清楚怪盗の切り札、俺。

鴨河/ファンタジア文庫

プロローグ

 プロローグ


  予告状。

  今夜、二十四時。

  宝級魔導具〈黄金の再生器〉を頂戴しに参上する。

                     ――怪盗『灰仮面』




 これは今朝、ウィルダ伯爵の屋敷に届いた手紙である。

 そして――予告通りに、怪盗『灰仮面』は現れた。



 ぐしゃり、と。

 ウィルダ伯爵は、件の予告状を握り潰した。


「くそぉ! くそくそくそぉッ! おのれ、怪盗『灰仮面』め……ッ!」


 耳元に仕込んだ通信の魔導石から聞こえてくるのは、どれも敗報ばかり。

 屋敷の警護は、もはや機能をしていなかった。


「仕方ありませんよ、伯爵」


 口を開いたのは、金庫室に配属された警部騎士長――アルバート。

 金髪碧眼、美形の男だ。この非常時でも、その甘いルックスは崩れていない。


「なにせ、相手はあの怪盗『灰仮面』ですから。わずかでも時間を稼げているだけ、善戦していると言えるでしょう」

「だが、このままではッ!」

「ご安心を。伯爵のお宝は、この僕が全力をもってお守りしますので」


 そう言うと、アルバートは礼儀正しくお辞儀をした。

 その態度や声には、一切の不安が混じっていない。それもそのはずだろう、アルバートは王国の治安維持組織『セントシア聖騎士団』の中でも一、二を争う剣の使い手なのだ。その功績の多さから、ついた異名は〝正義のアルバート〟。自他ともに認める圧倒的な実力こそが、彼の自信の源なのである。


『――書斎前の警護、突破されました! 対象、金庫室へと直進しています!』


 魔導石からの、やはり敗報。

 ウィルダ伯爵は忌々しそうに地団駄を踏んだ。


「ぐぬぬ……そもそも、屋敷の施錠はどうなっておるのだッ!」

「それこそが、怪盗『灰仮面』が脅威とされる理由です。はてさて、どんな手品を使っているのやら。その解錠技術だけは、認めざるを得ません」

「な……いったい、敵は何者なのだ……ッ!」

「伯爵。危険ですので、どうか避難を」


 そう告げて、アルバートは姿勢を低くする。

 洗練された抜剣の構えだ。長剣の刃と鞘に《加速》の魔法を付与している性質上、抜剣の一振りが最速にして最大の斬撃となる。その一撃をもって、怪盗『灰仮面』を迎え撃つという算段である。


「……うむ、わかった。アルバート殿、頼んだぞ」

「御意に」


 ウィルダ伯爵が金庫室の奥へと退避した、そのとき。

 ガチャリ、と。

 何重にも仕掛けたはずの施錠が、一瞬にして外された。


「――来たか」


 すぅ、とアルバートは呼吸を整える。

 同時、金庫室の鉄扉が、勢い任せに蹴破られた。


「……なるほど。随分と乱雑だね」


 アルバートは正面を睨む。

 その先には、ひとりの男が立っていた。

 目元を覆い隠す灰色の仮面に、闇夜に紛れる漆黒の外套。鉄で編まれた手袋を装着し、右手には黄金の魔法式リボルバーが握られている。

 言うまでもない。この男こそが、怪盗『灰仮面』だ。


「これはこれは、よく来てくれたね。僭越ながら、この僕が歓迎させてもらうよ」


 挑発を狙い、アルバートは軽口を叩く。

 と、怪盗『灰仮面』の口元が、ニヤリと不敵に歪んだ。


「そりゃあ、ご苦労さんだな。そんなもん、どうせ時間の無駄だってのに」

「……へぇ。泥棒風情が、なかなか喋るじゃないか」

「ま、そういうわけだ。悪いが――お宝は、この怪盗『灰仮面』が頂戴する!」


 瞬間。

 怪盗『灰仮面』は、地を蹴った。

 まるで吹き抜ける風のような速度で、アルバートとの距離が縮む。その加速は、人間の発揮できる域を軽々と越えていた。魔法なり魔導具なりで増強しているに違いない。

 それと相対して、アルバートは確信する。

 ――勝った、と。


「残念だったね、怪盗『灰仮面』。君じゃ、僕を越えられない」


 アルバートの最大の強みは、抜剣の速度とその正確さにある。

 だから、人間より早い程度の存在では、敵にすらならない。

 やがて怪盗『灰仮面』が抜剣の間合いに踏み入る――その、寸前。


「な……ッ!?」


 消えた。

 怪盗『灰仮面』の気配が、一瞬にして消失した。

 視界からだけではない。音も匂いも、何ひとつとして残っていない。

 つまりは、認識からの完全なる遮断。


「そうか――先日の〈透化のベール〉の一件、やはり君も絡んでいたのか……ッ」


 この不可解な現象を説明できる魔導具が、ひとつだけ存在する。

 それこそが、〈透化のベール〉だ。

 たったの五秒だけという制限つきだが、《認識阻害》の魔法を瞬時に展開できる優れ物である。その悪用が相次いだことから、王国が所持を取り締まる〝違法魔導具〟のひとつに指定されている魔導具だ。それがつい先日、大量に販売されるという事案が起きていたのだ。それはアルバートも携わった一件だったが、怪盗『灰仮面』が関わっていた証拠は見つからず、関連性を考慮しなかった。

 その詰めの甘さが、ひとつの選択肢を見落とす結果を招いた。

 そして。

 たったの五秒という時間は、この刹那の戦闘において、致命的な隙となる。


「王国流魔法剣術、奥義――――」


 だが。

 アルバートは、それ以上の動揺を見せなかった。

 ただ、目の前の侵入者を仕留めるために。

 その剣を、抜き放つ。



「――――【斬咲】」



 連斬。

 十六の斬撃が、舞い散った。

 怪盗『灰仮面』の狙いは、アルバートの背後にある〈黄金の再生器〉の他にない。気配の消失したこの五秒を利用して、金庫へと急接近を仕掛けてくるはずだ。

 ならば、斬撃を振り撒けばいい。一瞬にして全方位へと斬撃を放つ【斬咲】の前では、敵の姿が認識できるか否かなど、些細な問題に過ぎないのだから。

 そのはず、なのに。


「……手応えが、ない?」


 その自問の答えを、アルバートはすぐに理解する。

 単純である。

 怪盗『灰仮面』は、その場から一歩として動いていなかったのだ。


「ッ! まさか、僕の抜剣を誘発するためだけに――」


 気づくが、遅い。

 ぐらりと正面の空間が揺らぎ、怪盗『灰仮面』が姿を現せる。


「――だから言ったろ? どうせ時間の無駄だって」


 右手に握るリボルバーから、銃弾が一発。

 即座に剣を切り返すアルバートだったが、抜剣ほどの速度は発揮できない。

 放たれた銃弾は、防げない。


「が、は……ッ!」


 直後、アルバートの全身を、強烈な電撃が駆け巡る。

 怪盗『灰仮面』のリボルバーが放ったのは、単なる鉛玉ではなく、雷属性の魔法を圧縮して生成した銃弾だ。致死性こそないが、敵を麻痺させて動きを奪うには充分すぎる威力がある。

 がたり、アルバートの膝が崩れる。

 その視界の端には、怪盗『灰仮面』の凄絶な笑みがあった。


「ハッ。〝正義のアルバート〟ってのも、この程度かよ」

「……そうだね。確かに、僕は負けた」


 自嘲して、アルバートはわずかに笑みを作る。


「だが、君が勝ったわけじゃない」

「……おいおい。正義の騎士サマが強がりの負け惜しみかよ」

「そこの金庫はね、王国のあらゆる技術を結集させて造った特製品だ。さすがの君にも、解錠は不可能だよ。……はは、残念だったね。時間の無駄とは、まさにこのことだ」


 そこまで喋るのが、今のアルバートの限界だった。

 強烈な麻痺により、ついには意識すらも薄れていく。

 意識が途絶える寸前、アルバートは、唱えるような声を聞いた。



「――《アンロック》」



 その夜、ウィルダ伯爵の屋敷から、宝級魔導具〈黄金の再生器〉が盗まれた。

 怪盗『灰仮面』の正体は、依然として闇に包まれている――。

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