2

広場に着くと、さっきまでの騒がしさは消えて、人もまばらになっている。人々は浜辺に移動していた。お店の人でさえも、様子を見に行ったきり戻ってこない。広場はがらんとしていた。

 棚に置き去りにされた、くだもの。

 鳴かないひよこ。

 テントのの中で積み上げられた、色鮮やかな布。

 砂と貝殻。

 ショーケースに並んだ薬。……スピカは薬屋に目を止めた。何か、忘れている。

 そう、スピカには薬屋の知り合いがいた。長いこと会っていないし、離れた町に住んでいる。

 それに、スピカと同じ月から来た人間だ。

 だから、魚がこの星の人々にどう影響するのかを知っているかもしれないし、魚の効用を消す薬を作ってくれるかもしれない。スピカは駅に向かった。

 歩きながら、スピカはマキを探した。浜辺の人だかり、遠くに延びる、細い道、明かりの漏れた、店の窓。桃色のウエーブのかかった長い髪は、遠くからでもすぐ分かる。それなのに、マキはどこにもいなかった。

 駅は、広場からずいぶん離れたところにある。線路も片側にしか延びていない。今から出発するのか、汽車は明かりを灯して待っている。スピカは切符を買い、汽車に乗った。

 中に入ると、小さな家のようだと、スピカは思った。

 本を読んでいる人、何もせず床を見つめている人。まわりを見渡しても、ほとんど乗客は見当たらない。窓に映った自分。肩まである茶色い髪。幽霊みたいに白い顔。家の明かり。外灯。星。

 スピカは赤い座席に座った。扉はまだ開いていて、たまに羽虫が入ってくる。それは蛍光灯のまわりを飛び回ったり、窓に張り付いたりする。飛んでいる虫を見ていると、だんだんそれがチェーンの飾りのように見えてくる。不規則に飛び回る軌跡は蛍光灯からつり下がり、形を変えていく。二匹が交差して飛び、落下し、くるくると円を描く。スピカは頭がぼーっとしてきた。

 やがて扉は閉められ、汽車はゆっくりと動き出す。静かに、深い海を泳いでいるように走る。

 振り返って窓の外を見ると、きらきら光る海が見えた。たまに外灯の明かりを通り過ぎて、視界が光で滲んでくる。ガタゴトと汽車は揺れる。

 遠くに、明かりが見える。町の明かりだ。それは宝石をちりばめたようで、風に揺られてまたたいている。この汽車は、その明りに向かって進んでいく。

 あの町は、金色に光る海に浮かぶ宝島のようだ。

 やがて、汽車はゆっくりと止まる。乗客は、思い出したように顔を上げて、荷物をまとめ始める。暗い駅は些細な光だけを掲げて何かをのみ込もうとしている。スピカが降りると、汽車は早く別の場所へ行きたいとでもいうように、ここから逃げていった。

 スピカは町のほうに向かい、蛾のように彷徨った。何年か前にこの町に来たが、ずっと前のことなので、この町にある道も、人々も、忘れてしまっていた。それでも確かな足取りの記憶だけを頼りにする。

 町を離れて、丘を登る。大きな木の間を、狭い道がある。虫の声と、微かな波の音だけが聞こえた。

 しばらく歩くと、一軒の家が見えてきた。大きくも小さくもなく、古い民家のようで、ただそこにひっそりと佇んでいる。扉の横につり下がっている照明が、真っ白な壁を照らしている。

 「こんばんは」

 スピカが中に入ると、そこは奇妙な匂いがした。刺激的で、美術室の絵の具の香りにも近い。

 中は狭くて、両方の壁から大きな棚が見下ろしていた。そこには透き通った色の瓶や、埃をかぶった植物がところせましと並べられていた。決して乱雑ではなく、規則的で、美しくさえあった。

 「何か用?」

 奥にあるカウンターの向こうに、一人の女性が立っている。それはスピカが何年か前に訪れた時と変わらない風景だった。その女性は、ベラと言う名前だった。ベラはイライラしたような声でスピカに問いかける。

 スピカは棚に手が当たってしまわないように注意しながらカウンターの方に歩いた。

 「月の魚の毒を消す薬を作ってほしいんだけど」

 スピカがそう言うと、ベラの不機嫌な顔はいっそう不機嫌になった。

 「またですか。もううんざりだわ。今日ここに来る人はみんな口を揃えてそう言うのよ」

 「悪かったね」

 ベラは文句を言いながら奥の部屋に引っ込んでいったが、しばらくすると戻ってきた。何か、小さな袋を持っている。

 「あなたにあげるわ」

 そう言って、袋をスピカの方に放り投げた。それは軽くて、手のひらに収まってしまうほど小さかった。粉が入っているようだ。

 「私に毒を消す薬なんて作れないけどね、光を消す薬なら作ってやったわ。それを適当に海へ蒔いときなさい」

 「ありがとう」

 壁にかかっている時計を見ると、もう深夜になっていた。

 もう少しすれば朝になる。そして、光が消えていつも通りの海に戻ってしまう。

 スピカは袋を持って外に出た。急ぐ必要は無い。空気がひんやりしていた。歩くとやわらかい風が通り過ぎる。

 浜辺まで行くと、スピカは海に薬を蒔いた。それは、金色の光に照らされながらさらさらと落ちていく。波の音が、深い闇に堕ちていく。遠い町がこちらを見つめている。何をやっているんだろうと訝しんでいる。

 「何をしているの?」

 声のほうを見ると、マキが立っていた。

 「今までどこにいたの?」

 「どこって、私も薬をもらいに来たのよ。でも、もうもらってきたみたいね。よかった」

 それなら、何で一言いってくれなかったんだとスピカは思ったが、口には出さなかった。

 「毒を消すことは出来ないって言われた。だから、もしあの魚が人間にとって害だったら……」

 「それは、これから分かることでしょう?もし毒だったら、明日の朝には波打ち際にたくさんの死体が上がってるわよ。でも、そうじゃなかったら、人間は永遠に生き続けることになるわ」

 いつも通りの海に戻り、二人はしばらく目の前を見つめていた。空にはたくさんの星がある。ずっと見ていると、落ちてきそうな気がしてくる。スピカの真上には、ひときわ大きな、白い星がある。手を伸ばすと掴めそうなぐらい鋭く光っている。その光はだんだん大きくなっていくようにも感じる。

 いや、感じるだけじゃない。その光は本当に強さを増し、二人を飲み込むぐらいの大きな光になった。スピカは驚いて目をつむる。

 やがてその星は、大きな音をたてながら砂浜に墜落した。

 「さあ、月に行くわよ」

 砂が宙を舞い、目に入ると少し涙が出た。ぼんやりとした視界で、マキが手招きしている。

 「何で?」

 「何でって、今日は一緒に月に行こうって言ったじゃない。あんな事があって今まで忘れてたようだけど」

 「ああ、そうだった。忘れてた」

 私達が星につかまると、それはものすごい速さで空に流れた。夜の闇に光の粉をまきながら、空を滑っていく。まるで、海の中にいるようだ。

 夜風は、冷たい。

 髪の間をぬける風が心地いい。

 空は、真っ暗闇から紫に変わろうとしている。どこか遠くから微かな光が落ちてくる。人々はこれを、朝と呼ぶ。

 「綺麗な空ね。いつ見ても」

 やがて、宇宙に出ると、辺りはまた真っ黒になった。あらゆる色の小さな星の光が散らばっている。海の中から、さらに深い場所へ潜っていくようだ。スピカはしっかりと流れ星につかまる。

 「もう少しで着くわ、ほら、金色の光が見える」

 マキが指さした先には、確かにひときわ明るい光があった。月だ。

 流れ星はその光の方へ近づいていく。それはとても早くて振り落とされそうだった。

 しかし、そんな心配をする暇もなく、大きな音と衝撃が二人を包む。そして、スピカの意識は遠のいていった。


―――――――――――――――――


3に続きますが、ここまでの話は高校生の時に書いたものなので、ここから先はほぼストックが無いです。もう昔の自分には頼らずに自力で走ります。

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