プロローグ。2023/09/26

今日から父の記録を残そうと急に思い立ってパソコンを開いた。

この記録を懐かしむ日がきっといつか来るだろう。

父の生きてきた証が今を生きる誰かの元へ届きますよう願いを込めて。


今日、長男兄と母と私で、父を病院へ迎えに行った。


本当は先週の金曜日に退院予定だったけど白血球の数値が非常に低く、炎症レベルも高かったために延期となっていた。

処置としては、白血球の数値を上げるために骨髄に働きかける注射を打ち、抗生剤を点滴しながら様子を見るとのことだったが、今日幸いギリギリのラインまで回復してくれた。


「これからは病状が悪化していくばかりで、看護もだんだんと大変になっていきます。急な血圧の低下、出血、高熱、感染症などで一気に状態が悪くなってそのまま…というケースも十分に考えられます。」


主治医の先生に言われた言葉。

最期は自宅で…という決断が正しかったのかどうか今の私たちにはわからないけど、父が「帰りたい」と涙を流したからには意地でも連れて帰るつもりだった。


そして今のタイミングを逃したら家に帰ることは出来ないという先生の迅速な判断で無事本日退院のはこびとなった。


「とても痛くなったり、耐え難い状態になった時はいつでも救急車で来てください。」


主治医の先生の気遣いや優しさが心に沁みる。


父はすでに自分の足で歩くことはおろか、起き上がることさえ出来なくなっていたので介護タクシーを頼んでストレッチャーで帰宅することになっていた。


父を乗せたストレッチャーをエレべーターに運び、ボタンを押そうと振り返ると、そこには先生、婦長さん、看護師さん、介護士さん…父に関わってくれた人たちみんなが並んで笑顔で大きく手を振ってくれていた。


深くお辞儀をした時、その温かさにこらえきれず涙が落ちた。



家に帰る道中、たった一ヶ月しか経っていないのに父にとっては外の景色が全て懐かしいようで


「あそこの川に亀がよーけおったなぁ。」

「あの店のうどんは飽きるほど食べたで。」

「この信号まで来たら帰ってきたな~って思うんじゃ。」


と、見慣れた景色に目を細めていた。


家路につくと仕事中のはずの次男兄が玄関で待っていた。

いつもは兄嫁や子ども達、私の家族も一緒だけど、今日は久しぶりに元祖家族だけ。

なんだかとっても珍しい光景。

もう二度とこの5人だけで揃う空間は無いだろう…なんて少し勝手にしんみりする私。


一ヶ月ぶりに自分のベッドに横になれた父はそれはそれはとっても嬉しそうで…。

「最高じゃ!」とオッケーを指で作って笑って見せた。

その表情がとても晴れやかで、本当に嬉しそうで、連れて帰って良かったと心から思った。



父の退院から一夜明け、子どもを保育園に送ったら実家へ。

何もできないかもしれないけど、日中はそばにいると決めた。

子どもを保育園にお迎えに行く夕方までは実家で両親と過ごす。

パソコンでお仕事をしながら介護のお手伝いができたらいいな、と。


父は入院中からずっと介護ベッドを嫌がっていた。

なんていうか…父はそういう人。


介護ベッドなんて冗談じゃねぇよ。

大丈夫じゃ!


父はそういう人。


「眠り慣れた自分のベッドでゆっくり寝たい」

父のその希望を私たちも叶えてあげたかった。

だからとりあえず一晩は自分のベッドで寝てもらうことにして、後から考えようという事になったのだが…。


無理があった。


起き上がれない、掴まるところがない。

水を飲ますにも、ご飯を口へ運ぶにも、足を持ち上げるにも、リクライニンングがなければ母一人で介護する時には非常に難しい。


父もそれを理解してくれて、介護ベッドに寝ることを決意してくれた。

父自身も不便に感じていたようで、もう抵抗はあまりなかったのが救いだった。


昨日の時点で福祉施設の方々に話をしていたので、昨日の今日ですぐに介護ベッドの手配をしてくれた。

その手際の良さに圧巻。


自分の家族がこういった状況にならなければ福祉の方々の有難さや、居てくれるだけでそこにある心強さに気が付かなかった。

往診の先生、看護婦さん、訪問看護の人、ケアマネージャーさん。

みんな温かい。


父は本当に末期癌なの?

父の部屋からはずっと笑い声が聞こえてきてる。


今日から父は最高級エアーマットの介護ベッドで快適に過ごせそうだね。


ちなみにこの「最高級」という言葉。

私の父が納得する大好きな言葉である。

なんでも「これは最高級じゃ!」と言っておけば納得する贅沢思考の持ち主である。


さて、回想を始めよう。

時は2022年5月に遡ります。


プロローグ。

父は今を生きている。



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