一章 3話


 メイド居酒屋の店長というのは、ディランの表の顔である。

 その本業は、〝情報屋〟という裏商売。

 そしてアッシュは、その常連客というわけだ。


「にしても、さすがは怪盗『灰仮面』サマだ。まさかあの〝正義のアルバート〟すら圧倒しちまうなんてな。……で、どんな手品を使ったわけよ?」

「〈透化のベール〉でちょちょいとな。闇市場、役に立ったぜ?」

「あー、あれなぁ……」


 ディランは表情を引きつらせて、


「あの闇市、騎士団にバレて大変だったんだぜ? おかげで裏商会は壊滅しちまったよ」

「へぇ。……つーか、お前はよく平気だったな」

「ま、なんとかな。いかにも手柄が欲しそうな騎士クンがいたからさ、悪徳貴族の情報と取引で見逃してもらったってわけだ」

「そりゃ……腐ってんな」

「あぁ、とっくに腐ってるよ。オレも、オマエも、この王国も」


 けけけ、と気味悪くディランが笑う。と、


「センパイ、どうっすか? いい感じのターゲットは見つかったっすか?」


 もぐもぐごくんとオムレツを食べ進めながら、ツバキが尋ねてきた。

 おいなに勝手に食ってんだ、というのは声にしないでおく。


「いや、ぶっちゃけイマイチだ。五十億のお宝のあとだと、どれも安く見えちまう。そこそこの金額のはあっても、この程度じゃ心が動かない」


 じろじろと表を眺める。十四億の宝石、二十億の絵画……どれも悪くはない。けれど、五十億のお宝の盗んだ直後なのだ、もっと高額の物品を狙いたい。


「オマエなぁ。そのクラスのお宝なんて、ポンポン見つかるもんじゃないんだぜ?」

 はぁ、とディランは息をついた。


 せっかくの苦労をイマイチと評されたことに不満を覚えた……のかと思ったが、どうやら違うらしい。それどころか、いま悪いことを考えていますよ、という顔をしている。


「――とっておきの情報が、ひとつある。買うか?」

 ギロリ、とアッシュは反射的に目を尖らせて、


「おい。まさか、最初っからそのつもりだったってわけじゃねぇだろうな?」

「いやいやいや。信頼が第一の仕事で、そんな真似はしないって。ただ――」


 そこで言葉を区切って、ディランは黒い封筒を取り出した。


「――こいつは、そう簡単に売れるもんじゃないんでね。悪いが、こっちだって金稼ぎでやってんだ。どれだけ出せるか、交渉と行こうじゃないか」

「内容次第に決まってんだろ。アホらしい」

「だから、そういうことにしようと思ってな」


 ――よくわからないことを、告げられる。

「とっておきの情報を、タダでくれてやる。その満足度に応じて、料金をあとから支払ってくれればいい。どうだ、悪い話じゃないだろ?」

「……は? お前、それって――」

「もしオマエが一銭も払わないってなら、こっちの儲けはナシになる。……でもまぁ、そうはならないさ。オレはこれでも、怪盗『灰仮面』を信頼してるもんでね」


 けけけ、とディランは悪そうに笑った。

 そこそこの付き合いだから、アッシュにはわかる。今の笑顔は、大規模な金儲けを企むときのそれだった。


「……ま、お前がそう言うなら文句はねぇよ。その代わり、あとからゴチャゴチャ言うのはナシだからな?」

「へいへい、わかってますよっと」

 と言って、ディランが黒い封筒を押しつけてくる。


 軽く深呼吸をしてから、アッシュはそれの中身を開けた。


「……これは」

 書いてあったのは、やはり貴族の名前と住所と、お宝の情報。

 お宝の欄には、〈禁忌の魔導書〉とある。その金額は、



 五千億、とあった。



「ごせ……っ!?」


 思わず、叫びそうになる。

 それだけの衝撃が、アッシュの思考を掻き乱していた。

 だって。五千億のお宝なんて、そんなもの――。


「言ったろ? こいつは、とっておきだって」


 ひとつ隣の椅子を引いて、ディランはそれに腰掛ける。


「ただし。実のところ、確定した情報ってわけじゃないんだ。あくまで、そういう噂があるってだけ。そういう不確かな情報じゃ、情報屋として金は取れない」

「それで、後払いってわけか」

「そーゆーこと。そいつをどう使うかは、オマエに任せるぜ」


 ふわあぁ、眠たげなディランのあくび。

 とても接客にふさわしい態度ではないが、アッシュは気にも留めなかった。五千億という文字から目を離せずにいたのだ。


「ねぇねぇセンパイ、あたしにも見せてほしいっす」

「あ……あぁ、悪い」


 いつの間にかオムレツを完食していたツバキに、封筒ごと渡す。


「なになに……シンシア=ユースティス、場所は王国北東部、お宝は〈禁忌の魔導書〉、金額は五千億……えっと、ごせんおく?」


 きょとん、とツバキは首をかしげて、


「ごせんおく、ごせんおく、五千億……ごごごっ、五千億っすか!?」


 ガタンッ! とツバキがテーブルを叩きながら立ち上がった。

 わざとらしいくらいのリアクションだが、まあ、気持ちはわかる。


「どどどっ、どうするんすか、センパイっ! 五千億なんて、ちょっとした戦争が起こるレベルのお宝っすよ!?」

「五千億、なぁ……」


 顎に手を当てて、思案する。

 ――五千億。今までとは、ステージの違う金額。

 もしも。

 そいつを、盗み出すことができたなら。


「そりゃあ――俺たちで、頂戴するしかねぇだろ?」


 ニィ、と。

 唇の端を吊り上げて、アッシュは不敵に笑う。


「ツバキ、いいな? 五千億のお宝〈禁忌の魔導書〉は、この怪盗『灰仮面』が頂戴する。ターゲットとする貴族は、シンシア=ユースティスだ」

「了解っす! うはぁ、あたし興奮してきたっすよ!」

「ククク……あぁ、これで、俺の〝野望〟にも……」


 歪んだ口元を、手で覆って塞ごうとする。

 しかし、漏れ出した笑い声までは、抑えられない。



「ククク……、――――――ハァーハッハッハッハッハッハッハッ!」



 高らかな笑い声が、響き渡った。

 怪盗『灰仮面』の次なる狙いが決まった、その瞬間である。



 ◇◇◇



「とは言ったものの、情報がねぇな」

 ひとしきり笑い終えてから、アッシュはぼそりと呟いた。


 そもそも、その〈禁忌の魔導書〉とやらの実在すら不確かなのだ。まずはその調査をする必要があるし、その手段も悩ましい。


「ちょいちょい、怪盗『灰仮面』さんや。このオレこと情報屋を忘れちゃいねぇか?」

 ぐっ、とディランは親指で自身を示して、

「ある程度の詳細なら、俺も握ってるぜ? もちろん、どれも確証のあるやつだ」


「へぇ、さすがは情報屋だな」

「もちろん金は取る」

「……ほんと、さすがだよ」


 小袋から銅貨を一枚だけ取り出し、ディランに手渡す。

「なんでもいい。そのシンシア=ユースティスってのと接触できそうな情報を寄越せ」

「今週末、ウルフィス教徒のパーティーを開くらしい。シンシア本人はそこまで熱心な信者ってわけじゃないが、メビウス元枢機卿の世話になってるんだとさ」

「パーティー、か……」


 ウルフィス教徒を騙って混ざる、という手もある。

 だが、大人数の目を欺こうとすれば、それだけリスクも高くなる。可能ならば、できるだけ少ない人数を相手にして狙いたいところだ。


「じゃあセンパイ、そのパーティーの支度を手伝うってのはどうっすか?」

 と、ツバキは頬に指を当てて、


「たとえば、ドレスコーディネーターとか。そういう仕事だって嘘ついて、日中から堂々と屋敷に忍び込むんすよ。それなら、シンシア=ユースティスとの接触と屋敷内の調査、どっちも両立できるんじゃないっすか?」

「なるほど……そうだな、悪くない手だ」


 今の案を候補として頭に入れつつ、念のため、もっと情報を探っておこうと思う。


「ディラン、他に使えそうな情報はあるか?」

「…………」

「……お前、ほんとプロだよな」


 再度、小袋から銅貨を一枚取り出して、手渡す。

「まいどあり。そんじゃ、シンシア=ユースティス本人の情報はどうだ?」

「あぁ、そいつで頼む」

「ただし、これは高くつくぜ? 追加で銀貨一枚だ」

「……へいへい」


 当たり前のことではあるが、こうもポンポンと金を払いたくはない。が、今回アッシュが狙っているのは五千億のお宝だ。ここで出し惜しみをするべきではないだろう。


 しぶしぶながらに、銀貨を一枚、ディランに渡す。


「そんじゃ、よく聞け。実はな――」


 柄にもなく、ディランは声のトーンを落とし、真面目な顔をした。

 ごくり。つられて、アッシュは固唾を飲み込む。

「シンシア=ユースティスは、美人だ」

「……あー、悪い。うまく聞き取れなかった」

「シンシア=ユースティスは、超がつくほど可愛い美少女だ」


 がたんとアッシュは立ち上がり、ぐいっと後方に腕を引いた。

 一発、ぶん殴ってやろうと思う。


「おいおいおい待て待てとりあえず落ち着け落ち着けって!」

「黙れ。まずは金を返せ。懺悔はそれから聞いてやる」

「いやいやいや! ほんと、銀貨一枚じゃ安いくらいの情報なんだって!」


 ぶんぶんとディランは手を振って弁解しながら、


「オレにもさ、オマエ以外の客がいるんだよ。中にはもちろん、変態野郎もいるわけだ。そういう連中に売るなら、金貨一枚はふんだくるぜ? なんたって、貴族令嬢の美少女だ」

「言い訳は聞いてねぇよ。死ぬか、金を返すか。さっさと選んでもらおうか」

「……ほんと、冗談の通じないやつだよ」


 けけけ、どこか寂しげな薄ら笑い。


「金こそ全てだってのは、オレも同意だぜ? でもさ、それじゃあ退屈しないか?」

 銀貨と銅貨を、一枚ずつ返却される。

「何が言いたい」

「女遊びのひとつくらい、そろそろ覚えたらどうだって話さ」

「お前なぁ……」ため息をつく「……そんなことしたって、金にならねぇだろ。時間は無限じゃねぇんだ、無駄な道は歩けない」


 くるり、とアッシュは踵を返す。

 情報は充分とは言えないが、どのみちこれから調査に入るのだ。ここに長居をしても、それこそ時間の無駄となる。


「なぁ、アッシュ」


 出口に手をかけたところで、ディランの声を背中に浴びた。

 どこか、人を気遣うかのような、聞き心地の悪い声色。


「オマエの〝野望〟とやらを果たしたらさ、飯でも食いに行かないか?」

「……そうだな、楽しみにしとく」


 さらりと、嘘をつく。

 カランコロン、退店の鈴が残響する。

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