一章 2話


 さて、怪盗の朝は遅い。


 盗みを決行した翌日は、それが顕著だったりする。目が覚め時にはすっかり夕方だった、なんてのも珍しいことじゃない。まあ、ターゲットの屋敷に侵入するのが深夜なのだから、当然といえば当然のことなのだが。


 というわけで、時刻は午後六時。

 王都にある商業地区の通りを、アッシュとツバキは並んで歩いていた。


「……あちゃー、すっかり遅刻っすね。完ぺきに寝坊っすよ」

「いつものことだろ。あいつだって、俺らが時間守るとは思ってねぇよ」

「うはぁ、清々しいくらいの開き直りっすねぇ。昨日の夜、『俺たちに休暇はねぇぞ?』とか言ってたのは何だったのやら」

「……俺にとっちゃ、昼ってのは夕方のことなんだよ」

「センパイ、それはさすがに無理があるっすよ」


 そんな会話を交わしながら、人気のない路地裏へと入っていく。

 建物と建物に挟まれた、日陰の中の一本道。美しく夕日に照らされた表通りと比べると、腐臭がすごいし、そもそも見た目からして汚らしい。建ち並んだ店なり宿なりの看板は、いかにもな怪しい雰囲気を出している。


 そのうちの一軒。目当ての居酒屋の前で、ぴたりと立ち止まる。


「あれ、入らないんすか?」

「いや……なんつーか、億劫でさ」

「でもセンパイ、すっかり常連じゃないっすか。いまさら、そんな緊張しなくても」

「だから、それが億劫なんだっての」


 とは言ったものの、まさかここで引き返すわけにもいかない。

 ため息をつきながら、アッシュは古めかしい木製のドアを押し開けた。

 カランコロン、と鈴の音が響き、



「――お帰りなさいませ、ご主人様っ!」



 なんていう、元気のいい挨拶が飛んでくる。


「………………はぁ」


 もう一度、アッシュはため息をついた。

 そう。ここは『メイド居酒屋』という店なのである。アッシュの目の前で満面の笑みを浮かべている店員の服装はメイドのそれだし、つまりはまあ、そういうことだ。メイドへの個人的な憧れを持つ客層をターゲットとした、一風変わった居酒屋。

 何度も足を運んだ店ではあるが、いまだにムズ痒い。


「それではご主人様っ。お席にご案内しますねっ!」


 くるりと背を向けたメイド姿の店員に、端っこの席へと案内される。

 店内の雰囲気は、これまた一風変わっている。年季の入った木製の内装と見せかけて、照明は最新の魔法式電灯を使っているし、しかも眩しいくらいに明るく設定されている。言ってしまえば、ボロっちい内装を無理やり派手に見せようとしているのだ。


 円形のテーブル席につくと、「ご注文はお決まりですかぁ?」と聞かれる。

 アッシュは周囲を確認した。いつも通りというか案の定というか、他に客の姿はない。

 それから、こほんと咳払いをして、


「も、萌え萌えオムレツを、ひとつで……」

「かしこまりましたっ! ではでは、メッセージはどうなされますかー?」

「メイドさん大好き結婚したい、で……」


 ぼそりと小声で注文する。顔がめっちゃくちゃ熱い。

 見ると、メイド姿の店員の顔も、盛大に紅潮していた。


「へ……? こ、困りますご主人様! そういうのは、お店のルールで……」

「だったら……えと、アレだ。店主を呼んでこい」

「ひゃい、かしこまりましたっ!」


 たたたっ、と店員は慌ててバックヤードに戻っていった。

 その背中が見えなくなってから、アッシュは(本日三度目の)ため息を漏らす。


「あははっ。センパイ、相変わらずシャイっすねぇ」

「うるせぇ。ったく、なんで俺がこんなこと……」


 この『メイド居酒屋』を訪れた目的は、美人メイドさんたちにご主人様扱いされたいとか、ましてや求婚しに来たとか、そういう理由とは断じて異なる。断じてだ。

 ここの店主に、とある用事がある……のだが。


「暗号だなんて。ほんっと、面倒なことするっすよねぇ」


 両手で頬杖をついたツバキが、ぽつりと呟く。

 そう、暗号である。萌え萌えオムレツとかいう意味のわからない料理を注文し、事前に指定されたメッセージを頼み、最終的には店主を呼ばせる。そういう手間と気恥ずかしさを乗り越えなければ、ここの店主とは会えない仕組みになっているのだ。……改めて考えてみると、本当に意味のわからない話だが。


 ともあれ、数分後。

 タキシードを着た青年が、オムレツを乗せた皿を運んでくる。


「よっ、いらっしゃい。こちら、ご注文の萌え萌えオムレツになりまーす」

「……ディラン、お前なぁ」

「おいおい、そう怖い顔すんなって。注文したのはそっちだろ?」


 青年――ディラン=アークウェイは、けけけと笑った。

 常にへらへらとしている、軽薄そうな顔立ちの青年である。栗毛色の髪に、紅色の瞳。歳は十八と、アッシュよりもひとつだけ上だ。

 そしてもちろん、この青年こそが、『メイド居酒屋』の店主である。


「暗号にだって、ちゃんと意味があるんだぜ? どうだ、気になるか?」

「聞かねぇぞ」

「メイドさんの頬染めは最強ってことさ」


 さらっと気色の悪いことを言いながら、ディランはテーブルの上にオムレツの皿を渡してきた。卵の上には、赤色のソースで『メイドさん大好き結婚したい!』と書いてある。こいつが書いたのかと思うと、やはり気色が悪い。


「……いや俺、聞かねぇって言ったよな?」

「つれないねぇ。たまにはオレのメイド大好きトークにでも付き合えってんだ」

「いいから。ほら、さっさと例のモンを寄越しやがれ」


 くいくい、とアッシュは手招きをする。


「……オマエさあ。約束から五時間も遅刻しといて、よくもまぁそんな態度とれるよな」

「俺は客だからな。お前にとっちゃ神様だろ?」

「けけけ。そいつを言われちゃ、どうにも言い返せないな」


 やれやれと呆れながら、ディランはタキシードの内側から冊子を取り出して、


「ほい。こちら、当店自慢のメニュー表になります」

「ったく、最初っからこいつを渡せってんだよ」


 アッシュは小袋を漁って、一枚の金貨を差し出した。

 それと交換で、冊子を手渡される。


「まいどあり。今回もなかなか粒揃いだぜ?」

「そうでなきゃ困るっての」


 ぺらり、と冊子のページをめくる。

 そこに羅列されているのは、貴族たちの名前や住所……などといった、一通りの情報。それに加えて、保有している高価な物品と、その金額表。

 つまり、ただの平民が知る由もない、いくつかの機密情報である。


「さてさて、次の狙いは決まったかね、怪盗『灰仮面』くん?」


 面白がるような調子で、ディランは聞いてくる。

 そう――ディランは、アッシュの正体を知っているのだ。


「そういや、今朝のセントシア王国新聞はオマエの話題で持ちきりだったぜ? 『神出鬼没の怪盗、ウィルダ伯爵の屋敷を強襲』……ってな。けけけ、どうやらオレの情報は役立ってるみたいだな。情報屋冥利に尽きるってもんだ」

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