一章 4話


 それから、いくつかわかったことがある。

 まず、ユースティス家が無名な貴族だということ。

 そして、その原因。これといった功績がないこと、有名な商会や傭兵を保有していないこと。単純に、貴族としての位が低いこと……などなど。


 とは言っても、やはり貴族。

 シンシア=ユースティスの屋敷の外観は、まさに豪邸そのものだった。



「――その眼鏡、すっごく似合ってるっすよ? クールでかっこいいっす!」

 と、ツバキからの褒め言葉。


 それを真に受けたわけではないが、アッシュはくいっと眼鏡の位置を正して、

「違和感がなきゃそれでいい。あんまりにも目つきが悪いからって、それで素性を疑われでもしたら面倒だからな。これなら、なんとなく誤魔化せるだろ」


 アッシュはふだん眼鏡などつけていないし、視力だって悪くない。

 いま着用しているこれは、潜入用の度なし眼鏡だ。生まれつきの目つきの悪さを、ちょっとでも誤魔化すための変装道具である。


 服装だって、それなりの正装だ。黒のスーツにズボンと、きっちり結んだネクタイ。癖のある灰色の髪もあまり印象がいいものじゃないだろうし、これまた黒のハットで隠している。全身が黒なのは、まぁ、許容してほしい。


「ねえねえ、センパイ」ツバキは上目遣いで、「あたしは? どうっすか?」

「どうって、そりゃ……」


 ツバキの服装も、もちろん正装を用意した。

 アッシュとお揃いのスーツに、膝丈のプリーツスカート。ネクタイの代わりにつけた、可愛らしい赤のリボン。大人っぽいファッションの影響か、ツバキのあどけなくも可憐に整った容姿が逆に際立っている。


「うん、似合ってるぞ。なんつーか、背伸びしたお子様って感じがする」

「わぁい! センパイに褒められたっす!」

「……お前、褒め言葉さえ含んでりゃ何でもいいんだな」


 ぽりぽりとアッシュは頬を掻いて、

「んなことより、仕込みは万全なんだろうな?」

「バッチリっす! ドレスセットはもちろん、ちょっぴりアブナイお薬もちゃんと仕掛けてきたっすよ?」


 ツバキの隣には、巨大な白い箱がある。持ち運び式のドレッサーというやつだ。


 結局、ツバキの案を採用することにしたのだ。

 簡潔に言えば、ドレスコーディネーターを装っての侵入作戦。

「よし。そんじゃ、行くとするか」


 そう言って、アッシュは正面を見据えた。


 晴れ渡った青空の下に、古き良き木造の豪邸がそびえ建っている。左右対称の造りは、やはり貴族が好む建築様式だ。これだけ大きいと掃除とか大変だろうなぁ、とか思う。


 敷地内の芝生に踏み入って、玄関へと向かって歩く。

 きゅっとネクタイを締め直してから、アッシュは来客用の呼び鈴を鳴らして、


「――突然の訪問、失礼いたします。こちら、メビウス様のご紹介で参りました者ですが、シンシア=ユースティスお嬢様はご在宅でしょうか?」


 穏やかな声音に調整して、すらすらと嘘を並べる。

 道具に頼らない変声術は、アッシュの特技のひとつだ。いつもの荒っぽい口調は封じこめて、丁寧で紳士的な喋りを演じる。


 やがて、玄関に取り付けられた通信の魔導石から声が返ってくる。

『シンシアお嬢様に代わりまして、使用人のベルが対応をさせていただきます。どうぞ、ご容赦ください』


 淡々とした、女性の声だった。

 使用人。つまりまあ、メイドだろう。貴族なのだから、不思議なことではない。

『つきましては、どのようなご用件で?』

 とんとん、アッシュは喉元を叩き、


「今週末のパーティーですが、シンシアお嬢様にはぜひ最高質のドレスをお召しになっていただきたいのです。そこで、私どもがお力になれましたら、と。……あぁ、ご安心を。料金でしたら、既にメビウス様からお預かりしていますので」

『……なるほど、かしこまりました。ご足労いただき感謝します。すぐにご案内しますので、少々お待ちください』


 どうやらうまく騙せたらしい。アッシュは内心でガッツポーズをする。

 ギギギ、ゆっくりと玄関の扉が開き、


「お待たせいたしました。改めまして、使用人のベルと申します」


 少女――ベルが、ぺこりとお辞儀をした。

 純白のメイド服を着た少女である。肩をくすぐる長さの蒼銀髪に、深みのある紫紺の瞳。外見はかなり若く、年齢はアッシュよりも少し下だろう。そのクールな顔立ちには、お人形のように美しい、という形容がピタリと当てはまる。


(……ククク、ここまでは順調だな)

 このベルと名乗ったメイドの少女に、アッシュを疑うような様子はない。

 このまま屋敷にさえ侵入してしまえば、あとはどうにでもなる。


 こちらの演技にも抜け目はない。作戦は完璧だ。


「失礼ですが、そちらの方は?」


 ベルの視線が、ツバキに向けられる。

「あたしはセンパイのお手伝いっす。まだ見習いなものでして、荷物運びを」


 ツバキの年齢で仕事をしているというのは、まあ無理な話ではないけれど、違和感を覚える者もいるだろう。だから念のため、そういう設定を用意してきた。


 そして、ツバキの演技にも抜け目はない。ベルも「そうですか」と納得している。

 アッシュはにっこりと笑顔を貼りつけて、


「よろしければ、シンシアお嬢様と直接お会いさせていだだけませんか? この私の名誉にかけまして、最高のドレスを用意させていだだきますので」


 こくり、とベルは頷き、

「かしこまりました。それでは、紹介状のご提示をお願いいたします」

「……は」


 ぐ。予想外の事態。

 なんとか動揺を抑えて、アッシュは言葉を探す。


「紹介状、ですか?」

「はい。たびたび、メビウス様からのご紹介を受けたお客様がいらっしゃいますが、必ず紹介状をお預かりしていますので」

「な、なるほど……」


 まずい。

 紹介状が必要なんて話は初耳だった。ディランからも、そんな情報は貰っていない。


(ちくしょう、あの野郎……!)

 ふと、情報屋の顔が思い浮かぶ。


 脳内のディランが「けけけ聞かれなかったんだし金も貰ってないんだそりゃ教えないっての」と笑っていた。……この作戦が終わったら、今度こそぶん殴ってやろうと思う。


 ともかくどう乗り切ろうか、とアッシュが頭を悩ませていると、

「紹介状って、これのことっすか?」


 ツバキがポケットを漁り、一枚の紙を取り出した。

 それの表紙には、赤い文字で『紹介状』と書かれている。


「ごめんなさいっす。あたしが預かってたから、センパイは知らなかったみたいで」

「なるほど、それは失礼いたしました。それではどうぞ、お上がりください」


 ベルは屋敷の中へと踵を返した。ついてこい、ということだろう。

 隣から、ツバキの視線。


「ふふーん、どうっすか? あたし、お手柄っすよね?」


 声量を抑えて、しかし興奮は抑えず、えへんとツバキは薄い胸を張った。


「……正直、驚いた。お前、知ってたのか?」

「ちょっと噂で聞いたことがあったんすよ。だから、いちおう用意してきたんす」

「そうか……あぁ、ぶっちゃけ助かった。ツバキ、よくやったぞ」

「えへへ。あたしだって、センパイの共犯者なんすから。サポートなら、あたしに任せてほしいっす。だから、もっと頼ってくれていいんすよ?」


 ツバキの頬が、わかりやすく紅潮する。

 この少女はたまに、こういう可愛らしい顔をする。ふいとアッシュは視線を逃がして、


「ともかく、今は作戦を優秀するぞ。喜ぶのは、全てが終わったあとだ」


 ひそひそと告げて、ベルの背中を追って続いた。

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