銀河漁港の夜

1

  (ある日の会話)


 「月から流れ星はどんな風に見えたの?」

 あなたはスピカに聞いた。

 時計の針が、音を立てている。二人に何かを訴えるように、それは鳴り続けている。

 「ここよりも、もっとたくさん流れてた。それに、月ではずっと夜だった」

 小さな窓から、夕日が見える。台所にある、とても小さな窓だ。はちみつ色の光が、急かすように、責めるみたいに、ここにゆっくりと手を伸ばす。

 「近くに朝を見なくていい星があって、何でここに生まれたんだろう、私は」


………


 今日は流星群の日だ。

 スピカは夜のためにお菓子を作ったり、それを袋に詰めたりした。このあたりでは、流星群の日に、広場にたくさんのお店が出て、お祭りのようになる。

 それから、スピカは湖まで歩いた。涼しい風。月のない夜だった。道は暗く、草は風を飲んで、木は空に息を殺していた。

 湖は、止まったままの水面で星を映している。小さなビーズみたいな光と、深い夜の空が、水の中にはある。スピカには、湖に底がないように思えた。

 空を見ていると、いくつか流れ星が見えた。細い線や、白い尾を引いて流れて、遠くの木の中に消えてしまう。

 その時、ひときわ大きな光が空を流れた。

 それは、遠くへ消えることなく、湖に向かって飛んでくる。スピカはよけようと思ったが、流れ星は一瞬で落ちてきてしまった。流れ星は、水に半分だけ浸かって、止まった。

 「ごめんなさいね」

 マキはそう言ってスピカの方を見た。マキはこの流れ星に乗って、月からやってきたのだ。スピカはいつも、この湖を目印に来るように言っている。

 「しぶきが飛んだ?」

 スピカは、髪に付いた雫を、指で拭う。

 「飛んだ」

 マキはもうスピカの方を見ておらず、恨めしそうに流れ星を見つめている。

 「この子ったら出来損ないだわ、湖が見えても全然止まってくれなかったんだもの」

 空を、たくさんの星が流れた。

 どこか遠いところから逃げていくみたいに。

 それは、湖にも映っている。

 そうだ。こんなことしてる場合じゃなかった。マキはそう言って、またスピカの方を見た。そして、星を岸まで移動させる。

 「今から星に乗って、海を見に行きましょう」

 スピカは、なぜマキがそんなことを言うのか、すぐには理解できなかった。いつもなら、流れ星は空に放り投げて家まで歩くというのに。

 「何で海に?」

 「いいから、早く乗って」


 二人は流れ星に乗って、空を漂った。

 夜の風が、気持ちいい。高いところまで来ると、建物の灯りが小さな粒になって、星空を映す鏡のようになる。見える景色がそんな風に変わっていく瞬間が、スピカは好きだ。

 マキは黒い着物をカーディガンのように羽織っていて、それに風が嚙みついてバタバタ音を立てた。裾にある赤い花のような模様が、炎のように揺れている。そして、その下に真っ赤なワンピースを着ている。和風なのか洋風なのかよく分からない格好だ。

 「海を見て」

 そう言われて、スピカは視線を落とす。海は、小さな町を抱いているように、遠くまで広がっている。永遠に続いているみたいだと、スピカはいつも思う。波の音が聞こえた。

 その海は、今、きらきらと輝いている。水という水が、光の粒を孕んでいた。よく見ると、湖にも金色の光が瞬いていた。目が痛い。黒い空と、地上が、はっきりと区別される。スピカは理解する。これは異常だ。

 こんな景色を、スピカは見たことがある。これは、まるで――

 「砂浜に降りよう」と、マキが言った。

 海につくと、二人は浜辺を歩いた。流れ星は浜辺に着陸し、砂の上にくさりと刺さっている。

 船着き場までつくと、二人は足を止めた。それは海の上に延びる細い道で、慎重に足を踏み出さないと落ちてしまいそうだった。目の前には、金色に輝く海と、黒い空が広がっている。砂浜を振り返ると、ぼんやりとした光が所々にともっていた。何かの店なのか、外灯なのか見分けがつかないぐらい、砂浜からは遠い。

 マキはしゃがみこんで水の中を見つめた。桃色の髪が風に揺れている。波の音に、耳を澄ます。広場にはたくさんの人がいるはずなのに、ここには何も聞こえてこない。

 金色の光は、よく見ると魚のような形をしていた。

 「これ、月にいた魚だ」

 「そうね

  この星に来る時、海がきらきら光っていて、なんだろうって思ったわ」

 二人はしばらく海を見つめていたが、少し経つと浜辺に向かって歩き始めた。板の足場から落ちないように、まっすぐに歩く。浜辺に下りると、砂を踏んで、光の粒を通り過ぎる。屋台の屋根を通り過ぎる。そして、潮の香りのする風を通り過ぎる。屋台のテントは、明るい。

 「あれは何?」

 マキが白いテントを指さす。吊り下げられたランプの上を、黒い羽虫が飛んでいる。それは砂の上に奇妙な影の模様を作った。

 入口からは、はちみつ色の光が溢れている。テントの中で色とりどりのキャンディーが煌めいていた。透明な包み紙が、虹色に染まっている。

 「キャンディーの店」

 「キャンディー?それはどんなものだったかしら。忘れてしまったわ」

 二人はテントの中を覗いてみたが、そこには誰もいなかった。

 それから、二人は広場に向かって歩いた。広場は崖のゆるい坂道を上ったところにあり、家やお店もそのあたりにある。

 広場と言っても、小さいもので、円形に敷かれた石畳と、その周りにぽつんぽつんとお店があるだけだ。それでも、そこからは広い海と空を見ることができる。今日はお祭りなので、星の形をしたランプがあちこちに飾られていた。小さいテントのお店もあって、人もいつもよりたくさんいる。スピカは少し窮屈に感じた。

 広場にいる、買い物に来た人や、散歩に来た人は、突然変わり果てた海に驚き、いくつもの声があたりを行きかっていた。スピカは人々の間を縫って、ゆらゆらと歩く。

 やがて、広場を離れて小道に出た。足元で、土が心地よい音を立て、黒い森で虫が鳴いている。声は遠ざかっていた。

 いつの間にか、マキとはぐれてしまっていた。しかし、スピカは後で会おうと思って、探しに行くことはしなかった。

 それよりも、早く会わなければならない人がいた。

 耳元を風が通り過ぎていくと、耳飾りが揺れて音を立てた。そして、短く息をはく。

 見上げると、海沿いの道に学校が見えた。窓の明かりが、いろんな階でぽつぽつと灯っていて、それなのに学校はしんとしていた。

 スピカが学校に着いた時、窓はほとんど暗くなっていた。玄関のそばにある外灯がまぶしかった。

 外灯の下には、少女が一人立っている。玄関の扉からあふれそうな真っ黒な闇を背にして、海を見つめていた。

 

     ――――――


 少し前、美術室では絵の具の匂いがしていて、それなのに、誰も絵を描いてはいなかった。

 空は紫色に染まり始め、小さな雲は影を落としている。窓辺に集まった人々――美術部の部員――の間を、動揺と、好奇心と、言葉では言い表せないような感情が行きかっていた。人々は海を見つめて、息を吞んだ。

 先生までもが、眼鏡のふちを薄く金色に照らして、外を見ていた。言葉を発するものは誰もいない。言葉にすると、目の前の景色が壊れてしまいそうで、怖かった。


     ――――――


 「何を見ているの?」

 スピカが声をかけると、あなたは振り向いて、海の方を指さした。

 「海を見てた

  金色に光ってるの、何でか分かる?」

 学校の窓は黒くて、ずっと見ていると吸い込まれてしまいそうだった。潮風にさらされて、色褪せた壁。

 浜辺には、たくさんの人が集まっている。

 「あれは、月によくいる魚。でも、何でここにいるのか分からない」

 「魚が光ってるの?」

 あなたの黒い制服の小さなボタンは、外灯の下でゆっくりと目を伏せた。

 「そうだよ。私たちはよく食べてたけど、あれを食べると不老不死になる。……でも、この星の人たちには、毒なのかもしれない

  あなたも早く帰りなさい」

 「わかった、もう少ししてからね」

 あなたは玄関の前にある、短い段差に座り込んだ。スピカは頷いて、広場に向かって歩き出す。

 あなたには、この夜がどんな風に見えているのだろう。

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