034 ジョン

 エミューはもともと開けた場所を好む生き物だ。

 したがって、草原にたくさんいても驚きはしなかった。

 だが、数が多すぎるのは困りものだ。


「海斗! エミューがこっちに近づいてくるよ!」


 体を強張らせる千夏。

 弓を構えていて、今すぐにでも攻撃を始めそうだ。


「武器を下ろせ。迂闊うかつに仕掛けると袋叩きにされる恐れがある」


「わ、分かった……!」


 幸いにも迫ってきているのは1羽だけだ。

 地球の個体よりも一回り大きくて、敵意は感じられない。

 特徴的な2枚で1対の羽根はここでも健在だ。


「グルルン!」


 エミューは俺たちの前で止まって鳴いた。


「え、なに今の鳴き声!?」


「オスだな」


「鳴き声で分かるの!?」


「メスは『ポコポコン』と鳴く」


「見た目と鳴き声のギャップ凄ッ!」


 俺はエミューの体を撫でた。

 嫌がる素振りは見せず気持ちよさそうにしている。

 人懐こい生き物として知られているが、それはここでも同じようだ。

 早くもこちらに馴染んでいた。


「千夏も触ってみろよ」


「うん……!」


 千夏は荷物を置き、ビクビクしながら手を伸ばす。

 しかし、ひとたび撫でると緊張が消えた。


「可愛いー!」


「グルルン! グルルン!」


 エミューも嬉しそうだ。

 そんなことを思っていると――。


「グルルーン!」


 突如、エミューが踊り始めた。

 飛べない翼をバタバタさせてその場で回転している。


「何をしているんだ……?」


 俺には理解できない行動だった。

 エミューのダンスなど聞いたことがない。


 一方、千夏は。


「お前! もしかして私と森で会った子なのか!?」


「グルルン!」


 エミューが千夏に顔をスリスリしている。


「やっぱりあの時のエミューだったかぁ!」


 エミューの謎ダンスは千夏を真似たものだったようだ。

 そういえば、初めて会った時にフラダンスを披露したと言っていた。


「懐いているのは幸いだな。草原で戦うと他からの報復が怖いし、こういう場合は森に連れ込んで仕留めるのが定番だ」


 俺は地面に置いてある籠から石包丁を取り出した。

 柄の付いた物だ。


「いやいや、何言っているのさ!?」と、声を荒らげる千夏。


「ん?」


「この子は殺さないよ!」


「え」


「というかエミューは殺さない!」


「何を言っている……?」


 俺たちは狩りをするためここに来たはず。

 千夏の翻意に、俺は首を傾げた。


「だってこんなにも好意を寄せてくれているんだよ? それを殺すなんてとんでもない! だまし討ちみたいで嫌じゃんか!」


「だまし打ちみたいというかだまし討ちだぞ。エミューの肉を食うって興奮していたじゃないか」


「なし! あれはなし! もう決めたから!」


 情が湧いてしまったようだ。

 往々にしてあることなので仕方ない。


「ま、そういうことなら」


 無理に狩らなくてもメシには困らない。

 俺は石包丁を籠に戻した。


「違うところに行こう」


「そうだね!」


 千夏が「またね」とエミューの背中を優しく叩く。

 すると、エミューはその場で伏せ始めた。


「乗っていいの?」と千夏。


「グルルン!」


 エミューがコクリと頷いた。

 驚いたことに意思の疎通ができている。


「じゃあ……!」


 千夏がエミューに跨がる。

 エミューは体を起こし、ゆっくりと歩き始めた。


「うおおおお! すご! 見て海斗! 私、エミューに乗ってる!」


「もう十年来の仲って感じだな」


 しばらくの間、千夏はエミューの騎乗を楽しんでいた。

 他の個体は遠巻きに眺めているだけで近づいてこない。


(この様子だと、そろそろ……)


 そう思った時だ。

 千夏はエミューに乗ったまま言った。


「決めた! この子を私のペットにする!」


 案の定、千夏はエミューを連れ帰ると言い出した。


「名前はジョンだから!」


 既に名前まで決めている。


「ダメとは言わせないよ!」


「グルルン!」


 どうやらジョンもその気のようだ。


「ダメとは言わないが、仲間に加えるなら働いてもらうぞ」


「もちろん!」


 千夏はジョンから下りると、背負い籠をジョンに装着した。


「ほら! ジョンは荷物持ちができる!」


「グルルーン!」


 誇らしげに鳴くジョン。


「人を運べて荷物持ちもできる、か」


 馬の代わりになりそうだ。


「よし、ジョンを仲間に迎えよう」


 俺は「よろしくな」とジョンの腹を撫でる。


「やったね! ジョン!」


「グルルン!」


 いつか動物を手懐けたいと思っていた。

 しかし、まさかエミューになるとはな。

 不思議な気持ちを抱きながら、俺は洞窟に戻った。


 ◇


 新加入のジョンは皆に歓迎された。


「千夏先輩すごいですー!」


 七瀬などは特に興奮していて、ジョンにベッタリだ。


 ほどなくして夕食の時間がやってきた。


「うおー! ジョンの食べっぷりすごい! さすがは私のジョン!」


「グルルーン!」


 くちびるを紫色に染めて喜ぶジョン。

 彼が土器に顔面を突っ込んで食べているのはハスカップだ。

 千夏が自ら調達したものである。


 一方、俺たちはアナグマ肉のしゃぶしゃぶを堪能していた。

 土器の中でグツグツと沸騰している熱湯に、薄くスライスした肉を浸す。

 気持ち多めに5往復ほどさせてからペロリ。


「やっぱりアナグマの肉はうめぇ!」


 しゃぶしゃぶとは考えたものだ。

 一見すると地面に置いてある土器だが、実は下に焚き火をこしらえてある。

 穴の口径を土器の底面よりも小さくすることで落ちなくしていた。

 アースオーブンの応用だ。


「串焼き以外もいいでしょ?」と、明日花がニヤリ。


 皆が同意した。


「ところで海斗君、コンロって作れる?」


「コンロ?」


「今みたいに穴を掘ってそこに焚き火を作るのって大変なんだよね」


「薪を補充するのにも苦労するからな」


「そうそう! だからコンロが欲しい!」


「さすがにコンロは無理っしょ!」


 千夏は土鍋の中からエリンギを摘まみ上げた。

 縦に切っているもので、たっぷり湯がかれてふやけている。

 迷わず口に含むと、ジョンに向かってハフハフしていた。

 それを見たジョンも何故かハフハフしている。


「コンロなら問題なく作れるよ」


「なんだとぉ!」


 仰天する千夏。


「土器を置ける程のサイズだと〈かまど〉になるけどな」


「かまど!?」


 明日花が目をギョッとさせている。


「かまどが何かは分かるよな?」


「さすがに分かるよー!」


「作り方は土器と同じだ。粘土で形を作ったら焼成する」


「それでいいの!?」


「できれば粘土よりもモルタルのほうがいいんだけどな」


「モルタルも作れるの?」と吉乃。


「今の環境じゃ厳しいね。生石灰を精製する術がないから」


 生石灰を精製するには石灰石が必要だ。

 もしくは、似た成分の物……例えば貝殻でもいい。

 今はそのどちらもなかった。


「まぁモルタルがなくても問題ないだろう。土器を使っているから分かると思うが、粘土でも耐久度は申し分ない。食べ終わったら粘土を集めてかまどを作ろう」


 明日花が「やったー!」と両手を上げた。


 ◇


 食後は皆でかまどを作り、それから温泉に入った。

 千夏のジョンに対する愛情は相当で、なんと温泉まで同行させた。

 それだけではない。


「寝るよー、おいでジョン!」


「グルルーン!」


 なんと就寝時までジョンと一緒だった。

 伏せるジョンに抱きついて嬉しそうだ。

 その数秒後にはスヤスヤと寝息を立てていた。


 俺は布団に入らず、壁にもたれて座っていた。

 片膝を立ててひんやりした空気を味わう。

 インナーシャツとパンツしか着用していないので肌寒い。

 制服やスラックスは洗濯し終えて干している最中だった。


「眠れないの?」


 吉乃がやってきた。

 タンクトップにショーツとラフな格好だ。

 凝視はおろか直視すら危険である。


「それは俺のセリフだ。他はもう眠っているぜ?」


 千夏以外の面々もぐっすり寝ている。

 アナグマの毛皮に挟まれて気持ちよさそうだ。


「私もちょっと目が冴えていてね」


 吉乃は俺の隣に腰を下ろした。

 肩と肩が当たる距離で、彼女の甘い香りが鼻孔をくすぐる。


「明日で一週間だよね、この島に来てから」


「俺もそれを考えていた」


「本当に帰れるのかな? 日本に」


「そうありたいけどな」


「ずっとこの島で過ごすかもって考えたら不安で仕方ないよ」


「同感だ」


 目を背けてきたが、さすがにホームシックは否めない。

 両親に会いたいという気持ちが日に日に強まっていた。


「どうして私たちがこんな思いをしないといけないんだろうね」


「それも同感だが、嘆いても仕方ないさ」


 俺は吉乃の肩に右手を回した。


「やれることをやろう。この島で野垂れ死なないように」


「私たちのこと、これからも守ってね」


 吉乃が上目遣いでこちらを見る。

 その瞳を見つめながら、俺は「もちろん」と頷いた。


(なんだかいい雰囲気だ……!)


 などと思っていると、吉乃が目を閉じた。

 童貞の俺でもキスを待っているのだと分かる。

 しかし、童貞なので躊躇してしまう。


(勘違いなら土下座するだけだ!)


 勇気を出してキスしてみた。

 彼女の体をこちらに寄せて、唇と唇を重ねる。

 何も考えず雰囲気に身を委ねた。


「流れでしちゃったけど、よかったん……だよな?」


 やはり童貞なので事後確認をしてしまう。

 吉乃は頬を赤らめながら頷いた。


「キスって、なんか幸せな気分になれるね」


 嬉しそうに笑う吉乃。


「同感だ」


「でも恥ずかしいね」


「これまた同感だ」


「さっきから同感ばかりじゃん」


「俺も思っていたところだ」


「言い方を変えてもダメだから」


 二人して笑う。

 しばらくの間、吉乃と他愛もない雑談をして過ごした。

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