一章 6話
「……へ」
それは、美しい少女だった。
絹のような金色の髪は、背中まで届くくらいの長さ。透き通るような白い肌に、すらりとした華奢な肢体。優艶かつスレンダーな身体つき。情報通りなら、年齢は十八。精緻に整った顔立ちには、あどけなさと大人っぽい魅力が同居している。
そんな美少女が、なぜか下着姿でニワトリを抱きしめている。
幻覚だろうか、と思った。
だけど、まぁ……信じるしか、ないのだろう。
「だって、かわいそうじゃん!」
ここで初めて、ニワトリ以外の声。
「ニワトリさんだって、一生懸命いきてるんだよ? なのに、ベルは『ぐへへ、こいつは今日のディナーなんだぜ』とか言って! そんなの、わたしが許さないよ!」
鈴の音のような、美しい声音が響く。
怒気を含んでいるようだが、怒り慣れていないのだろう、まったく気迫を感じない。
「ほら、この子だって、こんなに嫌がって……」
長いまつげに縁取られた瞳が、ゆっくりと上を向く。
ここでようやく、少女はアッシュを視認したらしい。
「……あれ、ベルじゃないの?」
不思議そうな顔をされる。
たぶん、アッシュも似たような顔をしていると思う。
「そっか……よかった。バレたのかと思って、焦っちゃった」
にへへ、と少女は笑った。
とても可憐で、無垢な笑顔だった。
「そうだ、聞いてよ。この子、ずっと前から養鶏所でお世話してるんだけど、ベルが今日のディナーにするって言うんだよ?」
よしよしなでなで、少女はニワトリの羽を撫でながら、
「しかも、『シンシアお嬢様は、もっと胸への栄養を意識すべきなのです!』とか言ってくるし。わたし、そんなに小っちゃくないんだけどなぁ」
コケコケ、とニワトリが嬉しそう(?)に羽を動かした。
それを抱えた少女の胸の膨らみが、むにゅむにゅと形状を変えたりする。
「ね? かわいいでしょ?」
翠色の双眸が、アッシュをじっと見つめてくる。
七色の虹彩を秘めた、宝石のような瞳。
「…………おとこのひと?」
いや、気づいてなかったのかよ。
ぴたりと、視線が重なってしまう。
「…………」
「…………」
沈黙。
アッシュは、声を絞り出せずにいた。
やがて少女は、自分の服装に気づいたのか、みるみるうちに頬を赤く染めていく。
「なっ、なななななな――――」
絵に描いたような、あわてふためく一秒前。
はっとして、ついにアッシュの脳は再稼働した。すぐに状況を把握しようとする――視線を上から下へと這わせながら、会話をぼんやりと思い返す。桜井の下着に包まれた、少女の白い胸元が視界に入る。年相応に健康的な膨らみ。しかし、とにかく裕福で肉ばかりを食べまくる(らしい)貴族のお嬢様として考えれば、確かに貧相ではある。
「失礼ですが、ベル様のおっしゃることも、一理あると思います」
「……へ?」
「もっと、胸への栄養を意識なされても良いのでは?」
「…………」
「…………」
再び、沈黙。
しばらくして、少女はアッシュの言葉の意味を理解したのだろう、すでに真っ赤の顔をこれでもかと紅潮させて、
「ほ――」
「……ほ?」
「豊胸マッサージとか、やってるし!」
ニワトリを抱きかかえたお嬢様は、そんなことをカミングアウトなされた。
「――脱いでたのだって、ちゃんと理由があるんだよ?」
真紅のドレスを纏った少女が、ちらちらと横目を向けてくる。
今さらではあるけれど、この少女こそがシンシア=ユースティスで間違いないだろう。ディランから買った容姿の情報とぴったり一致しているし、確かにまぁ、美人である。
「あの子を匿おうとして抱きしめゃうと、お洋服に匂いが染みついちゃうでしょ? だから、こうするしかなかったんだ」
「……あの子、ですか?」
「うん、あの子。名前はつけちゃだめだって、ベルが」
言って、シンシアの視線が、部屋の隅へと向けられる。
さっきまで抱きしめられていたニワトリが、ぐでぇとだらしない格好で眠っていた。まだ昼間だというのに贅沢な身分だなとか思う。……思ってから、どうでもいいかと思考を遮断する。
「ところで、なんだけど」
シンシアのあどけない顔が、アッシュを覗き込んでくる。
「きみ、メビウスおじ様が用意してくださったドレスコーディネーターなんだっけ?」
「はい。そのドレス、とってもお似合いですよ」
「それは……その、どうも……」
何か言いたげな様子。
「お嬢様、どうかなされましたか?」
「え? いや、えっと、なんというか……」
もじもじ、とシンシアは指と指を突っつきながら、
「わたしのこと口説きに来たとか、そういうのじゃないよね……?」
なんてことを、不安そうに言ってくる。
「それは……失礼ですが、どういった意味で?」
メガネの位置を直しながら、アッシュは聞き返す。
「きみ、若いでしょ? たぶん、わたしと同じか、ちょっと下くらいだし」
「……はぁ、そうですが」
「メビウスおじ様のことだから、またお見合いでも企んでるんじゃないかなぁ、って」
あぁ――なるほど。なんとなく話が見えてきた。
「ご安心ください、私は一介のドレスコーディネーターに過ぎません。シンシアお嬢様は素敵な女性だと思いますが、やましい感情はございませんよ」
「そっか……うん、ならよかった」
ほっとして、シンシアはベッドに腰掛けた。
「わたし、きみに裸みられてるわけだし。これでまたメビウスおじ様のご紹介さんなら、ちょっと断りづらくなるかなぁって」
「シンシアお嬢様には、お見合いのご経験が?」
「たくさんね。嫌になっちゃうくらいだよ。でも、メビウスおじ様のご紹介なわけだし、いつも断れなくって。わたしのこと心配してくれてるみたいだから、なおさらね」
シンシアは白い脚をぶらぶらとさせて、
「でも、結婚とかって、まだちょっと想像つかなくて。わたしだって、いろいろ経営とかお仕事とかで忙しいし」
「それは……」アッシュは笑顔を貼り直す「……ご経営を考えるのでしたら、旦那を作ればいろいろと融通が利くのでは?」
「それはまあ、そうなんだけど……どうせ結婚するなら、ちゃんと好きになった相手としたいし。だから、お見合いとかって、あんまり乗り気になれなくて」
乙女みたいなことを、乙女みたいな顔をして、シンシアは言った。
アッシュは背後に振り向いて、使い終えたドレッサーの中を整頓しながら、
「メビウス様にも、お考えがあるのでしょう。女に惚れた男というのは、とても便利なものです。なんといっても、命を懸けてまて女性を守ろうとする生き物なのですから」
思ってもいないことを、ぺらぺらと語る。
「たとえばですが――シンシアお嬢様は、大切なお宝をお持ちのはずです」
「……お宝?」
「えぇ。旦那をもてば、そのお宝を守る騎士のごとき存在となってくれますよ」
「は、はぁ……」
何を言ってるんだこのひとは、という目を向けられた。
それをアッシュは気に留めない。貼りつけの笑顔のまま、言葉を続ける。
「これは風の噂で聞いた話なのですが、シンシアお嬢様は、高価な魔導書をお持ちなのですよね?」
「え……なんで、それを」
――ヒット。
「私には、魔導書の収集癖がございまして。貴重な魔導書の噂を聞きつけると、どうしても気になってしまうのです」
「でも、あれのことは、誰にも」
「それは……失礼いたしました。どうか、ご無礼をお許しください」
アッシュは軽く頭を下げてから、
「しかし〈禁忌の魔導書〉は、我々にとって特別な魔導書です。シンシアお嬢様のお屋敷に行き渡った成り行きだけでも、どうかお教え願えないでしょうか?」
「その……ごめんね。わたし、あんまり詳しくないんだ」
誤魔化されるが、否定はしてこない。
つまり、〈禁忌の魔導書〉がこの屋敷にあると認めたようなものだ。
――さて、そろそろ頃合いだろう。
「あれ……なんか、眠い、かも……?」
シンシアの華奢な身体が、ふらりとベッドに倒れ込む。
「お疲れなのでしょう。私どもはこのまま撤収いたしますので、お休みになっては?」
「で、も……」
「お気遣いなく。それでは、どうぞ良い夢を」
あぁ――本当に、何もかもが順調だ。
シンシアの着ている真紅のドレスには、睡眠薬を染みこませてある。それも、それなりに強力なヤツをだ。一度でも眠りにつけば、そのまま翌朝まで目覚めないだろう。
すぅすぅ、と気持ちのよさそうな寝息。
見ると、シンシアの長く美しいまつげが、重く閉ざされていた。
「……これで、一段落だな」
眼鏡を外して、貼りつけの笑顔を引き剥がす。
アッシュ本来の、目つきの悪い歪な笑顔が浮かび上がる。
「…………」
念のため、ベッドに近寄って、すやすやと眠る少女の顔を覗き込んだ。
美しい少女だなと、改めて思う。
金こそ全てと考えるアッシュだが、だからといって、異性への興味がないわけではない。それこそ、同年代くらいの少女が目の前で無防備に眠っていたら、多少なりとも心は動く。それがとびきりの美少女ときたら、なおさらだ。
『――あー、センパイ、聞こえるっすか?』
と、耳に仕込んでおいた通信の魔導石から、ツバキの声が届いた。
「聞こえるぞ。んで、今ちょうど仕事が終わったところだ」
『おぉ、さすがはセンパイっす! それじゃ、あたしからもいくつか報告を』
こほん、ツバキの咳払い。
『まず、この屋敷の使用人はベルさんひとりみたいっす。そのベルさんも今はぐっすりお休み中っすから、これで自由に探索できるっすよ』
「そうか。んじゃ、とっとと合流するか」
『え……センパイ、それって!』
「あぁ。〈禁忌の魔導書〉は、間違いなくこの屋敷にある」
そう告げて、アッシュは部屋を後にした。
五千億の宝に向けて、着々と計画を進めていく。
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