黒髪の少女へむけたある少年の独白

長い紐

黒髪の少女へむけたある少年の独白

 隣の席、の、そのまた隣。

 窓際の一番後ろの席のあの子は、今日も退屈そうに頬杖をつき、空を見上げている。

 長い黒髪は艶やかで、横の髪は耳にかけ、そこから見える頬は白く、赤みはない。

 生きている人の血色ではないと見まがうほど、彼女の肌は白く美しい。


 先生が教科書を読みながら、席と席の間をゆっくりと練り歩く。

 授業中、彼女が教科書を出しているところを僕は入学以来見たことがないし、体育の授業はいつも隅っこで座っている。

 それでも先生は彼女を注意することはなく、ただ休み時間は席を立ち、授業の時間になれば席に座る。

 彼女はそれだけを毎日学校で繰り返していた。


 彼女の声を聴いたことがあるクラスメイトはいないだろう。

 名前を知っているクラスメイトもほとんどいないだろう。


 しかし僕だけは知っている。

 彼女のほんの一端を。





 入学式の日、慣れない道を歩きながら新生活の不安に僕は顔を俯けていた。すると突然はじかれたようにどんっと何かにぶつかった。

 尻もちをついた僕が見上げると、それは黒髪の少女であった。


「ご、ごめんなさい!」

「・・・・・・・」


 ぶつかった僕をねめつけるように彼女は振り向くと、

 大きな瞳をさらに大きく見開いて、震える唇を動かした。


「●●●、●●」


 いわば撃ち抜かれたのだ。

 僕の心はその言葉に。





 偶然同じクラスになれたのは僥倖という他なかった。

 声をかけるのもはばかれるような雰囲気を常に出す彼女を、

 僕はこっそりと目をやることしかできない。


「えー最後に。今日も負傷者が出た。つまみ喰いするのは結構だが、建物・備品は壊さないように」


 先生の授業終わりの注意喚起は、もはやお決まりの文句になっていた。



 それから幾年月。

 彼女が退学すると聞いたのは、なんら変わらないそんな日々を過ごしていたある昼下がりのことだった。


「今日が最終日だ」


 先生の言葉がずっと僕の頭の中でぐるぐる回る。

 もう彼女はこの教室にはいない。

 たまらず僕は授業を飛び出した。


 学校の屋上だ。

 走る。走る。

 きっとそこだ。そこにいる。

 飛来する見慣れない船が見えたもの。

 走る。走る。


 足が数本もつれそうになっても、もう僕は止まらない。


 屋上に出ると、大きな大きな楕円の宇宙船が、いまにも飛び立ちそうにエネルギーを振りまいていた。その船に向けて歩む彼女が見えた。

 船のそばにはヒトが3人、見える。全員黒塗りの、体に張り付くようなスーツをきていた。

 たまらず僕は声を上げた。


「ま、待って!!!」


 歩みを止めた彼女が僕の方に振り向く。

 彼女の大きな瞳が、僕を映している。


 そろそろと彼女に近づこうとしたら、彼女は手のひらを僕に向けた。

 止まれ、ということだろうか。


「急にごめん・・・僕、どうしても君に伝えたいことがあって・・・」

「・・・・・・」

「僕・・・その・・・ずっと、ずっと君のこと・・・・!」


 言え、言うんだ。

 伝えるんだ。

 この気持ちを。

 かなわなくたって。


「ずっと・・・・ずっと!」


 生臭い風が吹き抜ける。


「おいしそうだと思ってたんだ!!!」


 だめだ、我慢できない。

 のびる、のびちゃう。


「ヒトがこの星に来るのは久しぶりで・・・僕初めて見たんだ!君みたいなきれいで、おいしそうな子!」


 僕の足の周りにぶら下がる触手数本が、彼女に向かってゆっくり伸びていく。


「でも、これがいったい何なのかわからないけど!食べたいって以外に湧く気持ちがあって・・・ずっと君に手を出すことができなかった!」


 この数百年、彼女を捕食しようとしたために出た死傷者は8万を超えていた。


「でももう!我慢できない!だって君は行ってしまうから!」


 あの窓際の席から、君はいなくなってしまう。

 そんなの、そんなの。

 我慢ならない。


「お願い、食べさせて・・・僕はひとりで子供を産むこともできるから、混血種の心配はしなくていい・・・だからどうか、僕に食べられて、僕とひとつになって・・・50年は君を咀嚼し続けることを誓うから!」


 最上の愛の告白のつもりだった。

 あと少しで触手が彼女の頬に触れる、というところで、バチッ!と大きな音がした。

 何か見えない膜が彼女を覆っているかのように、僕が伸ばした触手数本は、その膜にはじかれて、千切れて霧散した。

 激痛が走るも、僕は口を開いた彼女に釘付けになり、霧散した肉体のことなど瞬時に忘れた。


「・・・・・貴様には一度言ったはずだな」


 ああ、お願いだ。

 もう一度聞かせて。


「よるな、化物」


 下半身に電流が走る。

 僕は腰を抜かした。

 あの日、初めて彼女と出会った日と同じ目だ。


「そうだな、本来貴様らと口をきくことは身を縦に裂かれるほどの苦痛を伴う私だが、刑執行中の三百年の間、ただの貴様の行動は軍を抜いて奇妙だった。ゆえに特別に口をきいてやる。」


 意地の悪い笑みで彼女は言った。


「せいせいするよ。この化物だらけの土地で、貴様が最も気味が悪く、生理的に嫌悪し、そして最も不快だった。」


 ああ、これはきっと

 遠い昔に忘れ去られた

 僕らの遺伝子からは久しく消え去っていた【感情】


 彼女はそれを、僕に与えてくれた。


 銀色の丸い船は、キラキラとエネルギーの残滓をまき散らしながら、

 初恋の人をのせて、遥か彼方へ飛んで行った。








「罪なお方で」


 黒塗りのスーツをきた短髪の女が少女にからかい気味に声をかける。

 にらみつける少女は女から同じ黒いスーツを手に取った。


「地上はいかがでしたか」

「よくもそのようなことを。人を喰う怪物どもの巣窟で、貴様はゆるりと過ごすことができるとでも?」


 地上で着ていた服を脱ぎ、スーツに着替える。


ひい様ならば、容易くございましょう」

「口を慎め。毎日毎日、もの欲しそうに涎を垂らされ、いつ喰われるかもわからん日々。センターから持ち出したシールドが保ったから良かったものの・・・それが三百年続いてみろ。気が狂うてもおかしくない。・・・まぁ私だけかの、正気のまま彼の地へ戻れるのは。」


 ふっ、とほくそ笑むと、

 黒髪の少女は意地の悪い笑みを浮かべながら従者に聞いた。


「親父殿はいかがしてる。さぞ悔しい顔をしておいでではないか」

「ご推察の通りでございます。第二夫人から第十三夫人まで殺され、治世担当都市を3つ地図から消された恨み、この刑罰で晴らしてくれようというのに、姫様が頑健正気でお戻りと知った際には、玻璃の水差しが割れんばかりの金切り声をあげておいででした。・・・せめて腕や足の一本や二本喰われてくればいいものを、と」


 おかしそうに話す従者。

 黒髪の少女は口を開けて豪快に笑う。


「たまらぬなぁ、たまらぬよ。親父殿は本当に・・・これだからやめられぬ。」


 ひとしきり腹を震わせて笑った後、はぁーと息をつかせると、少女は眉をひそめて輸送船の窓の外を見やった。


「しかし、地球はもうゆかぬな。ここはもはや人が住めるような星ではない。

 化け物が増殖し、蔓延り、空気は生臭く、一息吸えば臓腑をひりつかせおる。

 しかもやつらは単一生殖が可能な生物として進化した種族がいる。滅ぶことはなかろうな。まぁ、そのような化け物が、古代のヒトに近しい規律と秩序のもとに生活しているのは、素が素だからだろうが・・・片腹痛い」





 その昔、地球に落ちた巨大な隕石は、地球という星の約25%をえぐりとった。

 衝撃は海を揺らし、海原は大陸という大陸を飲み込んだ。

 人類はおよそ70万人まで減少したが、想像だにしない要因で急激に増殖する。


 その隕石には、ウイルスが含まれていた。

 空気中に散布され、自由に広がりを見せたウイルスは、水に溶け、植物に付着し、かろうじて残った大地を溶かした。

 人類も例外ではなく感染した。

 残った人類すべてが感染し死に絶えるかと思ったが、それのうちおよそ5%の人類は適合する進化を見せる。


 成れの果てたちは、3000年経った現在に至るまで、その星で息づいている。



 輸送船の窓の外、黒く淀んだ大地の上で、崩壊した建造物はただ崩れ砂と化すだけでなく、どろどろと溶ける様をも見せていた。

 一度は飲み込まれた大地は、海と呼ばれたものが干上がることでよみがえった。

 隕石衝突の衝撃は、地球という星を太陽寄りにした。

 現在、地球上の海と呼ばれたものは、宇宙から見てもその姿を視認できず、地中をわずかに流れるのみだという。


 輸送船が飛ぶ空は赤黒く、大気はその先が見通せないほど灰色に霞んでいる。

 地球上で大きな力を持った権力者を含む一部の人類は、隕石落下の数年前に宇宙へ出た。

 以来、地球は彼らの罪人を送る星となっていた。




「流刑地としては最上最適だろうよ。」


 皮肉気味に言いながら鼻で笑った黒髪の少女は、長い船旅に備えて体を横にし、眠りにつく態勢に入る。

 従者はさっと毛布を取り出し、少女の体に優しくかけた。


「祖先が暮らした、いまや遠けき遥か昔の故郷の地。・・・・二度と降り立ちたくはないな。多少なり、親父殿をからかうのは控えてやるか」


 少女は安らかに眠りにつく。


 燦然と銀色に輝く星、ヒトが移ろいだ新たな故郷ふるさとへ向かう、ゆりかごのような箱舟の中で。




 おわり

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