見で構造が把握できたりする。わざわざ確かめるまでもなく、目的の部屋を探り当てられるわけだ。
そんなわけで、合流したアッシュとツバキは、難なく金庫室までたどり着けた。
「あたしの忍法で視えるのは、ここまでっすね」
ふぅ、とツバキは息をつく。
「やっぱり、ここの扉は魔法でロックされてるっす」
しかしもちろん、《千里眼》も万能ではない。
この金庫室の鉄扉には、魔法による施錠がされている。その向こう側は、さすが《千里眼》でも視えないらしい。貴族の金庫室らしく、管理は万全というわけだ。
「そういうわけっすから、センパイの出番っすよ?」
「言われなくても、わかってるっての」
アッシュは小さく悪態をつき、ゆっくりと腕を上げた。
右手のひらで、そっと鉄扉に触れる。そして、
「――《アンロック》」
魔法を、唱える。
瞬間、ガチャリと音がして、鉄扉のあらゆる施錠が外される。
「ほんと、便利っすよねぇ。センパイの固有魔法」
「フッ、まぁな。盗みの天才な俺にふさわしい才能だ」
アッシュの唱えた魔法は、誰にでも扱える魔法じゃない。
固有魔法――つまり、生まれつきの魔法。
一般的な魔法と違って、固有魔法は、生まれ持った魔力の性質によって扱えるかどうかが決まる。ツバキの《千里眼》なんかも、そのひとつだ。
そして、アッシュの魔力性質は《解錠》。地味だとは思うが、盗みに使うのであれば、これ以上とない天賦の才である。
「ともかくだ。ここに〈禁忌の魔導書〉があるのか、手分けして調べるぞ」
今回の盗みは、とにかく慎重に進めると決めていた。
なにせ、相手は五千億のお宝なのだ。いつも以上に警護を固めてくるだろうし、そもそも保管方法ですら厳重である可能性が高い。だから、まずは金庫室にあるのかどうかを確かめて、できれば具体的な位置まで把握しておきたいところだ。
「んじゃ、開けるぞ?」
そう言って、アッシュは鉄扉を引いた。
ギギギィ……と重そうな音を立てて、金庫室の入り口が開かれる。
アッシュは部屋に入ると、すぐに周囲を見渡した。複数の金庫を確認し、手当たり次第に《解錠》の魔法を唱えて、次々に施錠を外して回った。
それから、ツバキと分担して全ての金庫を物色する。
――が、金銭以外のものは、何も見つからなかった。
代わりに得たのは、とある違和感。
「……これで全部、か?」
金庫室内にあった硬貨の額を合計すると、おおよそ一千万程度。貴族の財産にしては、明らかに少ない。
ならばとアッシュは考えて、
「ツバキ、この部屋を《千里眼》で見渡せるか?」
「できるっすけど……なんでっすか?」
「あきらかに保管額が少ないだろ? 隠し金庫とか、そっちの可能性が高いと思ってな」
「なるほどっす! それじゃ、失礼して――」
むむむ、とツバキのうなり声が続く。難航している様子だ。
しばらくすると、ツバキは「ぷはぁ」と息継ぎをして、
「――だめっすね。あたしの忍法じゃ、ただの金庫しか視えないっす」
「そうか……ま、そう簡単にはいかねぇか」
さて、どうしたものだろうか。
この屋敷内に〈禁忌の魔導書〉があることは確定と言っていい。だとすれば金庫室に保管しているはずだと、アッシュは半ば確信していたのだが。
「あのあの、センパイ」
と、背後からツバキの声。
「木を隠すなら森、って言葉があるじゃないっすか」
「あぁ、それが?」
「金庫を隠すなら、やっぱり金庫室だと思うんすよ」
「……ん?」
いまいち、要領を得ない。
「そりゃそうだろうけどよ。でも、お前の《千里眼》でも見つからねぇんだろ?」
「だからこそっすよ。あたしの忍法すら欺くような何かが、この部屋にあるはずっす」
「《千里眼》すら欺く何か、か……」
もう一度、アッシュは室内を見渡した。
あるのはやはり、いくつかの金庫のみ。もちろん、隠し扉のようなものは見当たらない。絵画が壁に掛けられていたりもしないし、床にもそれらしき違和感はない。
このどこかに、ツバキの《千里眼》でも視えないような何かがあるとすれば――。
「まさか、魔法による施錠か……?」
繰り返すが、ツバキの魔法は万能ではない。
魔法による施錠の向こう側は、視ることができない。
「だとすれば、だ」
アッシュが触れたのは、右奥に位置する金庫。
他の金庫よりも一回り大きいそれは、扉を開けると、人間ひとりくらいならば余裕で収まるくらいのスペースがある。にも関わらず、中身は数十枚の金貨のみ。すかすかである。
じっくりと、その内側を観察して――ふと、気づく。
金庫の底に、魔法による施錠がされていた。
「……ククク」
どうしても、アッシュは笑みを漏らしてしまう。
湧いてくる感情を、制御できなくなる。
「センパイ、もしかして!」
期待の込もった声色で、ツバキが駆け寄ってくる。
「あぁ、喜べ。この金庫はアタリだ」
不敵な笑みを浮かべて、アッシュは告げる。
魔法による施錠は、本来ならば目には見えない。けれど、《解錠》の固有魔法を扱えるアッシュには、本能的に直観できた。この金庫の底に何重もの鍵がかかっている、と。
そして。
こんなもの、「この先にお宝がありますよ」と言っているようなものだ。
「つーわけだ。ツバキ、俺たちのやることは決まったぞ」
がさり、灰色の髪を掻く。
前髪の下で、ぎらりと瞳が強欲に輝いた。
「一週間後、怪盗『灰仮面』は予告状を出す。
宛先はシンシア=ユースティスの屋敷。
ターゲットは――五千億のお宝、〈禁忌の魔導書〉だ」
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