一章 1話


 一章


 さて、怪盗『灰仮面』は、セントシア王国でそこそこ有名な泥棒だ。

貴族をターゲットとして予告状を出し、華麗な手口で盗みを行う。狙うお宝はさまざまで、宝石や美術品に宝級魔導具など、とにかく値の張る物品ばかり。その素性は一切不明。わかっていることは、体格からして男だろうという推測のみ。


 だから、怪盗『灰仮面』の正体については憶測ばかりが飛び交っていた。


 たとえば容姿。いわく、金髪なり銀髪なりの美形で、それはもう白馬と笑顔がとびきり似合う王子様のような男性なのだとか。


 たとえば目的。いわく、悪徳貴族のみをターゲットに絞り、盗んだ宝は教会への寄付金とする、いわゆる義賊なのだとか。


 もちろん、これらは根も葉もない噂であり、つまりはただの妄想である。正体不明の存在について「こうだったらいいな」という願望を押しつけているだけ。真実が出回っていないのを良いことに、ぺらぺらと嘘を語って遊んでいるのだ。


 だが、少年――アッシュは知っている。

 怪盗『灰仮面』の、その正体を。


 まずは容姿。癖のある灰色の髪に、どうしようもなく目つきの悪い黒の瞳。それこそが、あの仮面の下の容姿である。白馬も笑顔も、びっくりするほど似合わない。


 次に目的。怪盗『灰仮面』の狙いは、ズバリ金銭だ。つまりは、お宝を盗んで財を得ること。他の理由はどこにもない。教会への寄付なんてアホかと思う。


 ――いったいどうして、そんな情報を知っているのか?

 愚問である。

 だって、なぜなら。

 アッシュこそが、怪盗『灰仮面』その人なのだから。



「……クク」

 そして。

 アッシュは、手の中の〈黄金の再生器〉を眺めていた。

 おんぼろ木造の隠れ家の床に寝転がり、黄金色のお宝に視線を注ぐ。


「……ククク」

 口元から、わずかな笑みが漏れる。

 ニヤけた口角が、みるみるうちに吊り上がっていく。


「……クククク」

 価値にして五十億。それが今、この手にある。

 そう思うと、どうしても、


「ククク……、――――――ハァーハッハッハッハッハッハッハッ!」



 笑いを。

 溢れてくる感情を、どうにも堪えきれなかった。


「はっ、チョロいもんだな! こんな簡単に五十億のお宝が手に入っちまうなんて!」


 続けざまに並べたのは、いかにも調子づいた言葉だ。

 その声色は大げさに高らかで、口角は頂点にまで吊り上がっている。さながら、創作物に出てくる悪魔の笑い方。持ち前の目つきの悪さも相まって、それはもう絵に描いたような悪人ヅラとなっていた。


「やっぱり? 俺ってば、盗みの天才ってヤツなんだろうなぁ?」


 恥ずかしげもなく、すらすらと自賛を語る。

 ちらり、とアッシュは視線を動かして、


「なあツバキ、お前もそう思うだろ?」

「もちろんっす! なんてったって、センパイは天下無敵の大怪盗っすから!」


 と声を返してきたのは、少女――ツバキ。

 小柄な少女である。歳は十四で、まだ幼さの残った容姿が可愛らしい。艶めいた黒色の短髪をは、ちょこんと小さく後ろで束ねてある。大きな双眸は鮮やかな緋色。その服装は、やたらと露出と網目が多い着物という独特のものだ。


「あたしはもう、身も心もセンパイにメロメロっす!」


 ツバキの白い頬が、ほんのりと朱に染まる。

 それに気分を良くしたアッシュは、ふふんと誇らしげに鼻を鳴らした。


「ま、ツバキもよくやってくれたと思うぜ? お前のサポートのおかげで、ぐっと侵入が楽になった。礼を言っといてやるよ」

「せ、センパイが褒めてくれるなんて……うぅ、あたし、涙が……」


 目元を指で拭いながら、潤んだ声で言ってくる。


 実際、ツバキのサポートは有用なものだった。

 東国シラナギの出身だというツバキは、『ニンジャの末裔』を自称している。いわく、セントシア王国のものとは少し変わった魔法(忍法というらしい)を操る集団なのだとか。その話に違わず、ツバキも特殊な魔法を扱えるわけだ。


「ほんっと便利だよな、千里眼だっけか?」

「そうっす! 紅桜流忍法がひとつっすよ!」


 千里先まで視認できる魔法、ということらしい。

 それを使った遠隔からのサポートを、ツバキは担当してくれている。

 つまり。アッシュとツバキは、共犯者の関係なのだ。


「でもでも、やっぱり一番すごいのは、センパイの天才的な盗みの技術っすよ! 今日だって、あのアルバートを圧倒して……っ! あのひと、セントシア王国の中でもすっごく強い部類の剣士なんすよ?」

「フッ。騎士団の連中なんざ、もはやこの俺の敵じゃないってことだろ?」

「きゅん……あたし、もう何度センパイに惚れ直したことやら……」


 きゃっきゃ、とツバキが瞳を輝かせる。

 うんうん、とアッシュは頷いて応じる。

 五十億のお宝を手に入れた悦びが、ふたりの気分をこれでもかと高揚させていた。


「これでようやく、盗みの総額は五百億っすよね。ごひゃくおく……うひゃあ、言葉にしてみると、とんでもない大金っすねぇ」


 うっとりとツバキの顔が緩む。

 しかし一方で、アッシュは深刻そうに眉をひそめた。


「いや、ようやく五百億だ。俺たちの〝野望〟にゃ、まだまだ遠い」

「……そうっすよね、ごめんなさいっす」

「あー、悪い。浮かれるなってわけじゃねぇんだ。今日は俺たちの完勝だったし、騒いだって誰も文句は言わねぇよ。俺もこうして浮かれまくってるわけだしな」


 へらへらと笑って、アッシュは肩をすくめてみせた。

 それからすぐに、真剣な顔つきに切り替えて、


「だけど俺たちは、たった五百億で満足しちゃいけない。そうだろ?」

「はいっす。もちろん、あたしも心得てるっすよ」

「だって――この世界は、金こそ全てだからな」


 それが、アッシュの持論だった。

 この世界は残酷で、しかし単純だ。金を持っている人間が、持っていない人間を踏み台にして生きていく。このセントシア王国だって、貴族と呼ばれる金持ち集団に、あらゆる権限を握られている。そういうふうにして、成り立っている。


 いわば、弱肉強食の世界。

 そんな構造の下に生まれて、まさか弱者としての人生を望むような者はいないだろう。


「だから俺たちは、とにかく金を手に入れなきゃならねぇ。そうすりゃ、いつかは勝ち組の人生を買える。そして――」

「センパイの〝野望〟を、ついに叶えるんすよね」

「あぁ、その通りだ」


 ニヤリと、アッシュは口元を歪ませた。

 目つきの悪い瞳の奥には、渇望の炎を燃やしている。


「そういうわけだ、俺たちに休暇はねぇぞ?」


 がさり、アッシュは前髪を掻いて、


「さっそくだが、明日の昼、あいつの店に行く。つーわけだ、今日はちゃんと寝とけよ?」

「了解っす! じゃあじゃあセンパイ、今日こそあたしと一緒に――」

「却下。お前、アホほど寝相わるいし」

「えぇーっ! あたし、まだ最後まで言ってないのに!」


 ぷくぅ、とツバキは柔らかそうな頬を膨らませて、


「あたしだって女の子なんすから、ちょっとはドキっとして欲しいんすけど! ……まったく。センパイったら、とことんお金にしか興味ないっすよねぇ」

「フッ。まあな?」

「褒めてはないっすけどね……」


 あはははは、とツバキの苦笑い。

 かくして、夜が更けていく。

 怪盗『灰仮面』の一晩は、勝利の余韻とともに、その幕を閉じる。

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